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悪魔の保育園

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 もし、プライバシー保護団体が騒ぎ出したらどうするつもりなのだろう。また、開示を厳しくするというのだろうか。
 つまり、
「あっちが言えば、対処案を出す、逆だったら……」
 というようなもので、政治家のすることは、
「対処はするが、対応はできない」
 ということであろう。
 対処というのは、目の前の出来事を、応急的に見ることであり、対応というのは、何かがあった時のことまで考えて、あらゆる方向から検討することまでやって、やっと対応というのだ。
 もちろん。考えたことを運用できるようになるところまでは対応である。応急手当なら、誰にだってできるというものだ。
 例えば、誰かが道で苦しみだしたとして、救急車を呼んだり、それまでの手当てが対処なのだ。
 もちろん、対処には特殊な技能が必要な場合もあるが、応急措置として、できるだけのことであれば、別に医師免許がなくてできるだろう。
 救急隊員と一緒にやってもいいからである。
 しかし、病院に運んで、その人が、
「緊急オペが必要だ」
 ということになった場合、医者はすぐに手術をしてもいいだろうか?
 まずは、病気を特定しないといけない。そうでないと、手術はできないのだ。
 そして、手術を行うには、その場所、必要な薬品の手配、そして人員の確保が必要だ。
 もし自分がその病院の医師でなければ、普通は執刀はできない。
 かと言って、他に執刀する医者がいないとなると、どうするかが問題だ。
 時間との勝負なのは分かっている。
 こういう時ドラマなどでは、まるでブラック○ャックだったり、救急救命医の正義感だけがやたらと強い人が、手術を行おうとするだろう。
 しかしよく考えてみると、その患者が、どのような人間で疾患を持っているかというのは、いくら時間との闘いとはいえ、無理にこじ開けることはできないだろう。
 それを考えると、テレビドラマというのは、完全にフィクションであり、
「勧善懲悪のために、敢然と立ち向かう医者の物語」
 ということになるだろう。
 そういう意味では、医者のモラルをも超越した判断力にて、患者を救うというような話は、完全に夢物語でしかない。
 もし、これがモラルを重視するものであれば、医者が勝手に、自分の病院でもないところでオペを行うのは、違反になるだろう。
 しかし、それで視聴率が稼げればそれでいい。
「他の人がマネをするから、まずい」
 という、まるで子供向けの番組でもないだろう。
 しかし、頭の良さとモラルや常識というのは別である。医者だからと言って、
「やっていいことと悪いことがある」
 と言えばいいのだろうか?
 たとえは違うかも知れないが、
「誹謗中傷を受けている人は、血を流しながら、何とか命をつないで生きている」
 という様子である。
 しかし、まわりの人に分かるわけはない。医者であれば異変くらい気づくかも知れないが、それでも、ハッキリと分からないことを自分から公表はできないだろう。
 テレビドラマなどでは、
「何をおいても、その人を助けることが最優先ということであるが、実際に苦しんでいるのが何なのかということを間違えてしまうと、
「心臓が悪いのに、胃の切除を行った」
 というのと同じである。
 ただ、胃が悪いのも正しかった。しかし、今の状況で苦しんでいたのは、心臓だったのだ。
 それを分からずに胃だけを治しても、
「肝心な部分が、治っていないので、また痛み出すことは、時間の問題だ」
 ということになるのだ。
 これで治したと思って、安心していたら、心臓が悪いということが分かり、自分が心臓の手術をしようとすると、
「おや? こんなに進行していたのか?」
 というくらいに、ひどい状態だったりする。
 結局、治療が不可能ということで、手術はできないと身内の人に話すと、
「そんなことは最初から分かってるんですよ。先生は私たちの話をちゃんと聞いていなかったでしょう?」
 と言われて初めて彼は、
「しまった」
 と思うのだ。
 患者の家族とすれば、
「主治医から、もう長くはないので、覚悟はしていてほしい」
 と言われたことだろう。
「だから、この間先生にそのことを言おうとした時、先生は、胃の方にばかり集中していたので、私たちは何も言えなかった。もし、あの時、先生が余計なところを切ってしまって、父の寿命を縮めていたらと思うと、私たちも罪の意識にさいなまれないといけない。だから、先生もちゃんとしてください。だけど、もう先生にうちの父を見てもらうことはありませんから」
 というのだった、
 その医者は、モラルがなかったわけではないが、行動の指針が間違っているのだ。
 その理由は、自分の思い込みと、正義感の強さだと思っている。
 しかし、この場合の正義感は違う。
「やってはいけない自己満足」
 でしかないのだ。
 自己満足が悪いというわけではない、これが前に進んでいる時の自己満足であれば、
「自分が満足してもいないのに、人を満足させられるか」
 ということになるだろう。
 しかし、責任が伴っている時は、自己満足だけではどうにもならない。一歩立ち止まって、まわりをしっかりと見て、自分にできることだけを考え、
「他に何ができるか」
 ということを考えないといけないだろう。
 そんな世の中のいろいろな犯罪が増えてきたのは、やはり、コンピュータやネットの発展からであろう。特に、それらの犯罪は、単独で起こるよりも、増えてきた犯罪のケースが、微妙に絡み合うというのもあるし、逆に、パターンが微妙に絡み合っているというのもあった。
 ここで、今回警察に掛かってきた電話というのは、その電話番号が、
「以前、ストーカー被害に遭っていて、警察で番号を登録したものだった」
 というのも、彼女は暗い夜道、
「男に追いかけられているような気がする」
 というのだ。
 実際に出てきたこともあったが、すぐに何もせずに過ぎ去っていく。だから、誰なのかも正直分からないという。
 もっともここで、
「○○さんです」
 と言って申告しても、それが間違いだと言われ、それをしょうめいすることができなかったら、今度は自分の方が加害者になってしまう。
「俺は何もしていないのに、まるで犯罪者扱いしやがって、証拠があるなら示してみろ」
 と言われれば、どうすることもできないのだ。
 ただ、彼女は分かっていた。その男が数年前自分に付きまとっていて、ここの生活安全課に相談に来た時、
「電話番号を登録しましょう」
 と言って、自分の番号を警察に登録することで、
「この番号から掛かってきた時は、何かあったということで、最優先でっ行動を取るようにします」
 ということであった。
 この被害者というのは、名前を西牟田八重子と言った。
 八重子は、当時会社に入ってきた後輩の、
「教育係」
 だったのだが、彼女としては、何もそんなことをしているわけでもなかったはずなのに、
「何か俺に気があるんじゃないか?」
 という思い入れがあったというのだ。
 しかも、この男は思い込みが激しいようで、
「私にはそんな気がなかった」
 と正直にいうと、
「恥ずかしがらなくてもいい」
作品名:悪魔の保育園 作家名:森本晃次