着地点での記憶の行方
それを思うと、ここ三十年くらいの間の出来事であっても、そこにどれだけの表に出てきていない謎が潜んでいるのか、想像もつかないに違いない。
そんなことを考えていた高橋が、まさか自分がタイムスリップしてしまうとは思ってもいなかった。
目が覚めたその時、見たこともない風景が広がっていた。
とは言っても、三十年ほどしか経っていない世の中、最初はそこが過去なのか未来なのかすら分からなかった、
「時代って、繰り返すっていうからな」
という意識があったからか、新しいと思っても実は過去だったり、古い懐かしさを感じる時代であっても、実はそこが未来であったりというのも、考えられることであった。
その時代が未来だと分かると、頭の中で勝手に三十年というワードが浮かんできた。もちろん、その年数に根拠があるわけではなかったが、自分の中で、三十年が一つの時代の括りだと思っている。
「過去に三十年、未来に三十年。きっと一度のタイムスリップで行ける限界なのではないか?」
と思っていた。
しかし、過去に行くにも未来に行くにもタイムスリップすることができるとすれば、三十年先か前しかありえないとも思っていた。それこそ、人間の限界なのだろうと思うのだ。
だから、今回の時代錯誤のまわりの雰囲気に、
「ここは三十年後なんだ」
と感じたのだ。
だが、三十年という月日が経っているわりには、思ったよりも、風景に変わりがないことには驚かされた。実際には、外観以外のところでは大いに発展しているのだが、目に見えないところの発展が分からないところに、自分が未来に来た理由の何かがあるのではないかと思った。
元々、高橋という男、昭和の終わりn流行った、
「新人類」
という言葉をさらに超越した、
「新新人類ではないか?」
と言われていた。
新人類と言われる人たちからも、
「お前は俺たちとも違う」
と言われたほどで、何が違うのか、ハッキリとは分からなかった。
だが、高橋の友達に言わせれば、
「あいつほど、自分のやりたいと思っていることを突き進むやつもいない」
と言われるくらい、少々状況が変わっても臆することなく、我が道を行くというような性格だった。
ただ、それでも、闇雲に突っ走るタイプではなく、緻密な計算の下に行動するのだが、緻密な計算も無意識のことであり、子供の頃から、いつも何かを考えているような人間だったことが、猪突猛進に見えても、緻密な計算が表に出てこないだけ、彼の中には人には分からない個性が潜んでいるに違いなかった。
普段から自分のやりたいことをやるというのが、自分のモットーだった。
そのため、集団で何かを行うことは苦手で、だからこそ、どんなになり手がいなくても、彼に責任のあることをさせることはなかった。
小学生の頃は、責任のあることをしたくないという思いから、わざと人のいうことを聞かずに怒られながらも、うまく責任を逃れてきたのだ。
そんな態度はまわりにはすぐに看破されて、
「あいつは、わざとらしいところがあるから、あまり相手にしない方がいい」
と言われて、孤立を余儀なくされたが、それも高橋にとっては、ありがたいことだった。計算通りだったと言ってもいい。
しかし、だからと言って、打算的なのかどうかはハッキリとはしない。絶えず頭の中で計算するのが好きなタイプであるが、答えが見つかると、すぐに違う答えを求めて、時には別の問題に取り組むこともあるが、同じ問題で違う回答を求めることもあった。
小学生の頃は、一度解決した問題を振り返ることはなく、絶えず新しい問題、そしてその答えを求めてさまよっているところであった。自分が成長しているという観点からの発想であったが、大人になるにつれて、一度求めた回答が本当に正しいものなのか、検証することを目的として、もう一度頭から再興することで、最初の考えを検証するという思いが出てくるようになった。
そんな自分に気づいたのが高校生の時、その時にはすでに文系を目指して勉強していたので、急な進路変更はさすがにできないことは自分でも分かっていたので、大学進学へは文系を主に考えていた。
しかし、文系に進む中で、大学入学に成功したことで、
「小説の中でなら、俺の考えをフィクションとして膨らませることは可能だよな」
と思い、小説を書くことを目指した。
そのために、SF小説やミステリー、オカルトなどの小説をいろいろ読み漁ったりしたが、やはり、タイムスリップ系や、異次元関係の発想からは、離れることができなかった。
だが、小説を書く中で、異次元ものと言っても、
「異次元ファンタジー」
だけは嫌だった。
当時はファミコンなどの普及によって、RPG(ロールプレイング)ゲームというのが流行っていた。
発展性のストーリーから、レベルを上げていき、ステージごとに現れる謎を解明したり、モンスターをやっつけたりすることで、先のステージに進めるという、
「冒険活劇」
とでもいえばいいのか、架空の世界で発展する主人公という設定が、小説やマンガにも生かさされるのだ。
当時、小説を書く人が増えてくると、若い連中はゲームから入りやすいという観点から、異世界ファンタジーと呼ばれるジャンルを書きたがる。
「猫も杓子も」
と言った形の執筆は、高橋にとって、まっぽらごめんだった。
その頃に読んだ小説の中で印象深い話があった。
SFのようなホラーのような話であったが、どちらかというと、さらに昔の特撮で見たことがあるようなストーリーだった。
よくある話の一つではあったのだが、その頃になると、SF小説というのもブームが去っていて、いわゆる書くネタが尽きてきたというのが実情かも知れない。
それは、今に続く一つのタガのようなものであるが、要するに、
「トリックなどはすでに出尽くしているので、後はそのバリエーションをいかに生かすか?」
ということであった、
これはミステリーにも言えることで、そういう意味では、トリックというよりもストーリー展開や、本当のジャンルに、他のジャンルを織り交ぜるなどの、新たな発想が必要とされていた。
「トリックはあくまでも、ストーリーの中のアイテムでしかない」
この考えは、この頃にはもうすでにあったのだ。
ただ、子供の頃に見た特撮空想物語の中で、興味を持った話の一つに、
「謎の失踪事件が相次いで起こっている」
という世間を騒がせる事件が頻発した。
被害者にはまったく面識も接点もない。同じ犯人だとすると、被害者の共通点がどこにあるのかという問題。さらに、被害者はまるで煙のように、その場に存在したという証拠も残さずにいなくなっている。
中には、衆人が見ている前で、いきなり消えた人もいた。
「まるで人身御供のようだ」
ということで、誘拐などではなく、怪奇事件として報道された。
「人間焼失事件」
なのである。
これは、未来の世界からやってきた人間が、自分たちの身体が後退してしまって、さらに年寄りばかりがいるために、人材が不足している。彼らはそのために、過去に戻って人間を自分たちの世界に誘拐しているということだった。
ただ、その利用方法に関しては言及されていない。
作品名:着地点での記憶の行方 作家名:森本晃次