有双離脱
と言われて恵子も少し考えて、
「それって、好きな子ほど、いたずらしたくなると言われる、あの感覚に似ているということかしら?」
「そうそう、その感覚ね。自分でも、相手のことが好きだということを分かっていて、好きなんだけど、その気持ちを整理できなくて、そのうちに、自分がこれだけ好きなんだから、相手にもその気持ちが伝われば相手も自分を好きになってくれるのではないかという感情ね。一種の押し付けの感情なんだろうけど、それって、誰にでもあることなんじゃないかと思うの。例えば、毎日のように、プレゼントを贈り続けたりする行為だってあるでしょう?」
「それって、まるでストーカーじゃない?」
と恵子がいうと、友達は一瞬呆れたような表情になり、
「そうよ、私はそのつもりで最初から話をしていたのに、やっと今になって気付いたということなの?」
と聞かれた恵子は、
「ええ、そうなんだけど、でも、どうしてあなたはそんなに詳しいの?」
と聞かれた友達は、
「私は、幸いに、そこまでの行為を受けたことがないから正直分からないところがあるんだけど、逆に人がそういう行為を受けているのを見ると、自分も考えてしまうところがあるからかしらね。特にまわりにちょうど恵子がいるから、私も自分のことのように考えることができるのかも知れないわね。でも、これは自分に向けての行為ではなく、身近な人ということで、他人事ではあるんだけど、無視はできないくらいの距離なので、一番見える距離にいるということも言えると思うのよ」
という。
「ということは、私にとって、一番の相談者だということも言えるかも知れないわね」
と言われた友達は、
「そう思ってくれると嬉しいけど、少しプレッシャーでもあるわね。でも、本人である稽古に分からないことも、私なら分かる場合も結構あると思うの。そこを指摘することはできると思うの。その時初めて、二人で考えるようにすれば、少しは違ってくるんじゃないかしら?」
「そうね。そう言ってくれると私も心強いわ。正直、少し悩んでいたのよね。靴の件では、かなり参った気分になっていたので、どうすればいいのか。結構考えていたわ」
と、いう恵子に対して、
「それはその通りね。一人で悩んでいると、どうしても悪い方にばかり考えてしまって、本質が見えてこなかったり、相談できないことであればあるほど、必死に隠そうとするものなのよ。でも、そんな時って、結構まわりは気付くもので、そのあたりで、まわりと距離ができてしまって、余計に孤立してしまうことだってあると思うの。一人でいるとどうしてもそんな気持ちになってしまうから、なるべく、相談できる人を一人でも二人でも作っておくことが大切ね」
と言ってくれる。
「あまり多いと、今度は却って考えがまとまらないかも知れないわね」
「うんうん、それは大いにある。私も子供の頃、そうだったのよ。まわりにいろいろ言ってくれる人がたくさんいたのはいいことだったのかも知れないんだけど、結局何が正しいのかよく分からなかった。言ってくれる人が多ければ多いほど、それだけたくさんの意見が出てくるのであって、整理できなければ、混乱するばかりだからね。それは私も今までに痛感してきたことだったわ。だから、今も一人か二人という言い方をしたのよ」
そんな会話をしながら、友達と話していると、
「私は、いつもそばにあなたがいてくれるから、それが嬉しいと思っているのよ」
と恵子がいうと、
「それは嬉しいわ。私もね、恵子は意識がなかったかも知れないけど、私が辛かった時、恵子がそばにいてくれるだけで安心できたの。それをとても感謝しているわ」
と彼女は言った。
二人は、それまで、
「女性の親友というのは、本当にあるのかな?」
とお互いに思っていた。
実際にそういう話をしたこともあったくらいで、あれは、中学の頃だったか、
「男の子は結構親友同士でいろいろ話をしたりして、本当に親友だって感じを受けるんだけど、女の子同士の場合って、親友だと思ってしまうと、もし、同じ男子を好きになった時なんか、友情と恋愛感情を天秤に架けるとどうなるのかって考えてしまうわ」
と、恵子がいうと、
「そうね。私はきっと恋愛を取りそうな気がするの。男性を好きになると、自分の意識は全神経を集中させてその男性に尽くすような気持ちになると思うと、女性との今までの友情が薄っぺらいものになるような気がするのよ。きっと、自分が他人を尽くしたり感情移入する場合に限界があって、そのすべてを男性に捧げようとすると、他の人に対しての余裕はなくなっていくでしょうね。その気持ちを自分の中で言い訳のようにするために、女性との間に友情なんてないと自分にいい聞かせると思うの。それでも相手の女性が親友だなどと行ってくると、完全に億劫になってしまって、こちらから避けるようになると思うの。だから、友情を完全に否定するんじゃないかって思うのよ」
というのだ。
彼女にしてみれば、その当時は思春期の真っ只中、男性に対しての感情は異常なものだったに違いない。友情と恋愛を天秤に架けること自体、本当はナンセンスなことだということに、いずれは気付くことになるのだろうが、思春期のど真ん中で気付くわけもない。そんな状態で、気持ちが迷走していたのだろう。
ただ、女同士でも喧嘩になることもあり、
「あなたとは絶交よ」
と言ったり、言われたりすることも多いだろう。
だが、それが、友情の切れ目ではないということだけは、意識していたのだった。
「女同士の友情がないんだったら、男女の間での友情というのはどうなんだろう?」
と、恵子は考えたことがあった。
思春期の間は少なくとも、
「恋愛と友情とは決して同居しないものだ」
と思っていた。
しかも、
「同じ相手に、恋愛と友情は両立しない。それがいくら時間が経っていても」
と思っていた。
つまり、恋愛から友情に変化することも、友情が恋愛に変わることもありえないという考えである。それが嵩じて。
「男女の間の恋愛なんていうのも、幻想に違いない」
と思うようになっていた。
お互いに親友だと思っていて、友情が何よりも強いと思っていても、同じ人を好きになってしまえば、友情なんてありえない。この気持ちは高校生になっても変わっていない。悩みばかりの思春期という時期は通り過ぎたと思っている今もである。
恵子は、中学時代に仲がよかった友達と、同じ高校に進むことで、
「これって運命だよね」
と思える相手が見つかったことが嬉しかった。
中学時代からよく話をしていたが、その頃はここまで仲良くなれるなんて思っていなかった。
「思春期というのは、気持ちが変わりやすく、気移りしてしまっても、それは無理もないことだ」
という一種の甘えのようなものがあったことで、思春期に入ってからと、思春期を抜けてからでは、自分がかなり変わっているという自覚があった。
しかも、同じ時期に思春期を迎えている人も同じことが言えるので、思春期が終わった時、誰と友達でいるのかということはまったく想像もつかなかった。