無限への結論
まるで、テストで百点を取って、そのご褒美に好きなものを買ってもらうということで、親から連れて行ってもらうおもちゃ屋さんの前にいるような感覚だった。
今回の童貞卒業は、曲がりなりにもタイムマシンを完成させることができたご褒美なのだ。あの時のドキドキを彷彿させ、気持ちよさが身体の奥からこみあげてくる。
中に入ると、昔のポン引きのお兄さんが、
「兄さん、ええ娘いまっせ」
と、まるで昭和を彷彿させるようだった。
――令和の風俗はどこに行ったんだ?
と思った。
ただ、お兄さんは声を掛けるだけで、こちらが興味を示さないと、すぐに中に入っていった。令和の頃だと、声を掛けないくせに、表をウロウロしているスタッフがいたりして、却ってこっちが気を遣うというおかしな状況があったりするものだ。
松岡は店に入ったことはなかったが、風俗街を歩いたことはあった。もちろん、一人ではなく、何人かであったが、店に入るつもりはなく、それなのに歩いている自分たちが本当は悪いのだが、相手が声をまったく掛けてこずに、睨みさえ感じたのは、あの男たちなりに、こっち中に入ろうという意識がないことを分かっていたということなのだろう。
だが、この時代のスタッフと思しき人たちは、こちらが話しかけないとまったくの無視で、睨んでくることもない。やはり、三十年でかなり違ってきたのだろうか?
そう思って歩いていると、一人の女性が声を掛けてきた。昭和であれば、ちょっとまずいと思わなければいけないのだろうが、その時の松岡はそんなことは微塵も感じなかった。
「お兄さんは、童貞なのかしら?」
と言ってきた。
「はい、そうですが、よく分かりましたね」
と、本当であれば、照れ臭くて顔を合わせることのできない質問に対して、こうも違和感なく答えられるなど、自分でも分からなかった。
「どうやら、私があなたを童貞だってどうして分かったかって、不思議そうですね?」
というので、
「あっ、いや」
としどろもどろになっていると、
「私には分かるというよりも、普通、女性であれば分かるものですよ。男性だって、見慣れれば女性を処女かどうかというのは、すぐに分かりますよ」
というではないか、
「何か態度に特徴があるんですか?」
「態度もそうですけど、顔に、経験があるかないかの見分けがつくところがあるんですよ。それさえ分かれば、あとは態度を見れば見当はつきます。ところであなたは失礼ですが、見た目は、二十代後半くらいに見えますが、間違っていればすみません」
と言ってきた。
「まあ、そうですね。でも、そんなにこの年で童貞って珍しいですか?」
と、松岡がその女性がこちらを見る目を気にしているのに対して答えると、さらに彼女はまた目を少し細めて、明らかに訝しがっている。
彼女は年齢的には自分と同じくらいだろうか。表にいるということは、どこかのお店のスタッフなのかも知れない。
「あなたがどちらから来たのかはよく分かりませんが、どうやら、この土地の人ではないということは分かりました」
というではないか。
「どういうことでしょう?」
と聞くと、話をはぐらかして、
「分かりました。無理にとは言いませんが、うちのお店の女の子と遊んでやっていただけませんか?」
というではないか。
言っていることは、完全な客引きなのだが、松岡にはそれだけではないような気がしてきた。彼女の言い分をそのまま受けるのは癪だという思いはあったのだが、何しろこの時代に関して何も分かっていないし、こんな自分に声を掛けてきたというのも何かの縁な気がする。入ってみることにした。
中で写真を見せてもらい、皆アイドル化女優のようなイメージで、さらに妖艶さを含んでいることから、なかなか選べない自分が優柔不断に見られるのが、どうも嫌だった。しかし、何度か写真を見ているうちに、自分の好みにドストライクの女性がいることに気づき、
「この娘にします」
と言って、指を差した。
今まで自分がどういう女性がタイプなのかということを、まったく分かっていなかった。というよりも、考えたことがなかったと言ってもいいくらいで、実際に写真を見ただけで、そんなにビッタリとしたインスピレーションに引っかかってくるなんて思ってもみなかった。
しかし、こういう店は、パネマジがあるということを聞いたことがある。
「写真写りがやたらといい女の子がいるから、パネマジには引っかからないようにしないとな」
と、言われたことがあった。
「パネマジ?」
「パネルマジックのことさ。光の角度やカメラの性能で、必要以上に綺麗に写すテクニックさ、アイドルの写真なんかにはよくあるけどな」
と言っていた。
「なるほど、写真を先に見て、テレビを見た時、幻滅したアイドルもいたっけな」
というと、
「そうさ。ひっかかっちゃだめだぞ」
と、いかにも先輩ぶって言われたが、その時は、半分鵜呑みにはしていなかった。
それが本当であっても、その時の自分には関係ないと思っていたのだ。それだけ研究に熱心だったということだ。
待合室で待っている時間が、これほど長く感じるとは思ってもいなかった。他の客が誰もいなかったのはよかった気がしたが、こんな時でも一抹の寂しさを感じるのかと思うほど、少し気になってしまった。
タバコは吸わない松岡だったが、他の人がいないのは幸いだった、テーブルの上にはシガレットケースとライター、それに灰皿が置かれている。すべてが金色で、薄暗がりの待合室の中でも光って見えたくらいだった。
「受動喫煙は、どうなったんだ?」
と感じたが、ついさっきも同じことを感じた気がした。
あの時は、途中で意識が朦朧とした気がしたが、確かファミレスでのことだったはずだ。
「あの時、結局どうなったんだろう?」
思い出せなかった。
この世界に来てから見るものすべてが珍しいと思うか、懐かしいと思うかのどちらかなのだが、どうもそのすべての意識が中途半端で終わってしまっているように思えて仕方がなかった。
そんなことを考えていると、今度は男のスタッフがやってきて、自分の前にひざまずくと、
「お客様、お待たせいたしました。ご案内いたします」
と言って、まるで自分の執事か奴隷のような態度だった。
さすが高級店、一味違うと思った。今まで入ったこともないくせに、なぜか懐かしさを感じる。それはスタッフに案内されて、女の子と対面した時にも思ったことだった。
スタッフに誘導されて、
「このカーテンの向こうに、女の子がおります。どうぞ、ごゆっくり行ってらっしゃいませ」
と、まるでホテルのフロントマンのようだった。
カーテンを開けると待望のご対面、どうやら、一番興奮が最高潮なのはこの瞬間なのではないかと思った。
「いらっしゃいませ。りえでございます」
と、自分が選んだりえ嬢が、膝をと三つ指をついて迎えてくれた。
ワンピースというべきか、シースルーのネグリジェのような姿で迎えてくれたりえ嬢は、なかなか顔を上げようとしない。