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有双離脱

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「そりゃあ、素人の方が圧倒的に多いんだろうから、それはしょうがないことだと思うけど、絵を描く人からも辛辣なことを言われたのだとすれば、それをどう取るかだと思うんだけど、たとえば、絵を描く人の中には、人の作品を批判してしまうことで、今度は自分の作品も辛辣な意見が飛ぶんじゃないかと思って、決して人の作品を酷評しない人もいると思うの。そっちの方が多いんでしょうね。でも、中には、それでも言いたいと思う人もいるんじゃないかしら? その人は得てして、相手の作品の中に自分の作品との共通点を見つけてね。その見つけた部分を素直に批評すると、結果酷評になったという。ある意味、どうせ人から酷評されることになるかも知れないんだったら、最初に自分で酷評したいと思ったとしても無理はないよね。しかも自分の作品を自分で酷評するのもおかしいので、自分の作品も含めた気持ちで、敢えてその人の作品を酷評することで、ある意味、自己満足しているんじゃないかって感じるんだけど、都合のいい考え方かな?」
 とマスターが言った。
 マスターの言葉には、かなりの説得力があった。
「なるおど、そういうことなら、俺も納得するな」
 と、酷評されたことを気にしていた本人が、まるで目からうろこでも落ちたかのように、そういった。
「もし、相手が素人なら、それこそ聞き流せばいいんだ。絵画というのは、ただ見ているだけの人には決して分からない奥深さがある。それは、作者の人の感性であり、絵を完成させ、いくつも書いてきた人の中で育まれた、芸術への姿勢。それがあるから、自分の作品を発表したいと思えるのよ。ただ自分で描いて楽しむだけであれば、そこまでは感じない。誰だって、最初はそこから出発しているわけで、絵画という芸術は。そこが他の芸術とは違うところなんだね。だってピカソの絵だって、素人の誰があの絵を見て、素晴らしいと言えるのかと思うんだ、少しでも絵心がなければ、あの素晴らしさは分からない。よほど感性が同じでもなければね」
 と、如月はいう。
「そうだね、やはり如月さんは、芸術家だと思いますよ。芸術というものをしっかり把握できていて、人それぞれの感性からできあがっているものだと感じる人は、絵画に限らず、芸術的なものに携わっていないと感じないことだと思います。それが文芸であっても、音楽であってもですよ、芸術と呼ばれるものは、それぞれに違う感性が必要なのだけど、感性というものがどういうものかを、それぞれで尊敬しあっているから、理解できるのだし、自分の中で自信となって育まれていくものだって、思うんですよね」
 と、酷評を受けたという常連客が話していた。
「この店では席ごとにノートを置いていて、そのノートに展示作品についての感想であったり、自分なりの評価を書いてもいいことにしてあって、評価というのは、別のノートにしてあるんです。もちろん、展示が変わるとすべて新しくするんですけどね。その感想ノートも評価ノートも作者の人に個展終了後に渡すようにしているんだすよ」
 とマスターがいうと、
「ここでは個展を開く人皆ノートを使っているんですか?」
 と俊介が聞くと、
「使う人もいれば、怖くてノートを置きたくないという人もいるんです。でも、ほとんどの人がノートを置いていますね」
 とマスターが言った。
「やっぱり、個展を開くということだけでも勇気がいることなので、皆さん、せっかく開く個展なので、できるだけの感想や評価をいただきたいと思うんでしょうね」
 と俊介がいうと、
「でも、結構怖いものですよ、何て書かれるかと思うと、実際にもらってから見たくないと思いますからね。私の場合は実際にここで個展を開いている時は、見ようと思えば見ることもできるんだけど、怖くて見れなかったですね。最後まで終わってからでないと本当に怖いですよ」
 と常連客がいう。
「そうなんだよ。今見てしまって、そこに強烈で立ち直れないほどのことが書かれていると、自分の中で絵描き生命というか、そういうものが縮んだかのように思えるくらいになるからね。せっかく個展を開いてもらっているのに、怖くて、もう個展に来れなくなってしまいそうで、それも怖いと思うことなんだよ」
 と、如月は言った、
「だけど、辛辣な批評ってどんなものだったんでしょうかね?」
 と俊介が聞くと、少し皆考え込んでいた。
――ああ、訊いちゃあいけないことだったのかな?
 と思ったが、すでに聞いてしまったことなので後には引けなかった。
「まあ、いろいろあるけど、言われた中でひどかったのは、吐き気がしたなんていうのもあったね。でも、それはまだマシかも知れない」
 と、常連客がいったが、
「どうしてですか?」
 と俊介が聞きなおすと、
「それはね、吐き気がするというのは、その人の感情の表れを言葉にしただけで、他の人とは感情が明らかに違っているんですよ。しかも、それを言葉にするというのも、その人が精神的にどこかに闇を抱えているのかも知れないと思うんですよね。普通だったら、言われた相手のことを考えてしかるべきでしょう? それをしないということは、それだけ、病んでいるということなんじゃないかと、却って同情したくらいですよ」
 と、常連客は言った。
 そして、彼はさらに続ける。
「感情の話を批評に持ち込むのは、心が病んでいるだけではなく、いや、これも病みなのかも知れないんだけど、嫉妬の裏返しなのではないかとも思うんだ。自分にはできないことをその人ができているということで、本当の吐き気は、自分の作品が原因ではなく、その人が感じている嫉妬というものを自分の中で消化できないことが吐き気として、いわゆる自分の性格に対して拒絶反応を起こしているのではないかとも思えるんですよ。もっともこの考えは、かなり自分に都合よく考えているんですけどね」
 と言って、笑っている。
 その笑顔には余裕すら感じられ、相当辛辣なことを言われていて、ここまで言われると、トラウマになってしまうのではないかと思うようなことでも、それを余裕に変えられるだけの理論に対して、俊介は、
「恐れ入りました」
 と思わず心の中で呟いた。
「モノは考え方っていうけど、本当にあなたの考え方はすごいと思います。それだったら、少々辛辣なことを言われても、もうびくともしないでしょう?」
 と聞くと、
「そんなことはないですよ、僕だって、言われてショックが尾を引いたこともありますよ」
 と、彼は言った。
「それは、どういうことですk?」
 と訊かれて、
「耽美主義だといわれたことですね」
 というのだった。

                  耽美主義

「たんび主義ですか?」
 と聞きなおすと、
「そうです、耽美主義です・これは、道徳的なことを考えずに、それよりも何よりも、美の享受・形成というものに最高の価値があるんだという考え方なんですよ、美至上主義というか、とにかく美が何物にも優先するといえば少し大げさかも知れないけど、分かりやすい言い方になりますね」
 と彼は言った。
 それを横から聞いていた如月も、
作品名:有双離脱 作家名:森本晃次