着地点での記憶の行方
そして、どうしてこういう感覚になってきたのかということを考えると、二つ理由が考えられた。一つは、
「さくらと出会って、過去に戻りたくないと感じたからだ」
という思いと、もう一つは、
「さくらと出会ったことで、こちらの時代に来てから初めて過去を顧みようとしたのだが、未来にくると、過去を顧みようとした瞬間から、どんどん記憶が消えていくようになっているからではないか」
という思いであった。
高橋が感じているのは、どちらかというと、後者の方が説得力としてはあるような気がした。納得がいくことであるが、強く感じているのは前者であり、記憶が消えていくことと、過去に戻りたくないという理由が一致していないように感じられたのだった。
高橋は、さくらに愛情のようなものを感じたが、それは、恋愛感情とは違う気がした。今まで恋愛などしたことはないと思っていた高橋が、初めて感じた愛情なのに、どうして恋愛感情ではないのかと思ったかといえば、頭の中に、もう一人の女性が浮かんだからだ。
その人はまだ会ったこともない人で、しかもモザイクが薄くはあるが掛かっている。そう、この店の人で先ほど待合室で見たキャストの中の一人であるその人は、これも先ほど名前の出てきた、
「あすな嬢」
であった。
モザイクが掛かっているのに、なぜ、気になるのか、自分でも分かっていない。だが、あすなへの思いが、恋愛感情に近いものだという予感があった。
これは予感であって、予言ではないが、前述の、
「予言と記憶」
という意味での言葉で、予言を予感に変えると当て嵌まる感覚を覚えたのだった。
この気持ちは、きっと過去から繋がっているものに起因しているに違いないと思うと、過去の記憶を紐解いてみようとしたが、考えてみれば、そこには三十年という時代の開きがあったのだ。
ついこの間のことでもハッキリと思い出せないと思っているのに、時空を飛び越えてきた記憶が、そもそも無事であるわけもないと思っているので、記憶自体が、
「あてにならないものではないか」
と感じられて仕方がなかった。
そういう意味でもし過去に戻ったとして、
「未来での記憶は物理的に消えてしまうのではないか?」
と感じた。
二度と思い出すことのできない記憶であれば、
「思い出にもできない記憶など残しておきたくない」
と思ってしまう。
だが、これを記憶だけで残しておきたくないとまで思ってしまったのだから、過去に戻りたくないという道理も理解できるであろう。
だが、高橋があすなと会うことはそれからしばらくはなかった。風俗禁止法の制定が迫ってきていたからだった。
「どうして、風俗愛好家であるあなたが、こんな法律に加担するんですか? 今の世の中、こんなに犯罪が増えてきているのは、男の人のストレスを発散させる場所がないからじゃないんですか? そのために、風俗ってあると思っていたんですが、違うんですか?」
と、高橋がいうと、
「それは違うぞ。風俗にしても、癒しにしても、何か自分の中で目標があって、それを小さくていいから少しずつ達成していって、その達成感を感じることで、ストレスは解消されるものなんだ。今のままでいくと、その感覚が消えてなくなってしまい、ただ癒しを求めるだけになってしまうと、本来の目的を見失う。それが一番恐ろしいんだよ」
と国立が言った。
「本来の目的?」
と高橋が聞くと、
「うん、本来の目的というのは、その人がその時々で達成しなければいけない細かい目的があるはずなんだ。それを解決できないまま先に進むと、次第に欠点が見えてきて、ある程度のところまでいくと、その欠点を自分で自覚してしまう。その時には、もう取り返しのつかないところまで行ってしまっていて、その時に発散させられた負のストレスが、身体に影響して、婦女暴行を起こすんだよ。つまりは、犯罪というのは、その時の感情だけによるものではなく、積み重なった何かがあるんだよ。衝動的という言葉があるけど、衝動的などという考え方は、そもそも存在しないと、僕は思っているんだ」
と、国立は言った。
「だから、これを解決するために、僕は、同じ考えを持っている、清水刑事と密かに水面下で動いて、今の組織にしたんだよ。そして、歴史というのは、ずっと続いてきているものだと思うだろう?」
と聞かれたので、
「はい、一本の直線のようなイメージですね」
と高橋がいうと、
「そういう考え方もあるんだけど、僕は違うんだ。途中途中で見えない部分で切れていると思うんだ。逆に言えば、やり直しが利くタイミングというべきか、それが現在から見ると、三十年前、つまり、君がいた時代なんじゃないかなって感じたんだ」
と国立は言った。
「確かにブームは繰り返すというけど、そういう意味から、ブームが繰り返されるのは必然だったのかな?」
と高橋がいうと、
「その通りだと思うよ、だけど、歴史は本来繰り返してはいけないんだ。もし繰り返した場合には不都合が起きるかも知れない」
「どういうことですか?」
「本来歩んでくるはずの歴史と違った歴史になるかも知れないということ。だから、歴史が一本の線でずっと繋がっているとすれば、未来全部が狂ってしまうことになるけど、部分で切れているのであれば、そこから先は、別の辻褄に合った歴史が存在しているから、問題ないのさ」
と国立は、自信満々で答えた。
「何か、プログラムの世界でいう、レスポンスのようなものに思えますね?」
と高橋がいうと、
「まあ、そんなものかな? だから、この時代が本当に君がいた三十年後の未来なのかどうか、それも怪しいと思っていいかも知れない。ただ、辻褄が合って見えているだけで、実は鏡の中の世界のように、左右が対称なのかもしれない。分かっているけど、理解することができない。それはまるで道端に落ちている石を見ても、何も感じないというのと似ているのかも知れないな」
と、国立は言った。
「じゃあ、僕は過去の世界に戻れないかも知れないということでしょうか?」
と高橋が聞くと、
「戻れるかも知れないよ。それは時間、いや、距離的にね。でも、それが本当に君のいた世界なのだかどうかというのは、保証がないということだ」
「どうしてですか?」
「それは、君は未来に来たので、未来の歴史が変わる分には君にとって、問題はないのだが、一度未来に関わった君が過去に戻るということは、時代の逆行であることに変わりはない。逆にいえば、未来には末広がりの可能性が広がっていると言えるだろうけど、過ぎ去った過去は一つしかないが、戻ろうとする過去はたくさんあるんじゃないかということさ。それがタイムスリップであり、もう一人の自分に会ってしまうとビックバンが起こると言われるだろう? 大げさだとは思わないかい? それはあくまでも過去に対して無限に広がる世界を創造してしまうからなんじゃないと思うんだ。それだけ大きなエネルギーだね」
と国立議員は言った。
「じゃあ、国立さんは、僕に子の時代で生きればいいとおっしゃるんですか?」
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次