着地点での記憶の行方
しかし、言葉には同じ言葉を重ねることで、さらにその意味を強調したい場合に使うこともある。そういう意味では無限ループという言葉、違和感はあるが、あながち間違っているわけではないような気がした。
それよりも、地獄という言葉が重なっているのが滑稽なのかも知れない。
地獄というものを、曖昧なものとして考えているから、滑稽に感じるのだ。そもそも地獄という概念は、宗教的なもので、架空世界ではないか。そういう意味ではこの言葉も、強調させる言葉だと考えると、納得がいく。
「底辺のさらに下。あるいは、悪いことがどんどん重なっていくような現象。そういえば、一つのことだけに対して、地獄のなどという言葉を使うことはないではないか」
つまり、この言葉も強調語なのだ、だから、無限とループで強調しているものを、さらに地獄という言葉で全体を強調しようとする。その状況が滑稽に感じさせるに違いない。
それはさておき、
「高橋君がどうして中学生の僕を知っているんだい?」
と聞くと、
「実は、僕は三十年前、ちょうど大学卒業後すぐに、教職免許を取って、中学校に赴任したんだよ。そこで、最初に副主任として受け持ったクラスに、君がいたというわけさ」
と言われて、国立は記憶を巻き戻してみた。
中学三年生の時を思い出してみたのだが、
「あれ? あの時、副主任なんて、あったかな?」
と言われて、高橋も、一瞬、キョトンとしていた。
そして、何かに納得したのか、
「なるほど、歴史が変わってしまったのかな?」
というではないか。
「歴史って、過去に戻って、過去を変えれば未来が変わるんという話じゃないんですか? 過去の人が未来にきて、その時点で、過去が変わってしまうというのは、どうなんですか?」
と、国立は言ったが、
「いやいや、大いにありえるよ。未来の人が過去に行って、歴史を変えると、そこからの未来が変わるという発想と同じなんだよ。だって、君の記憶にいたはずの僕が、急にいなくなって未来に飛んできたんだよ。可能性として考えられるのは、僕が行方不明になったということで騒ぐになるけど、結局、発見できずに行方不明のままとなるか、あるいは、最初から僕はいなかったということで、僕の歴史は、未来に存在することになるかだよね」
と高橋はいった。
「じゃあ、高橋君の過去は、君がこちらに来た瞬間にこっちの世界のものになったということかな?」
「かも知れない。だけど、それだと僕が三十年前を覚えているというのはおかしい気がするんだ。ひょっとすると、三十年前の記憶を消して、歴史を間違いかも知れないが、辻褄を合わせるために、僕はこの世界で何かをしなければいけないのかも知れない。そういう使命があるとすれば、先ほどのあなたたちの計画に僕が関わるということは、決定事項のような気がするんだ」
と、高橋は言っって、少し考えていたが、
「それにしても、ソープの廃止案というのが本当に考えられているとはな」
と呟いて、国立議員の紹介で行った、ソープ「ラビリンス」を思い出していた。
あの店に行き、さくら嬢を指名したのは、高橋だったのだ。
高橋は、その時童貞だった。優しくしてくれたさくら嬢に、まるで母親のような感情を抱いたのだが、抱いた感情はそれだけではなかった、
「彼女のことをもっと知りたい」
と単純に思った。
しかし、こういう商売をしている女性は、何か曰くがあるに違いないと思い聞けなかったのだが、なぜなら、高橋は三十年前の本来なら自分がいた時代のソープにも行ったことがあった、
「それなのに、童貞だったということか?」
ということになるのだが、確かに三十年前の、こちらの世界にタイムスリップする前の高橋は、あちらの時代で、ソープ嬢を相手に「筆おろし」をしてもらい、童貞を卒業していた、
だが、彼は自分が童貞だと思ったのだ。
それは、なぜなのかというと、彼がこの店にくるまでは、本気で童貞だと思っていた、国立議員に、
「童貞だったら、ここに行ってさくら嬢を指名して、さっさと卒業してくればいい」
と言われた。
その時の国立議員の言い方が、あまりにもそっけなくて、
「この人は童貞に対して、何か嫌な想い出でもあるんじゃないか?」
と感じたほどだった。
それでも、この世界にやってきて、彼らの決意を聞いた後だったので、黙ってしたがうことにしたのだ。
こちらでの当面の生活に困らないだけの金銭はもらった、戸籍も何とか改ざんしてもらい、こっちの世界で暮らしていけるようになったのだが、公金横領と、戸籍改ざんという重要な罪まで犯しているのだから、彼らの決意も相当なものだった。
だから、この店に来ることに逆らうことはできなかったのだが、別に最初から逆らうつもりはなかった。むしろ、こっちの時代のソープを味わってみたいと思ったのが本音だった。
実際に来てみると、三十年前の、トルコからソープに変わった頃とはまったく店の感じが違った。
あの頃は、ソープ街というと、普通にポン引きのにいちゃんが店の前の通りでウロウロしていた、タバコを咥えて、まるでチンピラのような連中もいて、
「いかにも、風俗街」
という雰囲気だった。
何よりもその時代は、ネオンサインがケバケバしかったのは確かだった。この時代も眩しいのだが、何かが違っていた、
「そうだ、ソープ街に限らず、街のネオンが昔に比べて今は静かなんだ」
と思わせた。
昭和の頃のネオンサインは、ネオンサインが物語を紡いでいるかのように、電光掲示が右から左だったり、上から下にだったりと、光が動いていて、その一つ一つが芸術のようだった。じっと見ていると目が痛くなるほどで、完全に、「電飾の芸術」を作り出していたのだ。
だが、令和の時代にはそんな賑やかな芸術はない。だが、暗いとも思わない。賑やかな電飾に慣れているつもりだったが、少し歩いただけで、こっちの世界に馴染めたのか、あまり気にならなくなっていた、
「慣れてきたということだろうか?」
どうやら、高橋は慣れてくるのが早く、順応性が早いのではないかと思わせた。
だから、お店に入ってから、最初は違和感があったが、それも、
「三十年も経っているんだから無理もない」
と思ったからで、しかし、待合室でキャストの写真を見ていると、次第に懐かしさが感じられ、またしても自分がこの世界に馴染んでしまっているのを感じたのだ。
実際に待合室で見たキャストの中に一人気になる女性がいた。
名前を見ると、
「あすな嬢」
と書かれていた。
あすな嬢の顔をじっと見ていると、懐かしさの原因があすな嬢にあるのを感じ、その理由も次第に思い出されたのだった。
作られた記憶
「そうだ、三十年前に童貞を卒業するつもりで入ったお店の女の子があんなかんじの女性だったような気がするな」
と感じた。
その時、高橋は、意識が三十年前に戻っていた。
あの日は、新入社員として入って最初のボーナスが出て、
「ボーナスが出るまでに、童貞を卒業できなければ、ボーナスを使って卒業するんだ」
と、ソープでの卒業を考えていた。
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次