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時間の螺旋階段

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 その視線は、相手に対して何かを制しているかのように見えて、驚愕の表情だと思っていたが、次第にそうでもないかのように見えてきたのだ。
――まるで、余計なことをいわないでとでも言っているかのような形相だわ――
 と感じた。
 その様子を見ると、京極氏がこの不思議な老人とはまんざら知らない仲ではないかのように思えた。
 京極氏は、少しこの雰囲気を和らげるかのように、敢えて何も言わなかったが、つかさの意識がその老人から少し遠ざかってきているのを、まるで見計らったかのように話しかけてきた。
「ところで、グラビアの件なんだけどね」
 と言って本題に入ってきた。
 時間的にはそれほど経っているわけではないと思ったが、話はあっという間についてしまったかのように思えた。時計を見ると、実際に時間も想像以上に経過していた。時間に対する意識と実際の時間とにギャップがあることはあったが、その二つに差がないのに、実際に感じている時間との間に差があるというのは、どこか不思議な感覚を覚えるのであった。
 そんな不思議な感覚を今までには感じたことはなかった。だが、普通に話が終わっているだけなので、
「そんなのは錯覚だよ」
 と言われてしまえばそれまでであり、すぐに違和感は解き放たれた気がした。
 それよりも、その後に感じた時間の方が不可思議であり、後から思うと、違和感以外の何者でもなかった。不思議な空間に、怪しげな人物、京極氏はつかさをただスカウトしただけではなく、この店で何かを教えようとしているのかも知れない。
 そのことを感じると、果たして、
「この人が私を選んだのには、何か特別な理由でもあるのではないか?」
 と、勘ぐってしまうのも無理のないことではないだろうか。
 お店には、マスターと自分、そして京極氏と怪しい老人の四人しかいない。それぞれに空間を持っていて、隣に座っているはずなのに、必要以上な距離を京極氏に感じるのは、京極氏がわざと演出しているせいではないかと思ってしまう。
 つかさは、
「時間を食べるというのは、どういうことか?」
 を考えていた。
 幸い、グラビア関係の話を京極氏がしなくなったのも一つの理由ではああったが、きっと京極氏としては、
「今日はこれくらいにしておけばいいだろう。しつこくしてしまうと、却って相手を冷めさせてしまう」
 と考えているからではないかと思っている。
 確かに、あまりしつこいと興ざめしてしまうだろうし、しかもせっかくいい雰囲気のバーに連れてきているのだから、気分よく帰ってもらうのが一番だと思っているに違いないだろう。
 それを思うと、つかさの方も、
「必要以上に嫌な気持ちにはなりたくないからな」
 と感じていた。
 そのあたりは百戦錬磨のスカウトのプロである京極氏には当然のことだった。
 しかも京極氏はカメラマンでもある。次回にはきっと自分の本職であるカメラマンとしての話をしようと虎視眈々と計画しているかも知れない。
 スカウトとカメラマンを兼任しているということは、元々の本職はカメラマンのはずである。確かにスカウトもプロといえばプロだが、実際に技術的なことと精神的なことの融合を大切にするのはカメラマンの方だろう。スカウトも営業という意味ではエキスパートでなければいけないが、技術と精神的なものを分けて考えるというわけにはいなかい仕事だ。一緒に考えていかなければいけない分、確かに誰にでもできるわけではないが、天性の才能と努力の融合という意味では、カメラマンに適うものではない。
 そんなことを考えていると、今の彼が、精神的にカメラマンの気持ちになっているような気がしてきた。つまりは、営業としての気持ちとカメラマンとしての気持ちが葛藤しているとすれば、それは少しの時間でしかないと思うのだ。その時間が経過し修了すれば、そこから先は、もう気持ちはカメラマンに戻っているに違いない。
 そう思うからこそ、彼は、必要以上のことを話さない。
「これ以上話をして、せっかく自分のカメラに収まりたいと思っている相手の気持ちをそぐようなことをする必要はない」
 という思いとm
「ここから、先は純粋に、彼女を被写体として見ていたい」
 という思いがあるのだとすれば、そのうち、彼の痛いほどの視線を感じることになるかも知れないと感じたのだ。
 そんなことを考えながらお酒を飲んでいると、
「あれ?」
 と、思った。
 先ほどまで一番奥で飲んでいたはずの老人がいなくなってしまっているではないか。トイレに立ったのであれば、自分の視界に入ったはずである。そもそも、視界の中にいたはずなので、少しでも動いたとすれば意識に残るはずだ。
 しかも、カウンターの一番向こうは壁しかない。トイレに行くとしても、自分のすぐ後ろを通らないわけにはいかない。それを思うと、老人がいなくなってしまったことはまったく理解できることではなかった。

             時間を食べる

 その老人が今、そこにいないということは、
「自分が一瞬でも気を抜いたと思ったその瞬間が、実際には結構長くあり、その間にどこかに行ってしまったのか、最初からすべてが錯覚で、そんな老人は存在しなかったのか?」
 そのどちらかではないかと思われた。
 確かに、京極氏からグラビアについての話を訊いている時、京極氏の話に集中し、気持ちを視線から切った瞬間もあった。そうしなければ、話をしている京極氏に失礼に当たるからだ。
 しかし、その瞬間はあっという間のことであり、意識を戻した瞬間は自分の中で存在していた意識がある。その時見た時は、その老人を確認した気持ちになっていたが、もしそれが違ったのだとすれば、存在したと思われた、元に戻った意識は、無意識だったということか。
 いや、無意識であれば、なおさら、記憶に間違いはないはずである。無意識ということは、そこに意志が関わっていたわけではないのだから。、一番素直な気持ちだったはずで、自分にウソがつけない時間だっただろうから、老人の存在を意識したのであれば、それは間違いのなかったことだという信憑性は高いはずだ。
 もし、この信憑性が低いというのであれば、今までの自分の意識に対する考え方を変えてしまわなければいけないほどの高さのあるものだったはずである。それを自ら信じられないのであれば、もはや自意識を否定しているようなものだと言っても過言ではないであろう。
 そんなことを考えていると、時間がどれくらい経っているのか、すでに八時半を過ぎていた。
 店に来てから、三時間近くが経っていて、何も食べていないはずなので、お腹が減っていてもおかしくないのに、腹が減ってくる気配もなかった。
 むしろ適度な満腹感すら感じる。気が付けば目の前に置かれているカクテルがほとんど空になっていた。
「お嬢さん、何かお作りいたしましょうか?」
 とマスターが勧めてくれた。
 隣を見ると、すでに京極氏は三杯目に差し掛かっていた。いつの間に二杯もおかわりしたのか意識もなかった。マスターが目の前にいるのだから、カクテルが出来上がれば分かるはずだ。
 しかし、シェイカーを振っている音だけは耳の奥に残っていた。見た覚えはなかったのにである。
作品名:時間の螺旋階段 作家名:森本晃次