着地点での記憶の行方
緊急事態宣言にしても、発令できるのは政府、内閣総理大臣だけであった。知事からの要請を元に、内閣で審議しての発令となる。
しかし、発令されてしまうと、実際の行政は地方自治体となる。その間にお願いする自粛の内容、それに対しての取り締まり、さらに保証などというのは、基本的には地方自治体に任される。
政府にすべてを任せてできるわけもないし、かといって、発令や解除を地方自治体で決めることはできない。
自治体からすれば、直接現場からの苦情や、それに対しての対応もしなければならない。県民に、絶えずお願いしなければならないという立場なので、いろいろ大変ではあるだろう。
だが、県の幹部によっては、中央政府の国会議員とズブズブの関係にあり、まるで、「手下」のごとくの連中もいる。彼らにとっては、国民、県民のためではなく、自分の権益のため、自分の保身のためということが最優先なのだろう。
もちろん、県によっては、中央政府とは一線を画して、自分たちのやり方を貫いているところもある、
絶えずメディアを通してカメラの前に立ち、県民に訴えたり、国との交渉では、自分が防波堤になって、県民のために必死になっている知事mいる。
「ここまで違うんだ」
と、国民が思うほど、自治体によって差が激しい。
最悪な知事の下での県民は溜まったものではない。国会議員のお偉いさんに忖度し、自分たちが守らなければいけない県民を見殺しにしようというのだから、罪が深い。
忖度する国会銀が、何とか大臣だか、副総理だか知らないが、しょせん、老害でしかないのだ。
何を隠そう、このお話の舞台となっている県も、知事が老害国会議員のイヌのような立場で国民を見殺しにするという県であったことで、改革派の登場を望まれる土台ではあったのだ。
「わが県は、まず県政から変えていかなければいけないのだが、実際にやってみると、上からの圧力が強い。そうなると、真正面から正攻法でぶつかっても、改革をするのは難しいだろう。結構するのはクーデターだが、それはあくまでも水面下で進め、表に出る時は、すでに、すべてを占領していて、国家には何もさせないようにしないといけない」
という意見があり、
「そうですよね。一番最悪のシナリオは、同士討ちでしょうから、なるべくお互いに戦闘状態の機会を少なくし、相手が身動きできない状態にして、とどめを刺すというやり方をしないと、成功はしないでしょうね。そのためには、伏線を引きまくって、どこから攻めても、こちらの棒業に引っかかるようにして、一番いいのは、相手の軍もこちらに引き込めるくらいになるのが最高ですよね」
と、クーデター部隊の隊長クラスは、そう言っていた。
この県の県会議員の半数以上は、クーデターに賛成だった。
「本当は、ことを荒立てたくはないが、このままではいけないと思っている」
という隊員の、
「手放しに賛成はできないが、何かの一石を投じる必要はある」
と考えている人たちが三割いるのだ。
それだけで八割の県議会議員が改革を望んでいる。ここまでくれば、黙って見ているわけにもいかないだろう。
彼らが考えたのは、まったく想像もしていないところを攻撃し、政府と県知事側の分断を狙うことだった。
最初は、政府にも県知事側にも、
「なかなか素晴らしい条例を作ってくれた。これを全国に広げるように、法改正を行おう」
と言って、労をねぎらってくれたのだが、
「ふふふ、こちらの思惑も知らずに、どんどんこっちの手中に収まってくるように引き寄せられていくわ。これこそ、こちらの思うつぼというものだ」
と言って、県議会のクーデター参謀は、ほくそ笑んでいることだろう。
彼らは、頭の中は、昭和初期に起きた、
「二・二六事件」
をイメージしていた。
あれは結局、崇め奉っていた天皇に、自分たちが反乱軍であり、完全に敵視されてしまったことで、それまで練りに練った計画を脆くも崩れ去るように仕向けられたのだった。
そこに、反発する勢力の介在があったのかどうかは、言い伝えでしかないが、そもそも、この事件は、
「陸軍における皇道派と統制派の権力抗争」
がその正体だったのだが、その精神は、純然たる気持ちで、歴史を勉強した人に、受け継がれてきたものである。
確かに実際には権力闘争ではあったが、歴史の背景には、経済の疲弊、さらに満州経営の問題、中国との関係など、問題が山積みで、いわゆる、
「動乱の時代」
と呼ばれた時期でもあった。
東北地方の農作物の不作、さらに昭和恐慌と呼ばれた不況から、さらには世界恐慌とも重なって、
「娘を売りに出さないと、その日の暮らしも立たない」
と言われたほどであった。
それにより、軍の皇道派と呼ばれる派閥の一部青年将校の中で、その原因として、
「政府の一部特権階級の連中が、暴利をむさうっていて、実際の庶民を暮らしを、天皇陛下に知らせていないことだ」
ということで、
「やつら、君側の奸を滅ぼし、天皇を尊んで、天皇親政による昭和維新を断行する」
という妄想に駆られて行ったクーデター未遂事件が、二・二六事件であった。
実際には、クーデターを起こしたは、いいが、天皇の信任を得ることができず、彼らは反乱軍となった。
そもそも、彼らは襲撃した相手というのが、自分たちの派閥と敵対し、滅ぼそうと画策している政治家ばかりであった、攻撃目標の偏り、そして、やり方があまりにも残虐だったことが、天皇を怒らせたのであった。
ただ、彼らとて、国を憂うる気持ちにウソはないだろう。令和の時代の政治家と、そのあたりがまったく違っている。
だからこそ、県議会議員が起こそうとするクーデターは、暴力によるものではなく、あくまでも、政治家に対して政治政策として、戦いを挑んでいるのである。
「この国の国家元首たる首相が、野党や、マスゴミから責められて、毎回同じ回答しかできず、それだけに、少しでも質問を変えても同じ返答なので、まったく説得力がないのだ」
と、彼らは思っていた。
しかも、このことは、ほとんどの国民が分かっていることであって、分かっていないのは、一部の政府要人だけではないのではないか?
もし、分かっていて、同じことを続けているのであれば、この国は終わりだ。そんなことになってはいけない。
だから誰かは立ち上がらねば……。
というのが、彼らの考えであった。
もし、政府の要人が自分たちのやっていることが国民にバカにされていることが分かっていて、それでもやっているのだとすれば、政府の目的はその先にあるのかも知れない。
国民にバカな指導者と思わせておいて、視線をそっちに向けさせて、その間に何か恐ろしいことを企んでいる。さすがに国民の中でも、そこまで考えを巡らせている人はいないだろう。
そういう意味では首相やその側近連中は、実に見事に国民を騙しているのだった。
「我々は、政治なんかに興味があるわけではない。金が入ればそれでいいんだ」
と、いう守銭奴のような国家元首にその側近。
「総理、今日の会見もなかなかでしたね。死んだような目もいかにも国民をバカにしているようで、お見事でした」
と、側近の一人がいうと、
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次