時間の螺旋階段
「ジョギングをしている人も散歩をしている人も、そのホームレスの存在までは気にかけてはいたんだというが、気に掛けていたのは、その存在までで、その男が何をしているのかなどということはまったく意識をしていなかったという。だから、不審な行動というのはなかったのではないでしょうか?」
と桜井刑事がいうと、
「ただ、早朝の公園でのホームレスというと、その存在は目立つかも知れないが、いたとしても、別に不審ではないので、目撃者の言い分には、十分な信憑性があると思うんだ」
と清水刑事が言った。
「でもですよ、ホームレスが一人でポツンと公園に早朝になって現れるというのは、おかしくないですか? 夜中に寝ぐらとして、公園を利用して、人が増えてくる早朝にいなくなるというのなら分かりますが、逆というのは、どうも解せないんですよね。しかも、週に二回だけという決まった時間ですよね。そのあたりも、このホームレスの男の行動が、不審とは言えないが、何か秘密を持っていると言えるのではないでしょうか?」
という桜井刑事が訊いた。
「ガイシャの身元が分かるものは何もなかったんですよね?」
と、横から辰巳刑事が、鑑識からの報告書を持っている清水刑事に聞いたが、
「そうだね、所持品は何もなかったという。そして指紋照合もしてみたが、指紋から身元を判明することはできなかったので、少なくとも被害者が前科者だということはなさそうだ」
と言った。
「となると、分かっている情報としては、火曜日と木曜日の五時半過ぎくらいに、毎週どこからともなく現れるのがこのホームレスだということが分かっているだけですよね。でも、本当にこの人なんでしょうかね? ホームレスの恰好さえすれば、誰でも見間違えるということもありますよね?」
と桜井刑事が言ったが、
「それは、何とも言えないね、目撃者は、あくまでもホームレスと言っているだけで、同一人物だとは言っていないわけだからね。そういう意味ではハッキリと同じ人物だとは言えないかも知れないが、だが、別の人物だという証拠もない。可能性としては、同じ人物だと考える方が信憑性はあると思うんだ。だが、それが今回のガイシャと同一人物かどうかということは、信憑性としては薄い。結び付けるだけの材料が、今はまだ希薄だと言ってもいいだろうからね」
と、清水刑事が言った。
目撃者の捜索も行われたが、さすがに深夜ということもあって、なかなか見つからなかった。近くに住む大学生の話ではあったが、
「午後十時頃というと、あの近辺は一番人が少ない時間帯かも知れません」
という話だった。
「どういうことですか?」
と聞くと、
「もちろん、深夜に入って、一時頃以降はそれこそ人がいないのかも知れないけど、それまでの時間帯では一番少ないでしょうね。九時頃までは結構、通勤客が帰ってくる時間なので、すぐそばのバス停から人が歩いてくるんです。ちなみに、住宅街やマンションが立ち並んでいるところにバス停を降りてから帰るのに、あのあたりは結構人が通るんです。だから、駅から帰る学生や、サラリーマンは九時くらいまでは多いと思うんですよ。しかも九時頃までは本数も多くてですね。でも、最終バスは十一時台にあるんですが、九時すぎから最終バスまでには二台しかないんですよ。だから、とたんに人が通らない時間になるんです。さらに今は自粛期間中でしょう? 時短営業のために、飲んで帰る人も九時前までにバス停に降り立つことになるので、余計に九時過ぎからは人が少ないんです。それでも最終だけはそれなりに人はいるので、十一時台というのは、まったく人がいないということはないと思うんです。もし、犯人が目撃者がいない時間を狙うのだったら、十二時を過ぎてからにするか、十時台ということになるんでしょうね。そういう意味では、目撃者を探すというのは難しいかも知れないですね」
と言っていた。
この話にはかなりの信憑性があった。
実は今、自粛期間中であったが、この公園の近くには、今は店を閉めているところが多いのだが、スナックや酒屋、スーパーなどと言った店が立ち並んでいて、昼に夜に、本来なら客が少なからずいる場所であったのだ。
自粛期間中の全国での深刻な問題として、
「空き巣事件」
というのが、横行していた。
自粛期間中、政府や自治体が、要請ということで、いろいろな店舗に自粛を求めたりすることで、経営が悪化してしまっていた。
店舗に限らず、仕入先であったり、イベントを行う業種であったり、サービス業などは、相当な痛手で、店を閉めるところや、人件費削減ということで、不当正当を問わず、リストラに遭ってしまい、明日どころか、今日の生活もままならない人が増えてしまった。
それによって、発生した新たな問題が、自粛して閉められた店舗へ、空き巣として入り込み、商品や金目のものを盗むという窃盗行為であった。
店が乱立していて、歩行者もいない夜の店舗への侵入は、意外と難しくないところも多いだろう。さすがにすーおあーなどは難しいが、本来なら夜に営業しているこじんまりとしたスナックやバーなどは、そこまで警備を徹底していないところもあるだろうから、侵入しても、警報機すらついていないところもあるのではないか、
そんな店を狙っての犯行が増えてきたことから、しっかりとした自治体や警察機構であればいいのだが、なかなかそこまでやってくれないところは、
「自分たちの店は自分たちで守る」
とばかりに、公民館に集まって、夜の見回りの徹底を行っているところが多い。
ここの地区も、同じように、公民館から、有志や店の代表が集まって、店が乱立しているところを中心に、街の見回りを行っているのだ。特に夜中の時間帯に、数組に分けての見回りが行われている。
これには店舗を守るという目的だけではなく、不要不急の外出を控えるという自粛も考え、特に若いやつらの中にいる、自粛を何とも思わない一種の、
「社会のゴミ」
ともいうべき、連中を取り締まるという意味でも重要な仕事であった。
そのおかげで、最終バスが過ぎた後でも、この公園を定期的に見回っている人たちがいるので、やはり、この公園に人が一番いない可能性がある時間帯といえば、ちょうど、犯行時間くらいなのではないかと思われた。
先ほどの大学生の話と、これらの最近の事情とで、犯行時刻がこの時間になったという理由は証明されたようである。
ということは、犯人はそのあたりの事情をすべて分かっていて、犯行に及んだのであろう。
ただ、何と言っても被害者が特定できていないことから、これが本当に殺人なのか、さらに殺人であれば動機は何なのか。そこまで分からない限り、犯行時刻の目撃者を探すのも難しいことから、犯人が誰であるかなどということは、なかなか絞り込むことなどでっきっこないだろう。