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有双離脱

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「もし、彼が、ここでの個展を躊躇うことがなければ、最初からそのつもりでお金を貯めていたということだろうな」
 と思っていると、
「俺、ここで今度個展を開くんだ、来てくれよな」
 と言われた。
「うんうん、俺も楽しみだ。お前の作品が他の人からどんな評価を受けるかによって、俺の作品もその指標になる気がするからな」
 と、俊介はまるで自分のことしか考えていないような言い方をしたが、それはそれで如月の方も別に問題にしていないようだ。
「そうだな。俺の作品への評価がお前の作品の評価基準にもなると思うと、責任重大だな」
 と答えた。
 それは、如月にとっても、初めて自分の作品をギャラリーとして開く個展なだけに、人の評価基準など、別にどうでもいいことであろう。まずは、自分の作品をいかに展示するかを詰める必要もあるだろう。
 そういう意味で、確かに如月が言っていたように、
「作品の並び順にも意味があるんだよ」
 と言っていたのも分かる気がする。
「どういうことなんだい?」
 と聞くと、
「君は、ここに並んでいる作品が見た目で、例えばキャンバスの大きさなどで配列されていると思っているかも知れないけど、そうじゃないんだ。展示をするには、まず展示をする上での一番大きなコンセプトがあって、そのコンセプトによって、自分の作品を選ぶんだ。そして、選んだ作品を、まるでストーリーが存在しているかのように配列を考える。見ている人には、順番などどうでもいいと思う人がほとんどだと思うんだけど、この配列こそが、作者の勝手で自由なところなんだ。絵は見てもらう人のために描くわけではなく、描きたいものがあるから描くんだよ。それを忘れないようにするためにも、この順番というのは結構重要だったりするのさ」
 と、如月は言った。
「でも、見ている人が分からないというのは、どうなのかな? って思うんだ。せっかくなんだから、知らないというのはもったいないと思わないかい?」
 と俊介がいうと、
「いや、それは価値観の問題なんじゃないかな? 僕は絵の順番にこだわったのは、素人だけど、プロのような気持ちで展示したいという、ささやかな抵抗のようなものかも知れないんだ。だから、絵の順番まで考えているということが見てくれた人に分かってしまうと、自分のことを、この人はプロなんじゃないかって思うかも知れないだろう? それが嫌なんだ。僕はあくまでも素人であって、プロではないんだからね」
 と如月は言った。
「それって、そこまでこだわる必要あるのかな?」
 と、俊介がいうと、
「それはそうだろう。僕は素人だからプロも展示しているような公共の美術館などでは展示ができない。だけど、こういうギャラリーだったら、いくらでもできるんだよ。しかも、こっちがお金を払ってね。これって、素人だからできる特権というか、楽しみでもあるんだよ、というのは、何でもかんでも自分でしなければいけないだろう? もちろん、店も協力はしてくれるけど、お金を出すのは作家なんだから、いくらでも好きにできる。マスターはアドバイスはするけど、そこまでだよね。要するに、ここで僕の考えていることは素人なだけに人に知られたくないんだ。この思いは恥ずかしいとか、おこがましいとかではなく、素人であるがゆえの贅沢なんだって僕は思っているんだ」
 と、如月は言った。
 如月の話を訊いていると、
「気持ちだけは、プロなんだな」
 と思えてきた。

                   制服フェチ

 ギャラリー「くらげ」で、個展を催している如月だったが、期間としては、二週間程度だった。ほとんどの人は二週間くらいを予定しているようだ。
 スペースを借りる値段としては、学生としては高いのかも知れないが、普通にアルバイトをしても十分に借りられる。ちょっとした旅行にいくことを思えば、全然安いと思っていい、
 旅行に行けば、友達ができたり、思い出ができるかも知れないが、自分の個展というのは、特別なものだ。自分の世界を公表できる場所であり、何と言っても自己満足に浸れる。普通なら、
「自己満足という言葉は何か、後ろめたさがあるんだけど、でも別に悪いことではないよな」
 と思っているが、まさにその通りで、
「自分で満足できないものを人に勧めるというのもおかしな話」
 ということで、如月も、俊介も、二人とも、自己満足という言葉が嫌いではなかった。
 今回の個展はそういう意味で、
「誰に憚ることなく、自己満足に浸ることができる時間」
 という意味でも、お金に変えられないと思っている。
 それに、同じように芸術を志す人と友達になれるかも知れない。実際に、今のところ絵を描いているという人に友達はおらず、自分から募集してもいいのだが、それよりも、自然に知り合える機会があったようないいような気がしていた。
「あわやくば、プロや評論家の目に適ったりして名」
 と冗談でそういったが、ぞの可能性だってまったくないわけではない。
 とにかくやってみないと分からないのだ。それは、芸術であれ、スポーツであれ、同じことではないだろうか。
 ただ、さすがに今のところ、プロになりたいとは思わない。いずれは分からないが、今は自由に自分を表現したいのだ。
「如月さんの作品には、なかなか趣のようなものがありますね」
 とマスターは言ったが、
「趣?」
 と聞き返したが、それ以上の答えは得られなかった、
「絵を描くというのは、自分を見つめなおす時」
 などという人が講師の絵画教室のテレビがあったが、少し見てみたが、
「こりゃあ、当たり前のことを当たり前に話しているだけだ」
 と思い、それ以降見なくなった。
 当たり前のことをいうのは別に構わないのだが、皆同じ手法になってしまっては面白くない。もっといえば、同じ手法で絵の勉強をしても、皆それぞれに性格があるのだから、その人の描き方と合わなければ、上達もしないだろう。
 そこで、
「俺は絵に向いていない」
 と思い、絵を描くのを諦めてしまえばそこで終わりである。
「他の先生を探してみるか、それとも我流で描くようにするか」
 のどちらかなのだろうが、如月の場合は、どうやら後者だったようだ。
「しょせん、人の言うことを聞いて、その通りにしたって、サルマネにしかならないんだ」
 ということであった。
 モノマネならまだいいのだが、サルマネともなると、ただ、模写しているだけだ。モノマネのように、特徴を掴んで、そこをいかにすれば目立つようにできるかということを大げさなくらいな表現にするには、自分のオリジナルを入れるに限るのだ。
 そのオリジナルができないのであれば、その人には素質がないのかも知れないと思い、その道を諦めるのも一つであろう。
 そう思うと、モノマネというのも、模倣という表現を使えば、別に悪いことではないような気がした。
 如月の絵は、完全にオリジナル、一度は本を読んだりはしたが、それはあくまでも入門編であり、それ以上でもそれ以下でもない。絵の才能があるのかないのかも分からないが、それだけに、個展を開くのは勇気が行った。
作品名:有双離脱 作家名:森本晃次