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有双離脱

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「なるほど、旅主義ですね。それを言われると、これもどちらとも取れる言い方ですよね。ちゃんと説明してもらえればいいんでしょうが、ひょっとすると耽美主義という言葉を出した人にも説明というところで難しいかも知れないですね」
 と如月はそう言った。
「如月君は、自分の作品でそう言われたことはあったかい?」
 と、俊介に聞かれた如月は、
「うん、一度か二度あった気がするんだ、でも、俺の作品は、実は描いている時から、自分の作品が耽美主義という形で見られるかも知れないとは予想していたので、そこまでのショックはなかったんだけど、さすがに言われると、ショックがなかったとは言えないよ。相手が何を見てそう言っているのかというのが気にはなったので聞いてみたんだが、やはり、ハッキリとした答えは示せないようだった。もっともそれは想像の範疇だったので、怒ることはなかったけどね」
 と言った。
「普通だったら、怒りそうなものだけど?」
 と聞きなおすと、
「そうなんだけど、耽美主義というものが、そんなに悪いことだとは俺は思わないんだ。だから、耽美主義と言われて、実は悪い気もしなかったというのも本音なんだ。だって、ハッキリと感じたことを言ってくれたわけだろう? 人の作品について、何も言えない人が多い中でね。それを思うと、俺も耽美主義というものを俺なりに調べてみたりしたさ。絵画だけではなく、小説であったり、映画や音楽、写真の世界と、いわゆる作品と呼ばれるものに、耽美主義という言葉はくっついているんだよね。それを思うと、悪いことというよりも、いろいろな芸術を股に掛けた、大いなるジャンルであり、主義と言われるだけの市民権を持っているんじゃないかって思うんだ。実際に耽美主義と呼ばれる芸術家の中には、その名前を賞として頂く人もいたりするくらいで、俺はもっともっと、日の目を見てもいいのではないかと思うくらいなんだ」
 と、如月はいうのだ。
 確かに彼のいう耽美主義の作品で有名な芸術家には、そうそうたるメンバーがいる。ノーベル賞候補に何度もなりかかった人などもいるくらいで、如月のいうのも分かる気がする。
 しかし、さすがに耽美主義というものが、道徳を度返ししているというところが、なかなか芸術という分野において、異端であることはしょうがないことだ。
「耽美系の小説が好きだ」
 などというと、
「猟奇的だったり、変質的なものが好みなのかな?」
 と言われてしまうだろう。
 本当に好きなら、
「ああ、そうだよ」
 と言って、堂々と胸を張ることもできるのだろうが、そこまで思い入れがない人であれば、断言するのは少し憚れるに違いない。
「耽美主義というのは、なかなか理解されにくいジャンルでもあるしね。やはり道徳を廃するところが難しいところだね。どうしても世間では道徳が最優先される。秩序、倫理、道徳はどうしてもセットになるので、道徳を廃するということは、秩序も倫理も度返しすることであって、まるで無法地帯を思わせるのは、芸術の世界では無理があるだろう。だから、自分から耽美主義だと名乗る人は、本当に自分に自信がある人なんじゃないかな? やっぱり正統派に憧れる人が多いと思うんだ」
 と常連さんは言った。
「まあ、確かに、正統派に憧れるというのはありなんだろうけど、芸術家というのは得てして、他の人と同じでは嫌だという。自分だけが特別であってほしいという気持ちを心のどこかに持っているものだと思うんだ。だから、当さ熊谷のことは嫌がるし、二次創作などを絶対に受け入れられないと思っている人も多いと思う。オリジナルこそが芸術だってね。だから、芸術に親しむ人は、自分で作品を製作しない人であっても、見ている作品がオリジナルかどうかで、自分の中で作品の優先順位をつけていると思うんだ。それは、順位をつける以前の問題で、どんなにいい作品であっても、オリジナリティがなければ、駄作に過ぎないという考え方ですね。それは私にもあるかも知れない。特にここでこうやって個展を開きに来る人を見ていると分かりますよ。皆目が輝いていて、決してオリジナリティのない駄作を持ってくるような人は一人もいなかったからね」
 と、マスターが言った。
「人と同じでは嫌だという考えが、耽美主義の世界を作ったということなのかな? 俺は少し違うような気がするんだけどな」
 と、常連客は言った。
「そうだよ。それは違うよ、耽美主義というのは、別のところから発生していたのさ。元からあったと言ってもいいかも知れない。それはアダムとイブがイチジクの葉っぱで、陰部を隠したという話があるだろう? その頃から羞恥という考え方はあったのさ」
 と如月は言った。
「じゃあ、耽美主義が発展せずに、裏のまるで闇のようになってきたのは、道徳や倫理、秩序というものがあったからなのかな?」
 と、俊介がいうと。
「僕は、耽美主義というのは、ある意味でいうところの『必要悪』なんじゃないかって思うんだ」
 とマスターがいうと、
「必要悪ですか?」
 と、如月が訊き返した。
「うん、耽美主義というのは、確かに人間の心の裏、表に出してはいけないと言われるようなところを、表に出すために、『美』というものを使って表現しようとしていると思うんだね。だけど、耽美主義を否定してしまうとなると、『美』というものまで否定してしまいそうになる。だけど、それを芸術家の端くれであれば、否定することはできない。それはまるでキリシタン禁止令の中における踏み絵を踏むようなものだからね。だから、芸術家という人たちは耽美主義をいいものだとは思わないが、否定もできないものとして考えている。それって、結局、存在することで、どんなに悪であったとしても、必要なものだということで定義される『必要悪』と同じ理論に繋がってくるんじゃないかという考え方なんだ」
 とマスターは言った。
「なるほど、そうなると、ここで出てきた『美』というのは、必要悪を定義する意味での保険というか、担保のようなものだと言ってもいいのかも知れないですね」
 と、俊介がいうと、
「なかなか面白い言い方をするね。表現は少し微妙な気もするけど、概ねその考え方でいいと僕は思うよ」
 と、マスターはいうのだった。
「美というものを担保にするというのも、美もさぞやお安く見られたものだね」
 と俊介がいうと、
「それは違うよ。美というものと、羞恥という考え方を同じ次元で考えようとする人が多いからそうなってしまうんだと思うよ。もし、美と羞恥が違う次元であるとすれば、耽美主義は別に道徳を廃する必要なんかないんだ。それだけ道徳が美と同じ次元にあり、優先順位の絶対性を道徳に持たせようとするから、こういう考えになるんだ。最初から次元が違うということに気づいていれば、別に優先順位なんか関係ないんだ。それを思うと、芸術を語る連中に、耽美主義をどう思っているか、本音を言ってもらいたいと思うくらいだね」
 とマスターは言った。
 少し苛立ちを感じているようだったが、マスターは耽美主義と言われる人を応援したいと思っているのだろう。だとすると、如月や、この常連さんの両方ともに、耽美主義を見ているということかなのか?
作品名:有双離脱 作家名:森本晃次