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無限への結論

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 そう思うと、まずは、なぜ自分がこの世界にやってきたことを、タイムマシンを隠したところで張っている連中が知っているのか、そして、自分を探しているとすれば、自分にどんなようがあるというのだろう? もし、自分が過去に帰ることを阻止しようとしているのであれば、やつらはきっと必死になって阻止するに違いない。何しろ軍隊並みの装備だからだ。
 あそこまで大げさにするのが、この世界の警備方法なのかも知れないが、もしそうだとすれば、
「抵抗すれば、射殺しても構わない」
 などという法律が出来上がっているのかも知れない。
 さすがに殺されてはかなわない。
 だが、たったの三十年で、ここまで世界が変わってしまうものだろうか? 自分たちのいた令和三年を思うと、そこから三十年前というとどうであったか?
 やっとケイタイが普及し始め、パソコンも社員に一台あるようになったくらいか。ただ、ノートパソコンよりもデスクトップ型が主流で、モニタ―も液晶ではなく、ブラウン管だった時代である。
 インターネットなどというものもなかった時代である。
 経済的にはバブルが弾けた影響が、経済を直撃していた時期で、リストラの嵐であり、サブカルチャーが流行り始めた時期でもあっただろう。そういう意味でのパソコンの普及は時期としてはちょうどいいタイミングだったのかも知れない。
 そんな時代から練和三年を見ると、信じられない世界なのかも知れない。
 パソコンもノートだったり、液晶である。テレビ自体が液晶になっていて、ケイタイもスマホと呼ばれる指で画面をこするだけで、スクロールするなど、発想すらなかっただろう。
 過去から未来を見た時と、未来から過去を思い出しながら見た時とでは、かなりの違いがあることだろう。
 先ほど聞いた話では、タイムマシンもロボットも、開発はされていないということだった。
 その理由として、
「法律で開発が禁止されている」
 ということだったが、どういうことなのだろう?
 確かに、令和三年においても、
「ロボット、タイムマシンの開発には、大いなる危険が伴う」
 と言われているが、それでも開発に対して規制が掛かっているわけでもない。
 逆に政府が率先して開発チームを形成しているくらいなので、科学の発展という意味で、大切なプロセスのはずだ。
 ということは、令和三年から三十年後の世界までの間に、何かロボット、タイムマシンにおいて危険なことが起こり、それを規制する必要が生まれたのかも知れない。
 それがどういうことなのか、そして、いつくらいのことなのか分からない。先ほどの人に詳しく聞いてみようとしたのだが、教えてはくれなかった。
 皆承知なのだが、口にしてはいけないタブーなことなのか、それとも、本当に知らないのかは分からない。とにかく緘口令は敷かれているようだ。
 洞窟だと発見されにくいと思ったのが間違いなのか、最初から彼らには、この日になってタイムマシンがそこにあるのが分かったのか、そう考えると
「さっきの軍隊のような集まった人の中に、ひょっとすると、三十年後の自分がいるのかも知れない」
 とも考えたが、そうなると自分が一度は過去に戻っていなければいけないということになる。
「だったら、どうなるのだろう?」
 過去に向かって戻った自分が、もしそこにいるとすると、彼はどこまで知っているのだろう?
 自分は蹂躙されているのか、それとも、まさか、あの中の首領ということなのかも知れないとも感じた。
 過去に戻ったことで、何かを変えたいという意識があるわけではない。
 確かに未来に来るということに、何らの覚悟がなかったわけではない。
「過去に行くよりも被害は少ないだろう」
 という安易な気持ちを持っていたのは間違いないが、未来にくることで何も起こらないとも思っていない。
 一ついえることは、
「未来から現在に帰ることも、ある意味、過去に行くことになる。一度未来に行って未来を知ってしまうと、その時点で未来人としての認識から、自分の飛び立った先が、過去になってしまうかも知れない」
 ということだった。
 難しい言い方をしてしまったが、要するに、
「一度未来にいくと、自分も未来人の仲間入りになるのか?」
 ということである。
 さらに、
「未来人になるとすると、それはいつから未来人としての認識になるのだろうか?」
 ということである。
 そのタイミングによって、自分が現在という過去に行くことで歴史を変えてしまうことになるのであれば、本末転倒だからである。
 そういう意味で、今のタイミングで帰ることができればよかったのかも知れないが、タイムマシンを拘束されて、戻れなくなってしまったのだとすれば、実に腹立たしいことである。
 ただ、それも一応覚悟の上だったはずなのだが、それでも自業自得なら仕方がないが、外敵によるものであるということであれば、こうなったら意地でもやつらの化けの皮を剥がずにはいられないと思うのだった。
「一体、どこに戻ればいいというのか。戻る場所など最初からないということなのか?」
 とさえ思えてくるほどだった。
 現在から、いきなり未来にやってきた。タイムマシンを拘束され、戻れる様子がない。もう一つ気になったのが、
「俺は、このまま、過去のことを忘れて行ってしまうのではないか?」
 という意識であった。
 昔に戻った時、
「ひょっとして、未来での記憶が消されているかも知れない」
 という思いはあった。
 何しろ、未来に行った時、戻ったところで、未来の話をされることを嫌う時間の神様であれば、それくらいのことは造作もないと感じたのだ。
 タイムマシンというものでなくても、タイムトラベルは可能だ」
 という考え方の中に、異星人によるタイムトラベルという発想もある。
 いわゆる「宇宙人」である。ただ、これは自分たちが知っている生物という意味で、地球上であっても、未知の高等生物がいれば、彼らも宇宙人と同じ括りになる。地底人や海底人、あるいは異次元人という発想もある。
 タイムトラベルという発想であれば、異次元人というのが一番当て嵌まるだろうか。
 タイムマシンという発想が異次元旅行という発想なので、異次元からこちらの世界に来ることができるのであれば、時間を飛び越えるくらいはできるのではないだろうか。
 そう考えるようが自然であり、今まで人類が体験している不可解な出来事も説明はつくのかも知れない。
 例えば、古代遺跡などは、宇宙人という発想が強いが異次元人であってもありえることだ。
「空を飛ぶことができなければ、作ることのできない巨大な絵であったり、ピラミッドのような幾何学で正確に作られたものなど、とても、古代人ではありえないだろう。
 だが、これも、
「過去にさかのぼれば遡るほど、人類は原始化しているのではないだろうか?」
 つまりは、
「過去の人間ほど、自分たちよりもさらに劣っている」
 という固定観念である。
 確かに文明が過去から未来に向かって時間軸に逆らうことなく継承されているのだとすれば、その考えに間違いはないだろう。しかし、果たしてそれらの建造物や肖像を描いたのは、自分たちの直系の先祖なのであろうか?
作品名:無限への結論 作家名:森本晃次