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着地点での記憶の行方

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 皆がマスクをして、蜜にならないようにする。スポーツやコンサートなどのイベントは、無観客だったり、観客を制限してでもできればまだいいが、大半のイベントは中止や延期を余儀なくされている。
 それなのに、日本政府のとち狂ったかのような、オリンピックという、
「巨大な運動会」
 のために、国民が犠牲を強いられようとしている。
 政府からの納得のいく説明は一切なし、それで何を受け入れろというのか。
 しかも、真実を伝えるはずのマスゴミの偏見に満ちた報道によって、国民はどこに連れていかれるというのか。戒厳令があったらあったで、不満は爆発するが、こんな中途半端な状態で、いかにも国家に殺されそうで不安な毎日を過ごしているというのも、これほど中途半端なことはないのだろう。
 そんな伝染病禍であったが、政府、自治体の努力、国民(一部の守らない連中を覗く)の努力があって、何とかパンデミックが収まってきたのだ。
 それでも、世界ではまだまだ苦しんでいる国もあったが、日本は少し落ち着いた、
 この物語は、パンデミックというトンネルの出口が見えてきたあたりからの物語である。「どこが未来で、どこが現代で、どこが過去なのか?」
 この問題は今に始まったことではないが、このお話は、実際には練和三年五月時点に描き始めたものだから、歴史的にそこから先は、
「未来」
 ということになる。
 しかし、書きあがってもほとんどが未来であることは分かり切っている。一瞬にして宇イリスがこの世からなくなってしまうという革命的な薬ができたり、あるいは、アルマゲドンが起こって、世界全体が一瞬にして崩壊したりしない限りは、すべての話は未来になるのだ。
 読者の方々はそのつもりでこのお話に入っていただきたいと思う。
 時代は、相変わらずの緊急事態宣言という、まったく信憑性も根拠もない自体を彷徨っていたが、それを打破する一縷の可能性としてワクチンがあるのだが、その普及が少しずつ身を結ぼうとしていたところであった。
 無能で、まったく説得力のない首相がいった、
「ワクチン接種が、一番の重大事項である」
 というその言葉だけは信憑性を感じられた。
 海外では実際にワクチン接種により、感染が収束しているという事例はたくさん見られる。
「日本人だけが特殊で、効かない」
 というわけでもない限り、ワクチン接種は、確かに首相のいうとおり、
「希望の光」
 であり、
「切り札」
 と言ってもいいだろう。
 その間に何とか感染者を増やさないようにしていて、
「自粛疲れ」
 との闘いがどこまで続くかであったが、何とか何年か経って、少し収束の兆しが見えてきたのだった。
 どれだけの人がこんなに何年もの間、パンデミックに苦しめられると想像しただろうか?
 さすがに一年くらいでは収束しないとはほとんどの人が思っていただろうが、ウイルスとしても、
「敵もさるもの引っ?くもの」
 である。
 どんどん、変異株が増えていき、強くなっていく。まるで爬虫類が脱皮するような感じであろうか。そのたびに、
「ワクチンの効き目がどうなるか分からない」
 などということもあって、当然のごとく、相手も強くなってくる。
 それこそ、同じウイルスのコンピュータウイルスと、ウイルス駆除ソフトのいたちごっこのようなものだ。
 そもそも、コンピュータウイルスは人が作ったもので、それを人間が駆除するといういたちごっこは致し方ないことだが、実際に病気のウイルスということであれば、自然現象なので、人間の尊厳と生きるという本能がどこまで通用するかということでもあるだろう。もっとも、それも今回のパンデミックを引き起こしたウイルスが、本当に自然現象で、人間が作り出したものではないと言い切れないところも問題だが、それはこれから次第に明らかになってくることだろうと思われるが、本当にこれが人災であれば、本当にシャレにならない話である。
「全世界、いや、全人類に対する挑戦であり、決して許してはいけないことだ」
 ということになる。
 果たして本当に、今から数年で、このパンデミックが収束し、平和でかつての生活ができる世の中が再び訪れるのかどうか、読者には正直分からない。あくまでも希望的観測でしかないが、少なくともかつて全世界で流行したどんなウイルスも、
「収束しなかったことはない」
 と言えるだろう。
 そうでないと、人類は滅亡していたからである。
 そんな地獄のような時代の、
「地獄のループ」
 つまり、大きな波を何度も何度も繰り返しながら、終わりの見えない感染拡大と一時的収束の繰り返しがある程度落ち着きを見せた時、これからの世の中に、警鐘を鳴らす人が、ここに一人いたのだ。
 この人は、政治家ではないが、このパンデミックの時代にも、真面目に仕事をしてきた青年刑事であった、
 彼はパンデミックが始まった頃はまだ、交番勤務の警官であったが、パンデミック終盤には、刑事に昇格し、刑事として犯罪捜査に挑むという仕事に従事していたのだ。
 彼の危惧は、実は今に始まったことではなく、作者がこの話を書いている、令和三年五月くらいから、その危惧を抱いていた。
この頃は、まだまだバリバリの警官であり、世間が緊急事態宣言ということで、自粛義務が、国民の間でまだまだ守られている頃だったのだが、すでに発生から一年半が経ち、国民がこの状態に疲れを慣れの矛盾した状態に陥っていたことで、
「このまま自粛体制が進むのか、それとも、もう誰も政府の言うことを訊かなくなるのか?」
 によって、世の中に対する考えが変わってくることで、警備の考え方もおのずと変わってくると思っていた。
 夜中などの警備は、とても重要だった。
 自粛を破って表に出てきた青年が、集団で何か羽目を外すかも知れない。公園などで飲み会などを催す連中もいるだろうし、これは、最初の緊急事態宣言の頃から問題になっていたことだが、休業要請を受けた飲食店などの業界は、ある程度、
「夜の街」
 と呼ばれるあたりに集中していたりする。
 いわゆる、
「飲み屋街」
 というところであるが、そういうところの電気が、一斉に消えるのである。
 経済の疲弊を、待ったなしで行っている緊急事態宣言は、世間に次第に経営不振で解雇された失業者や、廃業に追いやられた零細企業などの経営者などが街に溢れるという現象を引き起こす。
「明日の暮らしはおろか、今日の食事もままならない」
 という人も少なくなく、そんな人が狙うのが、休業要請で店を閉めなければいけない店舗だった。
 店の明かりも消えているので、夜は真っ暗で誰も近寄る人はいない。完全に警備のできているビルであれば、安心なのだが、飲み屋街の雑居ビルなどに、どこまでの警備が入っているか分かったものではない。
 数日間も誰も近寄る人がいないとなると、空き巣に狙われるのは分かり切っていることだが、実際にたまに店主が店に来てみると、被害に遭っているということがザラだった。
 彼のような警官の仕事として、そういうビルを見回るのも仕事の一つなのだろうが、繁華街の多いところはそれだけを見回っているわけにはいかない。
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次