無限への結論
それは、なかなか上げないのではなく、自分が勝手に時間をゆっくり動かしているかのようだった。まるでスローモーションでも見ているかのような素振りで、りえ嬢は顔を上げたのだった。
上目遣いのりえ嬢に、すっかり参ってしまった松岡は、ムーンとした空気が鼻を突いたかのように感じ、その匂いがりえ嬢からしてくることに、身体がすっかり反応してしまった。
「どこかで見たことがあるような……」
と感じたが、りえ嬢はまったく表情を変えようとはしない。
考えてみれば、ここは初めてやってきた三十年後の世界。りえ嬢を知っているわけなどあるはずないではないか。
だが、その顔に懐かしさを感じたのは、高校時代に、バスの中で見ていた近くの女子高に通う女の子に似ていたからだった。
あれは初恋だったのかも知れない。
まだ当時は、将来どうしようかなどということを考える前だったので、
「研究に没頭しているので、他のことは考えられない」
などという言い訳もなかった。
だが、何でもできた時期でもあった。そのくせ、何でもできるという意識があったくせに、結局何もしなかった。いやできなかったのだ。何をどのようにすればいいのか、それすら分からない。分かっていれば当然分かってくる。その時の彼女に一声くらい掛ければよかったとは後になって後悔したこと。
後悔はしたが、
「あれでよかったんだ」
とすぐに思った。
声を掛けていたとして、その後何をどのようにすればいいのか、まったく分かっていない。声を掛けられなかったのは、そのことを自分の中で無意識に分かっていたからだ。冷静になって考えれば、どんなに気が動転していても、答えを見つけることができる。それがその後の自分が研究をすることになったタイムマシンに対しての姿勢であった。
だが、今回はもうあの頃の自分ではない。一つのことに集中しやり遂げたのだ。そのせいでこんなことになってはいるが、研究に対しては一切後悔していない。それだけ自分が出した成果が大きかったのかということを示しているのだった。
「お客さん、童貞のようですね?」
と言われ、少し恥ずかしがっていると、
「お客さんは、どちらから来られたんですか?」
という話になった。
「いや、さっきもね。表にいた女性スタッフから同じことを聞かれて、さっきは話をはぐらかされたんだけど、その気になっていたことを、りえさんからまさかこのお部屋で言われるとは思っていなかったので、少しビックリしているところなんですよ」
というと、
「うふっ」
と、ニッコリと笑ったかと思うと、
「それはきっと、表でしてはいけない会話だからでしょうね」
というではないか?
「私がどこから来たのかということをですか?」
「ええ、そうです。どうやら、あなたは、少なくともこの県の人間ではないということは分かりました。ただ、それだけではないですよね? 正直まったく事情を分かっていないように思ったんですが」
というので、
「ああ、まあ、そうなんですが、そのあたりはオブラートに包みたいということでいいですか? とりあえず、私もここがどういう街なのか、正直戸惑っています。できれば教えてほしいと思っています」
というと、
「分かりました。たぶん、あなたが違う世界からやってきた人だという意識で話をさせてもらいたいと思うんですが、この世界では、県によって、それぞれ法律が違っているんです」
「えっ、それって合衆国のような感じですか?」
「少し違いますが、ほとんどそれに近いと思ってもらっていいと思います。昔の条例が法律と同じで、裁判などでも、大きな効力を発揮します。だから、越県した時は、国境を渡ったかのような感じで、そうですね。ちょうどヨーロッパのような感じだと言っていいかも知れないですね」
「じゃあ、貨幣はどうなるんですか?」
「それは日本全国で共通です。でも、税金はそれぞれの県に収めることになるので、中央政府は存在しますが、行政の運営の主体は、書く都道府県なんですよ」
「そうなんですね」
「日本という国は、二十年前に一度、国家が崩壊しています。そこから立ち直るのに十五年が掛かって、やっと最近、軌道に乗ってきたというところでしょうか?」
「じゃあ、崩壊後の日本は、混乱していたんでしょうね?」
「世界の各国や国連が崩壊した日本をどのようにするかということで、各地域を一つの国とするように考えたんですが、それもうまくいかず、今のようになりました。アメリカの州よりも、厳格なところがあるくらいです」
「日本は変わってしまったんですね……」
「それで、この県の独自の法律として、成人法というのが独自に制定されたんです?」
「成人法?」
「ええ、実際にはもう少し長い名称なんでしょうが、通称で成人法ですね。この法律は、ほとんどの法律は今は満十八歳に達すれば、成人ということになるのですが、これは分かりますよね?」
「ええ」
「そこで、十八歳になったら、二十歳までの間に、男性であれば童貞を、そして女性であれば処女を卒業しなければいけないという条項があるんです」
「ん? それはどういうことでしょうか? 性に対して行政が絡むということは、普通は考えにくいんですが」
というと、
「この考え方には、根拠が二つあります。一つは、少子高齢化がかなり進んでいるということです。全国レベルでは水準を少しずつ上回っている程度だったんですが、この県ではかなり深刻なんです。したがって、結婚をなるべく早くさせて、子供を産んでもらうという考えですね。だから、父親が二十歳から二十五歳までに生まれた子供には県から結構な補助金が出ます。でもその分、それ以降に生まれた子供の分は結構削られるんですよ。そこも難しいところなんですけどね」
「なるほど、じゃあ、もう一つというのは?」
「これは、もっとハッキリとした理由で、性犯罪が爆発的に増えたからです。夜中に女性を襲ったりするのはもちろんなんですが、女性に危害を加えるわけではないんですが、自分の陰部を曝け出す、以前の公然わいせつのような、いわゆるくだらない罪が増えたんです」
「何か、両極端ですね」
「そうなんです。この両極端な犯罪のギャップを政府や専門家が危惧したんです。変質的な犯罪も凶悪な犯罪も、どちらも性的欲求不満から来ているのではないかというね。そこで考えられたのが、童貞や処女を早めに卒業させ、正常な精神状態にさせることで、結構を早めて、それを少子高齢化問題をも一気に解決させたいという思いからの法律なんです。要は、それだけ両極端な状態は危険だったということなんです」
というりえ嬢を見ていると、少し寂しそうにも見えたのだが、
「それで、成功したんですか?」
と、りえ嬢の雰囲気に気づいているにも関わらず、気付かないふりをして、話を続けたのだ。
「一応は、成功のようですね。犯罪も減ってきたし、実際に二十歳過ぎくらいで結婚する人も増えましたからね」
「でも、この話はあくまでも、性犯罪に対してと出産という意味で、恋愛感情にはあまり感知しないところに思えるので、性以外の夫婦生活が円満に行けているんでしょうかね?」
と松岡が聞くと、