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時間の螺旋階段

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 つかさは、ごちそうになったスナックを出てから、帰りには一人になった。
 どこから一人なのか、後から思い出そうとしても、なかなか思い出せるものではなかったが、
「酔いを冷まさないといけない」
 という思いの下、半分千鳥足で歩いていた。
「たったあれだけしか飲んでいないのにもかかわらず、こんなにボンヤリと意識がしているのはどうしてなのかしら?」
 と考えていた。
 しかし、嫌な気分でもなかった。吐き気がするわけでも、胸やけがするわけでもない。そよいでいる風が生暖かく、いつもだったら気持ち悪く感じられるであろう雰囲気なのに、その日はさほど気持ち悪くなかったのだ。
「シラフだったら、気持ち悪く感じられたかも知れないわ」
 と感じたが、そこに違いがあるとすれば、
「匂いではないか?」
 と思うのだった。
 ただ、決していい匂いがしているわけではない。どちらかというと違和感のある匂いだった。
 鼻をついてくる匂いは、まるで石かセメントの固まる時の匂いのようで、もし食べたり舐めたりすることがあるとすれば、
「まったく味がしないのではないか」
 と感じられるような気がして仕方がなかった。
 どうしてそんな思いになるのか、つかさはよく分からなかったが、生暖かく感じられたのは、これだけ飲んでいれば、普通なら汗が滲んできてもいいはずなのに、その時は汗がまったく出ていなかったように思えたからだ。
 汗が出てこないということは、身体に熱が籠っているような感覚で、そうなると、意識が朦朧としてきて、いつもなら頭痛が伴いそうなのに、そこまでいかない理由として、
「風の生暖かさ:
 があると思うのだった、
「こんな暑さは、今までにないものだった気がするな」
 汗を掻かないのは、表にいるからだという意識もあったが、それは完全に言い訳でしかないような気がしていた。
 頬を触れば、かなり熱い。頬というのは、額などと違って、身体の奥から湧き出てくる熱気に左右されにくいと思っていた。熱がある時でも、頬だけは冷たいままの時があったので、発熱して身体がだるくなってしまった時、頬を触ることで、気持ち悪さが緩和されてくるような気がしていたくらいである。
 そんな時に感じる匂い。石のような臭いを感じると、
「雨でも降ってくるのではないか」
 と思わせた。
 この匂いと、生暖かい風は、今までの経験から、
「ほぼ雨の前兆である」
 という意識を強く持たせた。
 この感覚は、子供の頃から、ほとんど外れたことはなく、今回も雨が降ってくるのは間違いないと思ったが、いつ振り出すかということまでシラフなら想像がついたのに、今は見当もつかないことから、やはり少し感覚がいつもと違っているのを感じたつかさだったのだ。
 つかさがスナックから家までの途中には、神社があった。そこは、ちょっとした丘になったところなので、少し坂にはなっているが、歩いて昇るとしても、それほどきついところではなかった。子供の頃はよくここに学校の帰りに寄っていたものだったが、大人になっても、ふと気が付いた時には、時間のない時は別にして、立ち寄ってみることにしていた。
 その日は軽く酔っていたので、酔い覚ましにもちょうどいいと思い、神社に寄ってみることにした。上まで上がると、そこにはいつものように、真っ暗な中で、どこからか、暗い照明が差してきていた。その照明は毎回違うところから差してくるようで、そこが、この神社の意気なところだった。
 照明の数は数えたことはなかったが、分かっている限りでは四つあった。それが、その時の雰囲気なのか、決まったローテーションがあるのか分からなかった。毎日立ち寄っていて調べていれば分かるのだろうが、そこまでする気はさすがになかったのだ。
 この神社は、何か定期的なことが恒例になっていたのを思い出した。子供の頃から、
「この神社は定期的に何かの口実をつけて、お祭りやイベントのようなことをやる」
 と言われていた。
 それが、偶然なことも定期的なイベントに重ねてくるので、わざとなのか、それとも本当に偶然なのかが分からない。そのことが子供の間でウワサになり。いつの間にか大人の世界にも広がったことで、
「定期的なことが好きな神社」
 と一時期言われていたが、
「人のウワサの七十五日」
 ということで、そんな話もいつの間にか忘れ去られてしまった。
 しかし、そんなウワサはカルト集団の中に広まって、まるで都市伝説でもあるかのように、県を中心に発行している地元情報誌に、コラムのような形で時々載っていた。
 それを見て、
「さすが定期的が売りの神社」
 と、皮肉のように書かれていたが、地元で元々この話を知っている人には、ありがたい気がした。
 そんな中で、最近それこそ定期的に催されるのが、
「女神祭り」
 と呼ばれるものだった。
 この祭りは、江戸時代の頃の話であろうか、商人の娘が一人、いつもこの神社でお参りを日課にしていたのだが、ある日、豪商の息子である兄弟がいたのだが、小さい頃から素行は悪く、現代であれば、
「札付きのワル」
 という表現がピッタリではないかと思うような二人組であった。
 いつも兄弟で悪さばかりを考えていて、特に女の人に対しての浴場はハンパではなかった。
 したがって、いつも神社の祠の近くで二人は、密談をしていた。会話の内容は、どの娘がいいかという品定めであり、時々二人で、女性を襲うという悪さをしていた。
 本当であれば、婦女暴行なので、一度でも厳罰なのだろうが、この二人の親というのが、この町の権力者であり、奉行所と言えども、そう簡単に手を出せる相手ではなかった。
 襲われた町娘は、一旦は奉行所に訴え出るが、調べていると、このバカ兄弟のしわざだということが分かると、今度は訴え出た方に対して、
「まあまあ」
 と言って、訴えを取り下げらせるという。
 最初は拒んでいた被害者側も、相手が、豪商と聞き、さらに、
「その賠償はすると言っている」
 と、金銭の授受があるのでは、どうすることもできない。
 お金を貰っての泣き寝入りとなる。
 そうなると、バカ兄弟も味を占めるというものだ。
 最初の被害者が、
「しょうがない」
 ということで、泣く泣く訴えを取り下げたおかげで二人目の被害者が出た。
 二人目は、さすがに怒りがもっと強かったが、それでも丸め込まれてしまう。
「お前の家なんか、簡単に叩き潰せる」
 とまで恫喝されてしまうと、もう、どうしようもなくなってしまうだろう。
 第三、第四の被害者が出て、スルーされると、それ以降は事件もならず、何もなかったことになってしまったことで、事件は終わったかに見えたが、それは訴え出ることがなくなったからだ。
 下手に訴えれば。恫喝されて睨まれるだろう。
 しかし、何もなかったかのように訴えないようにしていれば、相当のお金を貰えることになる。その違いは歴然であった。
 ただ、さすがにそこまで湯水のようにお金を使って、ただで済むわけもない、結局はバカ兄弟が家を継ぐ頃には、身代はひっくり返っていて、財産など、あってないようなものだった。
「自分で自分の首を絞めた」
 と言えばいいのだろうが、それまでの代償はかなり大きかっただろう。
作品名:時間の螺旋階段 作家名:森本晃次