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有双離脱

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 実際にこの店の展示予定は、すでに三か月先まで予定が詰まっているようで、人気のほどが伺える。実際に日本に似たような店がどれほどあるかというのも知りたいところではあるが、
「もっといっぱいあってもよさそうな気がする」
 と思わせる店であった。
 ここの店は、商店街の中の地下にあった、
 目立たないようにしてあるのは、マスターの考えのようで、
「どうせ店をするなら、ずっと来てくれるような常連さんでいっぱいのお店にしたいんだ。一見さんも嫌ではないんだけど、常連さんの話を訊きながら、コーヒーを淹れていきたいという思いと、どうしても自分は芸術家だという意識が捨てられないことから、目立つ店にはしたくないというのが本音かな?」
 と言っていた。
 以前この店は、(この店に限らずであるが)、数年前に流行した伝染病騒動のせいで、経営困難に陥って、マスターが、期間を区切って、休業宣言をぶちまけたことがあった。店でも公開し、ネットにもその情報を流した。すると、
「ギャラリー『クラゲ』を救う会」
 というのが結成され、全国から支援が寄せられた、
 ネットが普及しているこの時代、ギャラリー「くらげ」のウワサは全国に広がり、
「自分も個展を開きたい」
 という人が全国から言ってきていた、
 そんな人たちがマスターを慕って、救う会が発足したのだった。
「捨てる神あれば、拾う神あり」
 とはよく言ったものだが、それよりも、
「それだけ、言葉にすることはないけど、芸術を目指している人たちの気持ちは繋がっていたということなんでしょうね。本当にありがたかったですよ、救う会まで作ってくれてね。でも、それもきっと、芸術家というものが、個人でコツコツやることではあるけど、目指しているものは、皆同じ気持ちだと感じることで、一致団結できるんでしょうね。それが気持ちの上での余裕というものかも知れない。だから、あんな暗黒の時代でもやってこれることができたんでしょうね」
 と、マスターは話していた。
「マスターがこの店をやっているおかげで、一人で孤独に活動していた人が日の目を見るということが結構あるんですよ。ある意味、芸術界の救世主のようなイメージがマスターにはあるんじゃないですか?」
 と、如月は言っている。
 今のところ、絵を描いてみようという気持ちにはなっていない俊介であったが、如月が教えてくれた、
「絵心のイロハ」
 のようなことは、結構頭に残っている。
 そういえば以前、
「将棋で一番隙のない布陣」
 という話をしたのを思い出したが、その話に関係して、減算法、加算法の発想になったが、絵を描く時にも、これらの発想が生きてくるのを、如月が教えてくれていたのだ。
「絵を描く上で一番重要なのは、バランスと、遠近感ではないかと思うんだ。バランスというのは、例えば風景画であれば、ここのような湖畔であれば、空と山、そして湖のバランスをどれくらいにするかということだね、そして、遠近感はその名の通り、一番近い湖、そしてそこから山、そして空と繋がっていくわけでしょう? そして最後に空がその向こうに永遠に繋がっていくというのをいかに表現できるかというのが、絵を描くことにおいて重要なことではないかと思うんだ」
 と、言っていた。
「うん」
 と何となく聞いていたが、その後に話した如月の話に、
「まるで目からうろこが落ちた」
 と言わんばかりの話を訊くことができたのだ。
 その話は面白いたとえから始まった。
「五月雨君は、天橋立って行ったことがあるかい?」
 と訊かれて、
――一瞬何が言いたいんだろう?
 と思ってポカンとしながら、
「ああ、小学生の頃にあるけど」
 というと、
「じゃあ、あそこで、股の間から見たことはあるかい?」
 と訊かれて、
「うん、あるよ」
 と、答えた。
 股の間から見て何が面白いのかと思ったのを覚えているが、確かにまったく違ったものが見えたのは不思議だった。しかし、まだ小学生だったということもあり、だから、それがどうしたのかという、その次が分からなかったのだ。

                ギャラリー「くらげ」

 天橋立というと、仙台の松島、安芸(広島)の宮島と並んで、いわゆる、
「日本三景」
 として有名である。
 特に天橋立は、「股のぞ」なる謂れがある、見る場所によって、
「天に架かる橋のように見える」
 と言われる場所であったり、
「天に舞い上がる竜のような場所に見える」
 などというものである。
 それを、如月は話しているのだろう。確かに見たのは見た、そして、それなりに感銘を受けたのも確かではあるが、それ以上でもそれ以下でもなかった。そこから何か他に感じるものは何もなかったのだ。
「僕は、天橋立であの光景を見た時、初めて絵を描いてみたいと思ったんだよ。それが、絵画を考える時の基本中の基本だって言った、バランスと遠近感の両方を感じた瞬間だったんだ」
 と、如月は言った。
「じゃあ、如月君は、その時、絵に大切なことは、バランスと遠近感だってことを聞いていたのかい?」
 と俊介がいうと、
「いやいや、知らなかったよ。だから余計に絵を描くようになってから、後で絵の基本について勉強した時、自分の感じたことに間違いはなかったんだって、その時初めて気づいたんだ」
 と如月は言った。
「そういえば、俺は天橋立ではないけど、たまに海なんかに行った時、逆さまから見ることがあるんだよ。別に絵を描くとかそういう意識ではないんだけど、でも、自分では何でそんなことをするんだろうって思っていたんだ。確かに天橋立で見た股のぞきの影響なのかも知れないけど、自分の中ではその二つは繋がっていなかっただ。ひょっとして、その二つに共通性を感じていただ、少しは絵を描いてみようと思ったかも知れないな」
 と俊介は言った。
「そうだよ。きっとなっていたんじゃないかな? それでその時にどんな風に感じたんだい?」
 と訊かれて、
「逆さまから見ると面白いんだよ。今まで海と空が、ちょうど真ん中くらいで区切られていると思っていたんだ。要するに絵を描いたとすれば、水平線は真ん中に来るようなイメージかな?」
 というと、
「うんうん、絵に例えるというのは、分かりやすくていいよね」
 と如月がそう言った。
「でも、逆さまから見ると、全然バランスが違うんだ。海が全然狭い範囲で、空がかなりの範囲を占めているんだよ。絵にすると三対七で空が広いって感じかな?」
 と言って、少し俊介は考え込んだ。
 それに対して如月は敢えて何も言わないので、俊介は話を続けた。
「そこで、どうしてそんな風に思うのかって考えて、もう一度元に戻って見てみると、まったく違和感がなかったんだ。たった今逆さから見た時、あれだけの違和感があったのに、次の瞬間にいつもの光景で見ると、少し錯覚から混乱があってもいいはずなのに、まったく混乱がなく普通に見えたんだ。これはおかしいと思って、もう一度逆さから見ると、やはり、違和感がある。またしても、どうしてなのかって考えたのさ。するとそこで一つの考えが浮かんだんだ」
 と、俊介がいうと、如月も大いに興味を持って、乗り出すように訊こうとしている。
作品名:有双離脱 作家名:森本晃次