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有双離脱

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 そもそも、俊介は大人しめの女の子が好きなので、日本人の女性でも、目力のある女性は苦手だった。
 その目で見つめられると、
「まるでヘビに睨まれたカエル状態だ」
 と感じていた。
 ただ、それは、自分がまだ大人になり切れていないからではないかと思っていた。
 中学生の頃に思春期を迎え、実際に女子を意識するようになったのは、中学三年生と、結構晩生だった。
 晩生だっただけに、余計に、それまでまわりの友達に、彼女がいるということに対して嫉妬心を抱いていたはずなのに、その嫉妬心がどこから来るのか分からなかったことで、悶々とした気持ちになっていた。
 それだけに、自分の悶々とした気持ちの正体が、彼女を連れている友達への嫉妬心だと思うようになると、
「俺も彼女を連れているところをまわりに見せつけて、まわりのやつらを悶々とした気持ちにさせたい」
 という気持ちになっていた。
 それが、元々の女性への興味の始まりだった。
 他の男子連中が、女性に興味を持つ最初のきっかけが何なのか分からないが、始まりが嫉妬だというのは、無理もないことだろう。
 俊介は知らなかったが、典子も同じ感覚だった。典子自身が嫉妬心を表に発散させることで、恵子との間に生まれた嫉妬心を持った人に嫌がらせをさせるという間接的な関係になってしまい、そのために、嫌がらせの理由がなかなか分からなかったことに繋がったのだということを、典子は分かっていなかった。
 だが、典子も、俊介も嫉妬心という意味で共通点があった。ただ、俊介の場合は、ほとんどの女性を嫌いにはならないのだが、数少ない嫌いなタイプというのは、本当に生理的に受け付けない、気持ち悪いというほどに感じる相手だというのは、極端ではあるが、考えようによっては、無理のないことだった。
 俊介にとって、目力の強い女性が苦手だと思ったのは、嫉妬から、いつも自分の隣には自分に従ってくれる女性を置いておくという気持ちが強かった。つまりは、従順である必要があり、目力の強い女性を、
「気の強い女性だ」
 と思い込んでいる時点で、最初から拒否反応を示していたのだ。
 目力の強さはどこか、気持ち悪さを感じさせる、それは相手が、何でも見透かすことができる女性だということを感じるからだった。
 そういう意味では自分にあまり自信のない俊介は、メッキを剥がされるのが怖かった。ウソでもいいから、信用されていないかも知れなくてもいいから、まわりから見て、俊介に対して嫉妬させるだけの女性であれば、それでよかったのだ。
 逆に、
「どうして、あんな男に、あんないい女がついているんだ?」
 という言われ方にも憧れがあった。
「俺の友達に芸能人がいるんだ。羨ましいだろう?」
 というノリであったが、それは、中学生の頃であればありえることだが、高校生になってからは、そういう思いを抱くことはなくなった。
 中学時代までは、自分が人から羨ましがられることであれば、何でもよかったのだ。羨ましがられる相手が自分でなくて、隣にいる人であっても、それはそれでよかった。それだけ、自分に自信がなかったからなのか、自分を見ていなかったからなのか分からないが、それも思春期の間の、
「大人への階段をゆっくりと昇っている過程だ」
 と言えるのではないだろうか。
 だが、高校生になると変わってきた。
 自分では、
「思春期はもう抜けているんだ」
 と思っていたが、実際には抜けていなかったのではないか、
 ある意味、
「第二思春期」
 と言ってもいいだけの時代を、高校生になって迎えたのではないかと感じたのだ。
 その頃になると、自分というものへの見方が変わってきた。それまでは漠然とした自分がいるのだが、
「自分を見てみたい」
 という意識はほとんどなかった。
 どちらかというと、まわりのことが強く感じられ、まわりの視線も、自分でなくても、自分と一緒にいる人に向けられて、それで自分が羨ましがられることを喜びにしていたくらいなので、自分への意識は希薄だったということだろう。
 だが、高校に入った頃になると、急に、自分が見えないのが、気持ち悪く感じられた。
「どうして、鏡などの媒体を使わないと、自分を見ることってできないんだろう?」
 という漠然としてはいるが、当たり前と思われていることが、頭の中でクローズアップされてくるのだ。
 そのうちに、
「嫉妬されるのであれば、自分でなければ意味がない」
 と思うようになった。
 そのきっかけは、高校で毎年開催されている、
「クラス対抗弁論大会」
 でのことだった。
 高校一年の時、クラス代表がベストスリーに入ったのだが、
「あれくらいなら、俺にだって」
 と思っていたのに、表彰されるのを見せつけられ、悔しい思いをした。
 そもそも、自分が参加もしていないのに、悔しい思いをするというのは、ただの嫉妬でしかない。だが、その嫉妬が次第に自尊心をくすぐるということになってきて。
「じゃあ、二年生になったら、この俺だって出場して優勝してやる」
 と思い、実際に二年生になると、自ら立候補して、出場することになった。
 クラスの代表のほとんどは、皆から推薦されて出場していて、口では、
「嫌だな」
 と言いながらも、まわりから期待されていることに喜びを感じている人がほとんどであるので、辞退しようなどという人は一人もいない。
 しかも、自分から出場しようなどという殊勝な人もいないので、毎回同じパターンで、同じメンバーが選出されていた。
 それなのに、俊介が真っ先に立候補した時、クラスの中でどよめきが起こった。
「まったく想像を絶するものだ」
 と言わんばかりだった。
 ただ、クラス代表は基本的には何人でもいいことになっているようだ。だから、俊介以外でも出場選手はいた。もちろん、いつもの最初から分かっていたメンバーだった。
 完全に自分に酔っていた俊介は、
「優勝はもらった」
 とでも感じていた。
 リハーサルでも、先生に褒められたこともあって、さらに有頂天になったのだが、実際に蓋を開けてみれば、出場生徒二十人弱の中で、下から三番目という散々たる成績だった。
「最悪でもベストスリーには入るつもりだったのに」
 という予定が、
「最悪のワーストスリーになってしまった」
 という結末が待っていた。
 これは一体どういうことだろうか?
 その時、自分が弁論したテープを放送部の人に聞かせてもらったが、それを聞いて、正直愕然とした。声のトーンは高くなりすぎている。以前、自分の声だと言って聞かされたことがあったが、あの声よりもさらに高かった。しかも、声が小さく何を言っているのか分からないくらいだ。
 訛りも酷いようで、自分でもどこの訛りからは分からない。訛りのある土地に住んだことはなかったはずだが、もし考えられるとすれば、子供の頃に一緒に住んでいたおばあちゃんの訛りではないだろうか、
 おばあちゃんは、今は田舎に引きこもってしまったが、確か岡山県だという。だから、岡山弁というのは、
「老人が多い土地柄だ」
 という意識になってしまっていた。
作品名:有双離脱 作家名:森本晃次