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有双離脱

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 恵子とすれば。典子のそんな気持ちが分かるわけもなかった。何しろ、自分を救ってくれた恩人であるだけに、典子であれば、自分に降りかかる火の粉は、自分で振り払うことができるという思い込みにあった。
 しかし、これは無理もない思いであって、典子自身が恵子に植え付けた思い出もあったのだ。
 だから、彼女の嫌がらせは、恵子の時と違って誰がやったのかということが分かったのだ、
 恵子に対しての嫌がらせはあくまでも苛めの一環であり、極端な話、相手が誰でもよかった。そのため、嫌がらせという行為を主なウに対して、一番無難な、つまりはまわりかわバレても、抗議が出ない。誰もが苛めたいと思っている相手であり、苛められた相手も、引きこもるだけで、大げさに騒がない人をターゲットにするだろう、
 そうなると、当然、相手に自分の正体が分からないようにするものであって、相手が分からないだけに、しかも、手口を多用にすれば、相手を絞ることも難しい。自己満足のために人を苛めるという意識であるから、ある意味、やりやすいとも言えるだろう。
 何と言っても苛めが横行している時代である。それだけに、苛めが拡散することもあるだろう。
「あいつがやってるんだから、俺だって」
 という意識だ。
 しかも、バレそうになれば、すべて最初にやっているやつに罪をかぶせるということもできる。苛める側だって、別に団結しているわけではなく、要するに、自分さえよければいいのだ、
 これほど陰湿で罪深いものもないんだろう。
 しかし、典子に対してのものは、目的が明確にある、自分が好きになった相手が、自分に振り向きもせず、他の女性ばかり気にしていることが気に食わないのだ。
 確かに二人は中学時代から一緒で、入学してきた時から仲が良かったのだ。そんな中に入り込むなどというのは、かなりハードルが高く、時間を戻すことができないい限り、この壁は壊すことはできない。
 半分ギブアップ状態になっているのだが、このままではおさまりがつかない。諦めるしかないとしても、二人が仲良くしていては、自分のストレスがたまる一方だ。
 しかも、彼女は自分が悪いとは思っていない。あくまでもタイミングが悪かっただけなのだ。それをどうして諦めなければいけないのかということになると、憤り以外の何者でもなくなってしまうのだった。
 だから、恵子に対して、自分をこんな風にしてしまった責任があると思い込む。ここまで来た時点で、その人は、自分を抑えることができなくなってしまっている。
 その時点で、すでに典子への思いが何であったのかすら分からなくなっている。元々は典子を好きになったことから始まったものが、いつの間にか、嫌いな人に自分のターゲットが写っている。目的を見失ってしまった人というのは、その行動が定かではなくなってしまうだろう。
 自分で、本末転倒だと思っているのだろうか?
 最初は思っていたかも知れないが、嫉妬が強くなればなるほど、最初が何だったのか分からなくなる。それを、人によっては、
「自分は病気なのでは?」
 と思うことだろう。
 そう思ってしまうと、病気を引き起こした人が、恋敵という構図にピッタリと嵌ってしまう。
 その相手が典子であると思うと、恵子に対しても、疑問を覚えてくるようになる。それは、
「可愛さ余って憎さ百倍」
 という言葉が示すように、好きだった相手も嫌いになるという、本末転倒なことになってくる。
 そのせいで、典子に対しての嫌がらせが、そのうちになぜそんなことをするのかということが、本人だけでなく、せっかく分かっていたはずの典子にも分からなくなってくるのだ。
 加害者は、最初から自分を曝け出して、自分が恵子を好きだから、その嫉妬から、典子を攻撃しているという構図をあらわに出すことで、典子に自分の気持ちをぶつけて、さらに嫌がらせをして、自分のストレスを解消するつもりだったのだ。
 それなのに、最初の目的である、
「典子を好きだ」
 という理由がぼやけてしまうと、本来の目的が変わってくる。
 しかも、自分がその目的を見失ってしまうのだから、世話はない。そう思うと、自分が何をしているのか、こちらも地獄のループに嵌ってしまうのではないだろうか。
 だから、最初から恵子に対する嫌がらせと、典子に対しての嫌がらせはまったく違ったものであり、どちらが辛いかということになると、その答えは出ないだろう。被害者がどう感じるかによって、その強さは違うだろうし、人によって感じ方も様々のはずだ。
 しかし、加害者側とすれば、完全に正反対の状態である。
 苛める相手は誰でもよく、自分を隠すことで、
「他の人に責任を押し付けることができるかも知れない」
 ということで、責任逃れや、少々卑劣なこともできると思っている。
 だが、典子に対しての感情の根本にあるものは、嫉妬である。恵子に対しての嫌がらせに至る感情がよく分からないことに対して、典子に対してのような場合は、ハッキリとしているのだ、
 ハッキリとしない理由は、あくまでも自己中心的な気持ちからで、理由がハッキリとしないというのも、厄介なことだ、
 苛めっ子に対して、
「どうして苛めを繰り返すの?」
 と質問すると、返ってくる答えは、
「誰でもいいから、むしゃくしゃするので苛めてるんだ」
 という、理不尽な答えが返ってくる。
 苛められる方とすればいい迷惑だ。なんで自分が苛められるのか、苛める本人が分からないのだから、どうしようもない。
「これから、彼を苛めるのはやめなさい」
 と言われたとすると、今度はターゲットを違う子に変えるだろう。
「どうせ、もうあいつを苛めるのにも飽きてきた」
 というに違いない。
 それは本当のことだろうか、言われた方もたまったものではないし、ターゲットが変わって、その目が自分に向けられたとすれば、これもいい迷惑だ。
 要するに、苛めに違い嫌がらせというのは、
「理不尽の塊り」
 と言っていいだろう。
 それと違って、典子に対しての嫌がらせのように、
「理由は嫉妬から」
 ということが明確なので、理不尽ではあるが、他の人に迷惑が被るということはないだろう。
 そう思えば、実直だと言ってもいいのだが、あくまでも本人の意地が嫉妬心の中に含まれているだけに、難しいところがある。
 前述のように、ターゲットは一人ではない。
 自分が好きになった相手を寝取った形になった相手が一番憎いのは当然だが、自分が好きになった人に対しても、
「どうして私じゃないんだ?」
 という思いが強いのだ。
 一応、なぜ自分ではないのかということを考えるであろう。その理由が分かるのであれば、まだ救いはあるのだが、tだ、分かったとしても、そのことを自分で納得できるだけの整理が頭の中でできなければ同じことである。
 下手に中途半端なところまで分かってしまうと、二人の関係を勝手に想像、いや妄想して、自分がハブられているかのように思うかも知れない。
「私は、、まわりから無視されているのかしら?」
 という思いである。
作品名:有双離脱 作家名:森本晃次