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無限への結論

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 ということを言われると、正直、どう考えていいのか迷ってしまう。
「感覚が彷徨っている」
 と言っていいのだろう。
 ここまで来ると、さすがに未来にとどまっているのが怖く感じられた。過去に戻ろうという感覚が急激に強くなってきたが、前述の恐ろしさがないわけではない。
「果たして、飛び出してきた過去に戻れるか?」
 ということである。
 そして、もう一つ考えなければいけないのは、
「今現在の自分というのは、未来に滞在しているということから、元に戻るというよりも、過去に行こうとしているタイムトラベラーでもある」
 ということである。
 つまり、今のこの世界は、最初は未来であったが、未来から出発する時は現在という考えができないかということである。もう一つ気になるのは、
「未来にはタイムマシンもロボットも存在しない」
 ということであった。
 つまり、自分がタイムマシンを開発したから未来に来れたのであって、そのタイムマシンが未来に存在しないということは、このタイムマシンは、過去の世界で承認を受けなかったということなのか、それとも、自分が未来だと思ってやってきたこの世界は、自分たちの本当の未来ではないということなのか、それとも、自分が帰った元の世界において、タイムマシンを壊してしまい、タイムマシン開発をやめてしまって、結局三十年という時を経ても、タイムマシンの開発とロボット開発はできていないということなのであろうか?
 それを考えると、未来に来てしまったことを大いに後悔してしまった。
「知りたかったはずなのに、知らなくてもいいころを知ってしまった」
 という感覚なのか、
「そもそも、未来のことを知ることは大罪ではないのか?」
 という子供の頃の感覚に逆らって作ってしまったタイムマシンに対しての後悔であった。
 そう、確かに子供のことはタイムマシンに対して、
「作ってはいけないもの」
 という感覚も大いにあった。
 しかし、それはタイムマシンというものに対しての思い入れが大きかったからで、大きい思い入れであればあるほど、逆説も深い位置まで掘り下げることになるのだろう。
 それを思うと、タイムマシンに乗って、急いで過去に戻ろうという思いは次第に強くなってきた、
 だが、過去の、元いた場所に帰りつけたとして、自分は何をすればいいのかを考えていた。
 まず最初に考えたのは、
「タイムマシンを壊してしまおう」
 という思いであった。
 しかし、それは実に恐ろしい気がした。
 というのは、
「戻ってきたと思っている過去が、本当に自分が飛び立った場所であるという確証がなければタイムマシンを壊すのは怖い気がしたからだ」
 つまり、これは、少しでも違っているところを厳密に見つけ出さなければいけないという意味で、本当に違っていたとして、細部にわたるまで違っていることを検証しなければいけない。ただ、それは永遠にできないのではないかとさえ思うのだ。
 なぜなら、自分の記憶が間違っているかも知れないし、変な思い込みがないとも限らない、思い込みがあってしまうと、本当に間違っているのかどうか自分で納得できないのだから、一歩間違えると、
「交わることのない平行線」
 を描いてしまうのかも知れない。
 では、もし、過去の歴史が違っているとすれば、どうすればいいのか?
「また未来に戻って、そこからやり直す?」
 それは無理なことだった。
 狂ってしまった過去からいくら未来に飛んだとしても、そこに広がっているのは、
「狂ってしまった現在に対しての未来」
 であって、さっきまでいた未来ではないのだ。
 まったく違った未来になっている可能性だってあるのだ。
 となると、今度は過去の戻って、どこから狂ったのかを調べなければいけない。それこそ不可能だった。
 ここで考えたのは、少し違った感覚なのだが、
「慣性の法則」
 というものだった、
 慣性の報告というのは、いろいろあって、たとえば、
「ダルマ落とし」
 のようなものであったりが考えられるが、ここで松岡が考えたのが、
「電車の中での慣性の法則」
 であった。
 走行している電車の中でジャンプをすると、着地するのは、電車の中での飛び立った位置である。電車の中という一つの世界の中で動くものであって、決して外部の世界が影響するわけではない。つまりは、ジャンプして着地するまで、電車は前に向かって走っているわけだから、理屈で考えると、かなり後ろに着地するか、下手をすれば、連結部分の扉にぶち当たってしまう可能性だってあるではないか。
 タイムマシンが、この慣性の法則をどこまで網羅しているかということも大いに問題になってくる。
 タイムマシンの開発において、この問題も大いに検証すべきことだった。当然松岡ほどの男が考えないわけもなく、かなり前の方で考えていたことは間違いない。
 タイムマシンの外形や性能と言ったものを考えるよりも前にすでに考えていたくらいのことであった。
 慣性の法則における
「電車の中」
 というのが、タイムマシンだけの世界であるとすれば、タイムマシンの中から飛び出した自分は年を取ることはない、
 逆にタイムマシンの中で年を取るということになってしまうと、自分の年齢よりも過去に行くということはできなくなってしまう。存在自体がなかったことになるからである。
 だが、このことを考えると、いわゆる、
「過去に戻って自分お親を殺す」
 というタイムパラドックスは最初から考える必要はなくなるのだ。
 だが、この感覚はあくまでも、
「タイムパラドックスに対しての答えを、慣性の法則という発想で後付けした理屈ではあいか?」
 という発想に至ってしまう。
 つまりは、知っていることに対して後付けで理論づけるということで、一種の、
「後出しじゃんけん」
 のような形になってしまう。
 ただ、過去に戻って自分の親を殺すという考え方も、タイムトラベルという理屈がある仲で、恐怖を煽るための警鐘として、
「タイムマシンの開発など、してはいけない」
 という理屈が最初にあったとすれば、こちらも、
「後出しじゃんけん」
 という発想が生まれてきたという理屈も成り立つだろう。
 そういう考え方でいくと、タイムトラベルというのは、それだけ慎重に考えなければいけないことで、後出しじゃんけんであろうとも、少しでも危険なことは、どんなに姑息な手を使ってでも、妨害することであっても、やらなければいけないということになるのではないかという理屈も成り立つのであろう。
 ということになると、
「タイムマシンは作ってはいけない『パンドラの匣』だったんだ」
 ということになるだろう。
 それを作ってしまって、使用してしまったことで、ほんの少しの歪を最大に引き出したとすれば、その罪は重い。巨大なビルがいきなり崩れる理由として、シロアリの小さな穴が原因だったという話を思い出すくらいのものだった。
 しかし、やってしまったことは、もうどうすることもできない。戻ってきた過去がどうであれ、この世界で生きていくしかないのだ。
 だが、そう考えた時、もう一つの危惧が生まれてきた。
「この狂ってしまった過去に、もう一人の自分がいるのではないか?」
作品名:無限への結論 作家名:森本晃次