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有双離脱

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「昔々、鳥の一族と獣の一族が、どっちが強いかということで戦争をしていたらしいんだ。それを見ていたずるがしこい一羽のコウモリは、獣の方が有利になると、獣たちの前で、自分は全身に毛が生えているから、獣の仲間だと言ったんだよね。だけど、今度は鳥が有利になってくると、自分は羽があるので、鳥の仲間だと言って、それぞれに都合のいいことを言って立ち回っていたんだ。だけど、その後、鳥と獣が和解して戦争が終わると、何度も寝返りを繰り返して、それぞれにいい顔をしたコウモリは、鳥からも獣からも嫌われて、仲間外れにされたんだ。だから、まわりから、お前のような卑怯者は表に出てくるなと言われたことで、コウモリは、夜行性で、洞窟などの暗いところに身を潜めて暮らさなければいけなくなったという話さ」
 というではないか。
 なるほどとは思ったが、この話が制服フェチとどう関係があるのかは定かではない。ただ、もし、セーラーとブレザーの中間を好きな人がいるとすれば、このコウモリのように、密かに自分の性癖を知られないように、絶えずどちらかに歩み寄るような態度を取っているのではないかということであろう。
 ただ、この場合に卑怯なコウモリを出してくるというのは、それだけ、発想が捻くれているということかも知れない。
 そもそも、フェチというものは、その好きなものに種類があれば、そのどれか一つを推すというものなのであろうか? 全体的に好きだという発想では、フェチとは言えないのだろうか? そのあたりは、ハッキリとは分からない。だが、どれか一つを好きであっても、すべてに対して愛情を注ぐだけの気持ちがあったあとしても、まわりからは、フェチとして、気持ち悪がられるという宿命のようなものを持っているのかも知れない。
「そんなフェチと、卑怯なコウモリの話を一緒に考えるというのは、何か意味のあることなのかも知れない」
 と、俊介は思ったが、気持ち悪いという意味ではどちらも共通点がある、
 声フェチでもある俊介は、制服フェチとまったく関係のないものだと思っていたが、本当にそうなのかと最近考えるようになっていた。
 同じフェチにでも共通点もあれば、まったく違っているところもある。人によっての違いなのか、性癖は似ている人間にはそれなりの共通点があるのか、もしそうであるとすれば、
「類は友を呼ぶ」
 というではないか。
 さらに減血について考えることとして、
「何か二つのものを対象に見ているような気が知る」
 と感じていた。
 例えば、制服フェチであれば、セーラーとブレザー、声フェチであれば、高音と低音。もっとも他にもパターンはあるのだろうが、フェチとして話が合うのは、そのどちらかを自分で分かっているからではないかと思うのだった。

                 芸術賛美

 店にやってきた典子は、最初から如月を目指してきているようだった。元々、典子は恵子のことで、嫉妬の対象になったことで、一時期人を好きになるのが怖くなった時期があった。
 しかし、それは、
「そもそも女性同士の間に友情を感じたことで、変に勘違いされたことが原因だ」
 ということだったわけで、人を好きになることを怖がる必要はなかったのだろう。
 だが、そのことに気づいた典子は、今度はノーマルに男性を好きになりたいという思いを抱くようになった。それは、
「遅れてきた恋愛感情」
 ということもあり、晩生であればあるほど、その熱心さは常軌を逸しているということもあるというではないか。それは、焦りを感じるからなのだろうが、その時の典子が焦りを感じていたのかどうか、見ている限りではよく分からなかった。
 典子が店に来た時、最初から目線は如月だった。如月は、視線が偶然あっただけだと思っているようだが、典子は違った。そして、思わせぶりな態度、一種のあざとさによって、如月が知らず知らずのうちに、典子を意識させるように仕向けていたのではないだろうか?
 そんな典子の態度に気づいたのは、俊介だった。
 俊介は、典子のことを知っているのは当然で、
「妹の恵子の友達」
 として認識していた。
 だが、典子を見ていると、確かに可愛いというイメージはあるのだが、俊介のタイプではなかった。
 俊介は、結構女の子のタイプではあまり嫌いなタイプはいないはずだったのだが、最近、嫌いなタイプもいるのではないかと思うようになった。最初はどうしてそう思ったのか分からなかったが、もちろん、どうしても好きになれないタイプの子が現れたからであろうことは、普通に考えれば分かることだ。
 では、それが誰なのか? 考えてみたが分からない。
「もしかして、無意識に見ていて感じることなのかも知れない」
 と感じた。
 つまりは、
「嫌いな人だと意識して見ていると、そんな人を見つけることはできないのではないか?」
 という思いであった。
「皆自分のタイプの女の子だ」
 と思って、ずっと女の子を見ていれば、そのうちにどうしても、自分と合わないと思える女の子が出てくるのを気長に待つしかないだろう。
 しかし、そんな労力を使うだけ無駄だというものだ。普通に意識さえしていれば、そういう人がそのうちに見つかるというだけのことで、そもそも、嫌いなタイプが分かったところでどうなるものでもない。
 逆に、
「嫌いなタイプがほとんどいない中で、本当に好きな人は誰なのか?」
 と考えた時、本当に好きな人を探す方が大変で、さらに重要なのだと思えば、探そうと思うだろう。
 しかし、実際にはなかなか見つからない。
 そこで考えたこととして、
「本当に好きな人は、自分が嫌いだと意識した人と正反対の人ではないか」
 とも思えたのだ。
 そうなると、嫌いなタイプを探すということの必然性も出てくるというもので、果たしてどちらが難しいかを考えると、本当に好きな人を探すよりも分かりやすいような気がしたのだ。
 幸い、友達の中に、
「俊介は、天邪鬼じゃないか? 皆がブサイクだとか、好きになれないと言っている女性を好きだというし、皆が好きなタイプの女性を、苦手だという。まるでわざと言ってるんじゃないかって思うくらいだ」
 というやつがいて、その友達の言葉を思い出した。
 確かに、俊介は嫌いなタイプは少ないが、それは日本人の中での話で、それが外人となるとまったく違っている。
「金髪のナイスバディなお姉さんに憧れるよな」
 と言っている、ちょっとませた連中の話を訊いていると、吐き気がしてくるくらいだった。
 俊介は外人の女が嫌いだった。どこか気持ち悪く感じる。それは肌の色が違うというのもあるが、あのセクシーと言われる態度にあざとさのようなものが感じられ、海外映画でのベッドシーンなどで見せる大げさな素振りや、まるで猛獣が叫んでいるような声を聴かされると、鳥肌が立つほど気持ち悪く感じられた。
 最初は、それがどこから来るのか分からなかったが、最近では分かった気がした。ただ、これは俊介が一人で勝手に抱いている思いなので、皆は同じものを見ても違う感覚になるのではないか。だから、外人の女をセクシーだと言えるのだろう。
 何が気持ち悪さを感じさせるかというと、その目力であった。
作品名:有双離脱 作家名:森本晃次