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無限への結論

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 ただ、なぜ、この時代のタイムマシンなのかが祇園であり、
「ひょっとすっると、過去に戻ってから、何かの原因で、過去のタイムマシンがなくなってしまったことから話が繋がるのかも知れない」
 と思った。
 だが、過去に戻ってタイムマシンがなくなったとすれば、今の残っているのはおかしいのではないか?
 それは、あくまでも二度目に帰った自分が、どの位置に戻ったかによるだろう。
 タイムマシンが開発される前に戻って、タイムマシンの開発に一役買ったとすれば、また話がややこしくなる。
「そういえば、タイムマシンの最終段階で、何か夢の中でタイムマシンのヒントを得たような気がしたな」
 と感じた。
 だが、そのヒントというのも、未来において、もし夢を操ることができるだけの医学的、さらに算民心理学的に、
「夢を表から捜査できるアイテム」
 が開発されたとすれば、それを利用したともい寝なくもない。
 まだ、未来に来てから少ししか経っていないので、未来がどういうところなのか分からない。
「まさかと思うが、未来の世界を自分に分からせるために、過去に戻るすべを失くしているのかも知れない」
 という、実に都合のいい解釈すらできるほどだった。
 だが、時代の流れと、時間を飛び越えることで、過去のブームを未来で見ることができたり、ブームが定期的に繰り返されるという理屈も、どこか、タイムトラベルやパラドックスに関係があるのではないかと思うのは無謀なことであろうか。
 とりあえず、過去に帰ることは、今のところ断念しないといけないようだ。ポジティブに考えるなら、
「この時代における自分の役割を考えて、知りたいと思うことを、貪欲にそして素直に吸収する気持ちを持っていなければいけない」
 と思うようになった。
 三十年後の世界と自分で確信していながら、本当にそうなのかと、疑問に感じる松岡だった。
 今のところ、
「未来にとりのこされて しまった」
 という感じになってしまった松岡だったが、さらに冷静に考えてみた。
「人生をリセットしたい」
 という考えは誰しもが思っていることだろう。
「ああ、あの時、こうしていれば……」
 というのは、人生、必ずあったはずだ、
 人生の中で、選択しなければいけないことは、一度や二度ではないはず、無意識に選択していることを考えれば、無限にあるはずだ。その日家を出る時、踏み出す足を右足にするか左足にするか。皆無意識にではあるが、選んでいるはずだからだ、
 もちろん中には意識して選んでいる人だっている、
「演技を担ぐ」
 という意識を持っている人だってたくさんいるはずだ。
 それを思うと、選択が無限にあるのだから、無限にその時に可能性があったということだ。これこそがパラレルワールドの考え方。いかにたくさんの、
「やり直しがしたい、人生をリセットさせたい」
 と思う人がいることだろう。
 タイムマシンがあれば、それが可能なのだ。
 しかし、人生をリセットするということは、さらにそこにもたくさんの可能性が秘めている。なぜなら、やり直しをするための選択肢がどれだけあるかということに掛かってくるのだが、問題はそのタイミングである。
「一体、どのタイミングからやり直せばいいというのか?」
 これは非常に大きな問題で、結果として、悪いことに繋がってしまったのであれば、その原因が生まれた瞬間からやり直すのがベストなのだろうが、確かに後から思えば、例えば右と左の選択という分かりやすい例であれば、右を選んで失敗したと思ったならば、
「リセットした時、左を選ぼう」
 と、単純に思うだけでいいのだろうか?
 本当に左を選んだだけで、いい方に転がると言えるのだろうか? 下手をすると、もっと最悪の結果が待っているかも知れない。
 そう思うと、迂闊に判断ができなくなる。リセットするということは、それだけのリスクも伴いのだ。
 さらにもう一つの懸念がある。それは、
「いつをもって、悪かったと判断するのか? つまり、間違った選択をしたのかというのを判断すればいいのか?」
 ということである。
 ひょっとすると、その段階では、悪いことではあるが、次の瞬間には、いいことが待っているかも知れない。あくまでもタイミングの問題で、結果が現れるのがいつなのかということを確信していなければ、迂闊に人生のリセットなどできないだろう。
 これと同じ理屈で、人生をやり直した時、
「やり直した人生が、正しかったのか、それとも間違いだったのかという判断をいつの段階ですればいいのか?」
 ということだ。
 判断とすれば、リセットして時間を飛び越えたその瞬間が正しいと思うしかないだろう、そう思うと、時間を元ってやり直すということが果たして正解なのかどうか、分かるはずはないとも思える。
 だが、そもそもの考え方として、
「リセットしようと、過去に戻った時、未来に起こった記憶を持ったまま、過去に戻るということができるのか?」
 ということも考えなければいけない。
 タイムマシンを使うと過去にも未来にもいけるという発想は、あくまでも、人間が都合よく考えることであって、
「タイムトラベルをしても、その記憶は持ったままタイムスリップするのだ」
 というのを、当たり前のように誰もが考えている。
 しかし、これって本当にそうなのだろうか? 過去にタイムマシンが開発されたということはないわけで、タイムスリップを実際に経験したという話が残っているわけでもない。ということは、誰も、その保証はないということだ。
 ただ勝手にタイムスリップをすると、一瞬にして、未来であったり、過去出会ったりに移動するので、意識もそのままだと思っているだけだろう。だから、過去に戻ることでリセットできると思い込んでいるのだろうが、それはあくまでも小説やマンガの世界では、
「こういう発想の方が面白いし、テーマにはなるのだ」
 と考えることだろう。
 タイムスリップというのは、大いなる危険を孕んでいる。それがタイムパラドックスという発想で、
「過去に行って、歴史を変えてしまうと、ビックバンが起こり、世界が消滅してしまうのではないか?」
 などという究極の発想が生まれたりするのであろう。
 だが、過去に行ったことで、未来における記憶がなくなってしまい、自分が過去にいることになんら違和感がないとすればどうだろう?
 この場合は、過去に存在している自分に置き換わってしまう。あるいは、乗り移るという意味になるのだが、つまりは、タイムマシンで過去に行った瞬間、そこからその人は、過去に飛んだ瞬間と、過去に戻って、元の自分に乗り移るという瞬間を絶えず繰り返しているということになるのだ。
 そういう考え方をしてしまうと、タイムマシンというのは、限定的な機械だということになる。
 どういうことかというと、
「タイムマシンで移動できる範囲は、自分が存在している時間しなない。つまり、乗り移る自分が存在していなければ、タイムマシンは移動することができない」
 という考え方だ。
 これにはかなりの無理があるだろう。だが、タイムパラドックスということを考えれば、こちらの方が実に自然なことなのだ。
「もう一人の自分と会ってはいけない」
作品名:無限への結論 作家名:森本晃次