着地点での記憶の行方
「そうか? 前の首相が政権を投げ出してくれたおかげで、俺に順番が回ってきただけなんだけどな。あれだけ裏であくどいことをした前首相が、通算最長の内閣発足記録を達成できたんだから、日本という国は面白い国だよな。しかも、この俺が、今のような有事において総理ができるんだから、本当にちょろいもんだ。途中でマスゴミの連中が余計なことして、俺の出身に関しての化けの皮を剥がそうとしたり、息子のことを嗅ぎつけてきたりすて、危なかったが、どうせ、他に今総理をやりたいというやつなんかいやしないんだ。俺がこのまま甘い汁をしばらくは吸っていられるというわけだ。誰だって、国民から支持されない総理なんて貧乏くじは嫌だよな。だけど、俺は、悪口を言われたって、お金のためだったら、別に右から聞いて左に聞き流せばいいんだ。それで、がっぽがっぽとお金が入ってくるんだから、こんなちょろい仕事、辞められないよな」
と、言って大笑いしている姿が目に浮かぶようだ。
しかし、悔しいかな、そんな悪党面が思い浮かばない。そこがやつが本物の悪党であるということを、誰も分からないことに繋がっていくのだ。
政府転覆計画
「やはり、令和維新をやり遂げなければいけない。それには、やつのやり方のように、国民になるべく害がないが、政治家にとって致命的なショックを与えるものでなければいけないんだ」
と、県議会では共通の認識になっている。
ソープなどの風俗は、今後の政府が推し進めようとしているカジノやギャンブルをこの国で始めようという、やつらにとっての、
「甘い汁を吸うための最大のプロジェクト」
が開催されようとしている。
今のところ、自治体は、表向きは何とも言わないが、心根は気が進まないところがあるだろう。
誘致する県では、それなりに潤うのだろうが、そもそも誘致できるほどの金銭的余裕のない自治体には無理がある。
つまりは、元々あった自治体の格差を、これによって、致命的に格差を広げようというものだった。
これは、日本国の中央集権国家としての、根本を揺るがすことになる、
地方自治体のごたごたは、やがて政府にその重圧がのしかかり、すべてが政府に掛かったその時、政府は完全に瓦解してしまう。
それは、一政府が壊れるという程度のものではなく、政府としての機能がもはや利かなくなるということだ。
国家体制が崩壊し、無政府状態になったこの国が一体どこに向かうのか、誰に想像できるというのだろう。
平和ボケの国民に、自浄効果があるとは思えない。もし、立ち直る力があったとしても、それは集団統制の取れたものではなく、自分たちの組織が生き残ればいいという、サバイバルなアナーキー状態に突入し、無法地帯によることで、誰もが人の命などどうでもいいという感覚になり、それこそ、国家などというものは崩壊し、この世から、日本という国がなくなってしまっているだろう。
世界でも手に負えない地域として、世界地図にはどのような表記になるのだろう?
結局国連の統治下におかれることになるのか、そもそも、平和ボケした統制の取れていない連中に、国家を運営などできるわけもない、そこには法律も統制も、経済も何もない。元々金目当てに政治家をやっていた連中も、国家崩壊によって、貨幣価値など、紙きれ同然になってしまったことで、彼らのほとんどはm気が狂ったようになってしまい、その時点で、国家が再統一できたかも知れない可能性は消えてなくなったのだ。
いくら守銭奴政治家とはいえ、腐っても政治家、その気になれば、仕事はできる。しかし、一般市民に、国をまとめるなどできるはずもない、だとすれば、地方自治体の議員だけ、あるいは、国家公務員である政府の委員だけにできるのか、できるはずがない。できるとすれば、一致団結することなのだろうが、お互いに足を引っ張る平行線である。まるで口喧嘩をしているだけで何も決まらない。どんどん、日本は壊れていく。国連もそれを阻止できるのだろうか?
県議の中には、それに近いものを感じている人もいた。さすがにここまでは最悪のシナリオをさらに脚色したもので、ありえないとは思っていたが、考えてみれば、神話とまで言われていたことが、ことごとく壊れていったバブル崩壊の時代を思い出せば、これくらいの想像は、本当い絵空事で片づけられるのであろうか?
バブルが弾ける前に言われていたこと、
「銀行が潰れるわけはない」
という、銀行に対する神話が、バブルが弾けたあの時、果たしていくつの銀行が経営破綻したことだろう?
後から冷静に考えれば、
「あそこまで膨らんだバブルが弾けたのだから、銀行が経営破綻しない方がおかしい」
と思えるほどである。
実態のないものを追いかけて、どんどん事業を拡張していけば、どんどん儲かるという単純な算数の公式が、世の中の常識としてまかり通っていたのだ。考えればその方が恐ろしいのではないだろうか?
誰だって、世間がそんな単純なものではないことが分かっていたのに、これも、一種の、
「金に目がくらんだ」
ということになるのだろうか。
そういえば、以前、政府が致命的なことを犯し、そのことで国民の信任が得られず、政権交代が起こったことがあった。
当時、野党第一党として君臨していた政党が、やっと天下を取ったのだ。
国民のほとんどは彼らに期待した。
一つは、それまでの一党独裁に近かった政府が、
「カネと政治」
と言われるくらいの金権政治にうつつを抜かしていたことで、腐ってしまったことが致命的なことを、
「やらかした」
ということで、ついに下野したのだった。
だが、あれだけ勢いのあった野党にやらせてみると、これほど情けないことがないほどにまったくの役立たずだったのだ。
結局、三年と持たずに、またしても、元の政権にとって代わられた。
これは、
「徳川慶喜作戦」
と言ってもいいのではないか
徳川慶喜は、破竹の勢いで進行してきた、反幕府軍に対して、彼らが行おうとする天皇親政の政治に対して、
「大政奉還」
を行うことで、
「朝廷ごときに、これまで武士がやってきた政治を、いまさらできるはずがない。すぐに投げ出して、徳川幕府を頼ってくるに違いない」
という考えから、簡単に政権を返上した。
だが、これが実際には、ことのほかうまくいき、波乱万丈ではあったが、明治政府は何とか国家としての体裁を保つことができるようになった。
だが、ここで一つ疑問があった。
明治政府というと、政府要人が暗殺されたり、士族による反乱がおこり、鎮圧されたりと、明治政府の荒療治がかなりあったにも関わらず、政権を奪った相手である徳川家、その最後の将軍であった徳川慶喜は、結構長生きをしているのだ。
歴史の慣例として、平清盛と、源頼朝の関係のように、
「情けを掛けて、政敵の分枝を残しておくと、後にあって復讐される」
と言われてきたはずだ。
だから、徳川家康が徳川家安泰のために、豊臣家を完全に滅ぼすのを生涯の目的としたように、明治政府からすれば、徳川慶喜は、源頼朝であり、豊臣秀頼になるのではないか?
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次