有双離脱
それを思うと小説を書いている自分が何に対して興味を持っていたのか、その指針が定まっていないことを感じた。ハードルがさらに上がってしまったのだ。
最初にあれだけ上げていたハードルを、さらに上げてしまうというのはどういうことなのか、やはりそこには、
「もっと上手になりたい」
という欲が出てきたからではないかと思えてきたのだ。
そういう意味で小説を書くのをやめてしまった最大の理由は、
「最後まで書けなかったからだ」
というのは、全体を見た、核心を突いた理由であって、実際に具体的にいえば、もっと奥の深いものだったのだ。
そのことを、絵画を諦めてから、芸術に対して自分がなかなかうまくいかなかったことを思い返してみた時に、初めて気づいたことだった。
小説を書くということと、絵画を目指すことと、どちらも同じくらい、自分には向いていないと思ったのだが、絵画の場合は、小説を書くよりも、少し馴染みがあった気がした。
それは、小学生の頃の図工、中学以降の美術の授業で、デッサンであったり、油絵などと結構、
「やらされた」
という意識が強かったからだ。
どうしてお、学校の授業にあることは、興味のないことは、
「させられている」
という意識が強くなり、自分の意志でやろうとしても、その時の記憶がよみがえり、どこか躊躇してしまうものだった。
そういう意味での学校のカリキュラムを疑問に感じる俊介だったが、
「押し付けなんて、結局何も残さないんだ」
と思ったが、果たしてそうだろうか?
確かに俊介は、押し付けに対しては、反発しかなかったが、他の人は押し付けであっても、やってみると、結構楽しいと感じ、学校の授業の経験から芸術に走る人も多いことだろう。
どちらの人が多いかということであるが、、それが本当に、
「質より量」
ということで片づけていいものなのかどうか、考えてしまうのだった。
中学生までに、
「芸術をやってみたい」
と感じる人は結構いるだろう。
だが、俊介が感じたのは、高校生になってからだった。それが遅いのか早いのかは分からないし、それによって、果たしてできるかどうかというのも怪しいものだ。
それを思うと、なかなかやる気になっても、それを継続させるまでが難しいことは、ハッキリとしているのではないだろうか。
小説と絵画の違いは、一つに、
「奥行ではないか?」
とその時に感じていた。
絵画の場合は、目の前にあることを忠実に描きだすことが、一つの成果になるのだが、小説の場合の描写であったり、写生というものはそれだけではいけない。
確かに情景を思い浮かべるには、単純な描写や写生だけではうまくいかない。そこから先の物語にどのように影響してくるかということを考えながら書くことになるのだ。
時にはないものを付け加えたり、さらには、時間帯を想像して書いたりすることもある。小説を書いていて、最初から最後まで同じ場所でのことなどというと、よほどの短編か、ショートショートでもなければないことであろう。それを思うと、小説を書く上で、その長さが問題になってくるのだ。
「短編なのか、中編なのか、長編なのか?」
それによって、使う時間の幅であったり、登場人物の数も、ある程度決まってくるのではないだろうか、
短編なのに、いきなり時代が何百年も飛んでしまうのは、SFならありきなのだろうが、そうでなければ、無理がある。短編なのに、登場人物が十人を超えてしまうと、今度は描写にもよるが、混乱してしまって、読書の醍醐味である、想像力が生かされないことに繋がっていくに違いないだろう。
そんなことを考えていると、絵画と小説ではまったく違う構成になるのだと、いまさらながらに感じさせられた。
美術の授業と違って、小説を書くということは学校ではすることはない。せめて作文というものがあるくらいで、作文というものは、実際にあったことを、自分なりに見た光景を思い出し、そこに自分の気持ちを書き加えることで表現するものだ。
国語の授業の一環として、生徒の感性であったり、モノの目の付け所というものがどこにあるのかということを学ぶという意味での作文は、重要な教科になっているのだろう。
しかし、想像力を養うという意味で作文はほとんど機能していないのではないかと思った。
だから、小説は難しいものだと、最初からハードルを上げてしまっていたのだった。
小説にしても、絵画にしても、何か共通点があり、その共通点は結界のようになって描けないのではないかと思うようになったが、それは逆にその共通点がなければ、そもそも、描いてみようなどという発想にも至っていないような気がした。
それが何なのかというのをずっと考えていたが、しばらくは分からなかった。ただ、あれは最初に小説を書こうと思った時にことだったか、
「小説を書きたいと思っている」
ということを、大学の近くの馴染みの喫茶店で話した時、マスターが、
「何とか主義」
と言っていたのだが、それが何だったのか思い出せない、
初めて聞く言葉でもあったし、イメージとしては、あまりいいイメージを思いつかなかったので、気にしてはいけないことだと感じるようになっていた。
それを思い出させてくれたのが、ギャラリー「くらげ」のマスターだった。常連客と如月、そしてマスターとの話の中でのことだった。
如月の作品展のちょうど中間くらいの頃だろうか、その頃には俊介も、この店の常連と化していた。
その頃までに結構いろいろな人と話もした。その中には、芸術についていろいろ話をする常連客もいた。
「私も以前は、ここで個展をさせてもらって、あれから他のところでもちょこちょこ、展示させてもらうようになったんだけど、自分の作品は、少し特徴が深いと言われたことがあったので、それをいい方に捉えるか、悪い方に捉えるか、考え方が二つに別れるのよね」
と言って、皮肉っぽくマスターを見ていたが、
「まあまあ、そう言わずに、あなたの作品は、個性があるという意味でそれは素晴らしいことだと思いますよ」
とマスターは苦笑いをしながら言った。
「うん、確かにそうなんだと思うけど、私の作品は以前から、結構辛辣な評価をする人もいたりしてね。怖すぎるとか、どこをどう見ればいいのか分からないとかね言われたことが結構あったんです」
とその人がいうと、
「それは、絵を描く人から言われたんですか? それとも素人の人から?」
と、如月が聞くと、
「どっちもかも知れないけど、やっぱり、素人の人の方が多いカモ知れないな」
と言っていた、