有双離脱
思春期というものが、成長の中で、絶えず右肩上がりであるという意識はなかった。ある日突然、上向きに転向したかと思うと、逆に急転直下もありえることだと思っている。総合的に、思春期が終わると、思春期前に比べて、成長しているということに変わりはないというだけだと思っていた。
思春期が終わった時に感じたことはいくつもあったが、そのうちの一つに、
「誰か一人に対しての感情は、複数の感情ではない」
ということだった。
その人が嫌いだと思えば、どう違った角度から見ても嫌いであり。好きな人であっても、それが恋愛感情なのか、友情なのかと言われると、どちらもということはありえずに、必ずどちらかなのだということだ。
ただ、それが相手の感情と一致しているとは限らない。こちらが恋愛感情を持っていて、相手は親友だと思っていたとしても、納得するまでは、自分の感情にウソはない。つまり別れるという選択肢はないということだ。
もし、別れるとすれば、どちらかが恋愛感情を抱いていて、告白した時ではないか。その瞬間に、開けてはいけない「パンドラの匣」を開けてしまったことになり。築き上げてきた感情は瓦解してしまうだろう。
この感覚をどこかで感じたことがあった。
そうだ、あれは友達と将棋をした時のことだった。女の子なのに将棋というのも、変な気がして、
「将棋が好きっておもしろいわね」
というと、
「女だてらにって思っているんでしょう? でもね、将棋をする女子って結構多いのよ。それに、女流棋士って結構モテるみたいなの。男女問わずね。だって、あんなに真剣な表情を見せつけられると、男子に憧れるのがバカなかしく思えるくらいに凛々しいと思えるくらいなのよ」
というではないか。
そして彼女は続けた。
「それにね。将棋って面白いのよ。将棋の布陣で、どれが一番隙のない布陣なのかって分かる?」
と訊かれて、
「ううん」
と答えると、
「最初に並べた形なのよ。つまり、一手打つごとに隙が生まれる。いわゆる減算方式のような気がするの。それが非常に気になってね」
と彼女は言った。
「減算方式?」
と恵子が聞くと、
「ええ、その表現で本当にいいのかどうかまでは分からないんだけど、私は、減算方式に加算方式だと思っているの。何かの判断の時によくこの二つを考えるのよ。何か一つを考えた時の判断材料として、加算方式でも、減算方式でも、どちらからでも考えることができるものもあれば、必ずゼロからの加算にしかならないのか、あるいは、満点からの減算になるのかで違ってきますよね? 点数をつけるとして、合格点を七十点以上と考えた時、加算と減算では見え方が違う。加算の場合はまず五十点を目指してそこから七十を目指すというようなやり方ができるけど、減算法だと、八十点になってくると、足元に迫ってくる危険が見えてきて、冒険はできなくなる。人との相性を考える時に、加算で見るのか減算で見るのかというのは結構難しい考えだけど、たぶん、皆さんは減算で見るでしょうね。最初に、友達ありきで始めるからね」
と、友達は言った。
「でも、初対面の人で、これから友達になろうとする人だったら、加算法じゃないのかしら?」
と恵子がいうと、
「そうとばかりは言えないと思うの。これは性格的なものだと思うんだけど、引っ込み思案の人の方が、減算法じゃないかと思うの。減算法の方が、先に欠点を見つけようとする。それは自分が引っ込み思案だという意識があるから、まず保身を考えるのよね。自分に対して危機が迫ってくるような相手であれば、友達としてはありえないと思うからね。でも、まず相手の長所を探していくという加算法の人は、きっと長い目で相手を見ようとしていると思うの。だから、ゼロから組み立てられると思うのよ。でもね、人間って、理想と現実とは違っているのが普通なので、加算法でありたいと思って思っていても、結局は減算法になってしまうものなのかも知れないわね」
と友達は言った。
「何か難しいわね、結局はどうなのかしら?」
と少し訝しがる感じで話を訊いていた恵子は次第に焦れてきた。
「そうね、私もハッキリとしたことはいうのが難しいんだけど、結局はどっちもありだと思うの」
というのを聞いて、
「どういうこと?」
と、一度苛立ちを見せたことで、却って落ち着けた恵子は、ゆっくりとした口調で聴いた。
「加算法が、長所を重ねていくことでしょう? そして減算法というのは、欠点により削っていくことだとすれば、要するに長所と短所の違いだとも言えるのよね。でも、『長所と短所は紙一重』という言葉であったり、「長所は短所の裏側に潜んでいる』という言い方をするでしょう? つまりどっちかを見つめようとすると、どちらかも見えてくるの。短所を探そうとすれば、長所も見えてきたり、長所を見ようとすると、短所にも気づくの。それを見る人が理解できるかどうかということが問題なんでしょうね」
「ということは、それを理解できていないと、相手との相性を考えるということは、無理があるということになるのかしら?」
と恵子が聞くと、
「そうとばかりは言えないわ。実際に意識して、相手の短所や長所を理解しようと思っている人ってそんなにいないと思うの。でも、無意識のうちに理解していて、逆に、『相手の長所や短所が分かるから、親友だって思っている』という人がいるくらい、相手との相性を訊かれれば答えられるという人は、必ず根拠があるはずなのよ。だから、誰かから、どうして親友なのかと訊かれて、ハッキリと答えられない人は、親友だと思っていたとしても、相手も同じように親友だとは思ってくれていないと思った方がいいんじゃないかって思うの。もっとも、これは私の考えであって、これが正しいというわけじゃない。それは私の親友である恵子には分かっていることだと思うけどね」
という話を訊いて、
「うんうん、まったく同じ気持ちよ」
と言って、恵子はニッコリと笑った。
彼女は恵子の高校時代からの親友で、名前を砂土原典子という。
典子とは中学時代から一緒で、高校二年生の頃まで話をしたこともなかったが、どちらからともなく意識をし始めて、すぐに親友になった。
今は高校三年生で、まわりには、友達がいないように思われているほど、いつも一人でいるイメージの恵子だったが、典子は違った。いつも典子と一緒にいることが多い恵子がなぜまわりから、
「いつも一人でいて、何を考えているのか分からない」
と思われているかというと、話をする時、皆とは違った感性を持っているのか、ピントがずれていると思われているからであろう。
典子も負けず劣らず、まわりから同じように見られているようだった。
地獄のループ
恵子へのストーカー行為はさすがに高校時代にはなくなっていた。それを思うと、相手は男子であろうと思われるが、すべてが一人による犯行だったのか、それとも複数による模倣犯のようなものだったのかは、ハッキリとしない。しかし、
「あれは、男子による一人の犯行だったんじゃないかな?」
と、恵子は思っていて、そのことを典子にだけは話していた。