時間の螺旋階段
ただ、彼だって男なので、それなりに女性関係がないわけではないようだ。ウワサになっていてもいいのだろうが、誰も口に出さないという暗黙の了解の中で、彼が付き合っていると思しき人は、何人か皆の頭の中には浮かんでいるということだった。
もちろん、辰巳刑事は最初に、捜査の前の段階として、東条記者に関わる人皆から情報を得ることにした。
十人近い男女が東条記者にかかわりがあるのだったが、そのかかわりのある人でも、その温度差は結構激しかった。
「東条さん? そういえば、最近会ってないわね」
という程度にしか見られていない人も半数近くいたのだが、残りの半数は、
「本当にどうしてしまったのか、東条さんがいないことで、寂しくて寂しくて、私は自分の体調を崩してしまいそうなくらいになりそうだわ」
というほど、東条氏に関わっている人もいたようだ。
さすがに体調を崩す人というのは、稀なのだろうが、そのほとんどが女性で、口には出さないが、東条氏とは、ただならぬ関係、いわゆる身体の関係になっていることは容易に想像がついた。
東条氏という人がどういう人なのか、編集長から聞いていたつもりだったが。自分で実際に彼とかかわりがあると言われている人たちの話を訊くと、ここまで温度差があるいうことは、
「東条氏自体が、相手によって態度を変える、カメレオンのような人だったのか、それとも、無意識の行動であって、彼が多重人格ではないかと思える。相手によって態度が変わるというのは、多重人格がそれぞれの人に出ているからなのではないだろうか?」
と考えられるのだった。
辰巳刑事が考えるに、普通であれば、前者のような人を想像するのだろうが、東条氏というのは、編集長の話では、
「いつも一人でいるような人だった」
と仕事上の上司からそのように見られているのだから、本当に人を騙す素質を無意識に身につけているのだとすれば、後者の可能性もまったく否定できなくなってしまう。
しかも、辰巳刑事は刑事という仕事をしていると、結構多重人格者というのを今までにも何人も見てきた。話だけを聴いていると、
「彼のような多重人格者というのが、結構いるのではないか?」
と思えるのも無理のない考え方であった。
「一体、どう考えればいいのか少し分からない気がしていたが、どちらにしても、この二つであることに絞ってもいいような気がしていた。
辰巳刑事は、そういう前提条件を持って捜査に当たっていた。ホームレスの捜査のついでに東条氏の行方を聴いているようにまわりからは見えるが、実際に事情を訊かれた人としては、
「この人は、ホームレスの話よりも、もう一人の情報を得たいという気持ちを持っているんだ」
と考えていたが。それは同時に。
「何か、この人は危険なことに足を突っ込んでいるかのように思えるんだけどな」
という思いを与えていたようだ。
だから、今まで誰も引き出せなかった人の情報を、辰巳刑事は難なく得ることができたのだが、その裏事情を知っている人は誰もいなかった。
そのように隠しながら捜査をしていたのであるし、そうやって捜査をする方が、事情を訊いている人が自分に対してどのような意識を持ってくれるのかということを分かっているかのようだった。
だが、捜査を続けていく中で、たまに、
「捜査の妨げになる何かが暗躍しているような気がして仕方がない」
という気になっていたのだ。
それがどこから来る懸念なのか分からなかったが、
「気のせいだったのかな?」
といつも最後には感じさせるのが、あまりにも最初から最後まで漠然とした感覚だったからだ。
最初は漠然としていても、それが次第に形になってきて、最後には、最初から意識していたかのような気持ちにさせることで、何かの情報を途中で得たとしても、それはあたかも最初からあったかのように思うところが、他の刑事とは違って、
「人によっては、短所に見えたり、あるいは長所に見えたりするところで、さすがに紙一重と言われる長所と短所だと言えることではないか?」
と思うのだった。
ただ、この感覚を辰巳刑事は自分では、短所だと思っていた。そして短所だと思っていることは、意外と意識の中で幅広い感覚を持っていた。
幅広く感じるのは、まわりに広がる光の輪のようなものに見えるからで、それこそ漠然としたものでしかないということを表していた。
辰巳刑事を見ている人たちは、まわりの刑事たちと、一般市民とではその見え方にも温度差があるようだった。
まわりの刑事は、辰巳刑事という存在を一種の目標のようにとらえてはいるが、どちらかというと、
「遠い存在」
という意識が強く、自分たちには近づけないオーラを感じていたようだ、
しかし、逆に街の人にとっては、
「いつでも自分たちに寄り添ってくれるような刑事さん」
という意識が強かった。
元々刑事というと、存在自体に嫌気がさすもので、
「自分たちとは住む世界がまったく違う」
と、いう思いを、自分たちだけではなく、警察からも思われていると感じているので、余計に警察に非協力的な人が多かったりする。
しかし、辰巳刑事にはそんな思いは感じない。それだけ、
「庶民的に見える刑事」
ということが辰巳刑事の真骨頂なのであろう。
そんな辰巳刑事に、新しい情報を与えてくれたのが、やはり市民だった。
普通の刑事であれば、一人で違う人も一緒に捜査していると思うと、却ってその刑事に不信感を抱くというものだが、辰巳刑事は庶民が抱いていた警察へのイメージをたった一人で覆すことができるほどの人物である。
そんな中、区の中での、
「影の長」
と言われている人物からあのホームレスが誰であるかということを、ある程度特定しているかのように言われた。
「辰巳刑事だから話すのであって、これは、よほどの確証が得られなければ、捜査本部で名前を出すことは控えていただきたいと思っているのだが、どうですかな?」
と言われ、辰巳刑事もこの人のいうことには一目置いているので、
「分かりました」
と答えた。
「その人物というのは、京極という男で、出版社の記者だということなのだが、この人物はあまりまわりの人から好かれているという人物ではないらしい。この男はカメラマン兼スカウトで、女の子の写真を撮って、そこから、タレントやグラビアアイドルのような原石を発掘するというそんな商売をしている人だというんだ。どちらかというと、あまり好かれる人物ではなく、胡散臭いと思われている人のようですね」
と聞かされた。
なるほど、この人の情報であれば、ある程度の確証がなければ、捜査本部に進言するのも難しいだろう。
しかし、辰巳刑事はこの話には信憑性があるような気がした。
彼には、編集長から頼まれたもう一つの仕事があったが、どうも形態は違うようだが、何となく、そのウラが被っているかのようなカメラマン兼スカウトの存在は、あながち結び付かないものではなかったからだ。
この違いを考えると、どこまでが信じられることなのか、またしても、疑心暗鬼に陥るそうになる自分を感じていた辰巳刑事であった。
神社での出来事