時間の螺旋階段
「私がいつも来る時間には、ほとんど見たことはないですね。以前は結構いたという話は聞いたことはあったんですが、私が散歩を始めてからは、あまり見かけないですね」
「いつ頃からここで?」
「そろそろ半年くらいですかね? ほら、昨年から巣ごもり状態になったじゃないですか。世間がですね。で、私もその頃はまだ出勤していたので、この公園に来ていたのは、五時半くらいだったんですよ。そのくらいの時間では、私以外にも散歩する人が結構いましてね。ほら、今もそろそろ増えてきているでしょう?」
と言ってまわりを見ると、なるほど、確かに数人がジョギングや散歩をしている。
そして、ほとんど皆が興味深げにこちらを覗いているではないか。
「じゃあ、あの中に知っている人もいるわけですか?」
と訊かれて、
「そうでもないですよ。皆人に関わらず自分だけの散歩ですからね。ほぼ会話もなしです。もっとも、今は会話も厳禁ですからね」
と言われ、桜井刑事も、
「もっともですね」
としか言いようがなかった。
少し間があって、桜井刑事が続けた。
「被害者を見たことはありましたか?」
と訊かれて、
「あったかも知れませんが、暗いし分からないですよね。私が来る時間というのは、本当に道には新聞配達のにいちゃんか、タクシーくらいしかいませんからね。夏と違って四時半というと、まだまだ真夜中の部類じゃないですか?」
と言った。
「そうですか。何しろ被害者がホームレスということもあって、身元が分かるものがありませんからね。今のままだと、身元不明者ということになってしまい、捜査もなかなかうまくいかず、このままだと、無縁仏として葬られてしまう可能性がありますからね。せっかくだから、親族の方が分かればと思ったんですよ」
と言って桜井刑事はうな垂れていて。
桜井刑事は優しい人なのだと正孝は思った。
「じゃあ、このあたりにホームレスのたまり場になっているようなところはないんですか? 例えば河川敷の端の下とかですね」
と正孝は訊いてみた。
「このあたりの河川敷は、この間、ちょうど架橋の工事があって、その時に下にいたホームレスが一斉退去になったんですよ。その中の何人かは、生活保護を受けてアパートに移りましたし、他の街に移った人もいるようですね、とにかく、散り散りバラバラになっているみたいですね」
と桜井刑事がいうとm、
「それじゃあ、生活保護を受けている人に聞いてみるとか、役所の生活支援部のようなところに聞いてみるとかできないんですかね?」
と正孝が聞いたが、
「それはもちろん、そのつもりでいるんですけどね」
と言って、少し黙った。
それを見て正孝は少し不審に思った。
――ひょっとすると、桜井刑事はこの俺がこの男のことを知っていると思っていて、それを俺の口から聞きだそうとしているんじゃないだろうか?
と思った。
それはすなわち、自分が疑われているということであり、少し気分が悪かったが、それも分からなくもない。犯罪捜査の鉄則で、
「第一発見者を疑え」
というのもあるからだ。
しかし、相手はホームレス。殺すなら、こんな衆知の目に晒すようなことをしなくても、どこか分からないところに隠したって、結局、誰も捜索願を出すことはないだろうから、こんな危険を犯してまで、自分が第一発見者になる必要はサラサラないだろう。
死体が発見されなければ困るという場合で一番考えられるのは、
「遺産相続絡み」
であろう。
このようなホームレスに遺産相続もあったものではなく、しかも、犯人と思しき人は、あくまでも、遺産の相続人の一人でなければならない。遺産相続人が殺し屋でも雇ってやるならいいが、今の世の中でそんなことがあるのもおかしい。
人を殺すのだから、相当な報酬がいるだろうし、下手にやらせて、一生揺すられることになるかも知れないとも考えられなくもない。それを思うと、殺し屋はありえないだろう。
何にしても、
「このホームレスの正体が一体誰なのか?」
そして、
「この男が殺されなければならない理由は何なおか?」
さらにいうと、
「この男が殺されることで一番得をする人は一体誰なのか?」
そのあたりが焦点になるだろう。
最初の二つが分からない限り、三つめが分かるはずもない。それを考えると、まずは、この男の正体が一体何者なのかが問題であった。
ただ、今の段階で分かることは何一つない。
公園で人が胸を刺されてベンチに横になって死んでいた。その男は風体からホームレスと思われる。発見されたのは早朝であり、殺害時刻は昨夜未明ということか。
争ったような跡もないが、ただ、胸を一撃で刺されていることから、即死だったのではないかと思われる。
もう一つ気になることとして、この男がこぼしたのではないかと思われるおにぎりを。野良犬が食べなかったことだ。他の残飯は食い散らかしているのに、おにぎりだけを食べていない。イヌの嗅覚が何かを知らせているのだろうか?
ただ、人間の毒であれば、犬は食べるのではないだろうか? ミステリー小説の中で、青酸カリの効き目を試すために、何かに混ぜて、犬に食べさせたなどという話を見たような気がした。
その話自体が、犬の嗅覚を意識せずに、ただの実験台としてイヌを選んだだけだということも考えられる。とりあえず、鑑識の結果次第ということであろう。
そしてなんといっても、この事件で今のところの謎は、前述のように、この男が誰なのかということ、なぜ殺されなければいけないかというその理由。そして、この男が殺されることで誰が得をするのか? ということ、
いや、まだ自殺ではないかという問題も残っている。
それらを考えると、事件の真相が分かるまでにはかなりかかりそうな気がする。とりあえず、殺人として捜査は始まるのだろうと、正孝は思った。
読者モデル
つかさに声を掛けてきた男性、カメラマンの彼は、女性のグラビアを主に掲載している雑誌だった。女性向けのファッション雑誌という意味で、ただ、その雑誌も最近は、男性読者もターゲットにしているところでもあった。
つかさは、その雑誌をほとんど見たことはなかった。名前は訊いたことがあったが、
「私には無関係だ」
と思っていたからだ。
別に正社員としてOLをやっているわけでもなく、パートとしてファミレスのウエイトレスをしているだけで、制服を着ての仕事なので、別にファッションを気にする必要もなかった。
「どうして、私なんかに声を掛けてきたんです? 服装だってそんなに目立つのを着ているわけでも、OL風のスーツを着ているわけでもないのに」
というと、
「いえいえ、私はそんなあなたにグラビアを飾ってほしいと思っているんですよ。衣装はこちらで用意します。まずは、一度、モデルとしてお願いできませんか?」
ということだった。
その人は、見た目はカメラマンというような風体ではなく、彼自身もそれほど目立つタイプではなかった。カメラは持っているが、カメラがなければ、普通のサラリーマンという感じなのか、来ているスーツはラフなものであった。
名刺を見ると、
「平成出版社:京極武人」