悪魔の保育園
そのウイルスが、コンピュータの中で、悪さをし、ロックを掛けてしまったり、パソコン内の情報を勝手に相手に送信されるということもあったりした。
もちろん、アンチウイルスなどのソフトができあがり、それを使うことで排除もできるのだが、すると、相手もそのアンチウイルスに対抗する詐欺ソフトを作る。そうなると、こっちもまた、新たなアンチウイルスと作るという、
「前述のいたちごっこ」
の様相を呈してくるというものだ。
詐欺犯罪だけでなく、あまたも犯罪というものは、大なり小なり、
「いたちごっこ」
を繰り返すことになると言ってもいいだろう。
かつても、東西冷戦で行われていた、
「核開発競争」
などというものが、その代表例だといえるだろう。
そんな時代において、詐欺犯罪は、昔のように、
「老人をターゲットに」
というようなことはなかった。
そもそも、今の老人には、老人という意識すらないくらいで、しかも、一度かつて、そんな事件が起こっているのだから、しょせんは二番煎じ、うまくいくという可能性はかなり低いであろう。
今のそんな時代だからこそ、コンピュータやネットというのは便利であるし、一度開発してしまうと、それが古くなるまでは、十分に使えるだろう。
しかし、これらの世界は流動的で、
「数年に一度はバージョンアップをしなければいけない」
という業界でもあった。
そうでないと、
「古いシステム」
ということになり、今の人たちには受け入れられないに違いない。
そういう意味では、科学の発展があまりにも早いと、それを求める人間が、
「早いのは当たり前」
という発想になり、そういう意味では、
「いたちごっこがもたらした弊害だ」
と言ってもいいのではないだろうか?
そんな詐欺事件の、
「今昔物語」
を語ってきたが、今度は、また犯罪の質が変わってきている。それは、犯罪そのものというよりも、近年の犯罪とは切っても切り離せない発想という意味で、何を考えればいいのか、少し戸惑わせるものだと言ってもいいだろう。
警察への電話
その問題というのは、
「個人情報保護」
というものだった。
たぶん、その背景には、詐欺事件というものがあるからであろう。
前述の、
「支払サイト」
も詐欺事件など、結果として、
「IDや、パスワードを盗む」
という詐欺だったのだ。
今までは、
「キャッシュコーナーなどで気を付けなければいけない」
という程度で、
「IDやパスワードが盗まれる」
ということはなかったのだ。
それが起こったのは、パソコン、そしてネットが普及したからで、簡単に侵入して盗み取られる。
自分だけのものではなく、他人の個人情報すら取られてしまうことになるのだ。
昭和の頃では普通に考えずできていたことも、今の時代では、ありえないこととなっているのだった。
例えば、昔は固定電話しかなかったので、電話に出る時も、
「もしもし、○○です」
というのが普通だった。
「相手よりも先に名を名乗るというのが礼儀だ」
という風に、昭和までの子供は教えられてきた。
要するに、
「電話番号から個人が特定されてしまう」
ということだ。
さらに今では信じられないことだろうが、昔は、ハローページ、タウンページなどという分厚い冊子があったのだ。
それは、市町村単位の電話番号が載っているもので。タウンページが職業別。ハローページが、個人別だったのだ。
「タウンページは、まだいいとしても、ハローページは容認できない:
もちろん、
「うちは、非掲載で」
ということはできたのだろうが、こちらも完全に個人と電話番号が結びついているのだ。
電話帳というのは、
「人の家の番号を探すためのもの」
ということで、昔は普通に使っていた。
しかし、当然今ではそんなことはありえない。詐欺にひっかかる可能性があるからだ。
そういう意味では、学校からの連絡網であったり、学校からの卒業アルバムなどには、
「指名、電話番同だけではなく、住所まで載っていたのだ」
今ではこちらもありえない。
そもそも、詐欺が行われるようになってから、個人情報がやかましくなった。
昔なら、会社の社外秘を口外しないというのが普通に当たり前だったが、個人はそんなこともない。
そして、相手の電話番号や住所が分かれば、また別の犯罪が絡んでくることになる。
それが、
「ストーカー犯罪である」
ストーカーというのは、
「知り合いが豹変してしまった」
というのも、よくあることであったが、それ以上に、
「まったく知らない人を見染めて、気になったので、住所や名前、電話番号を知りたい」
ということになるだろう。
相手に分かると、無言電話であったり、ピンポンダッシュのような、まるで子供の遊びのようでも、本人にとっては、大きなトラウマとなる可能性を秘めているのであった。
それが分かってくると、犯罪はさらにエスカレートしてくるというものだ。
ネットでの、ハンドルネームというのも、そもそもは、
「個人情報保護」
という意味であった。
ただ、それが今は問題になったりしている。
というのは、SNSなどでよく言われている、
「誹謗中傷」
という問題だ。
というのは、
「匿名だから何でも言える」
ということで、
「名無し」
にしておけば、何を言っても、相手を普通なら特定できない。それでも、最近では、この問題をやっと政府も考えるようになり、それまで情報開示というものが、
「個人情報保護」
の観点から難しかったが、今ではかなり緩和されているという。
厳しいのは厳しいが、ある条件に至れば、情報開示もできて、誹謗中傷した相手を特定できる。
しかも、誹謗中傷に対しての罪も重くなったので、それらのことが、
「今、誹謗中傷を亡くせるか?」
というところまで来ているのだった。
これも、実に大きな問題だった。一人の女性がSNS上で誹謗中傷を受け、そのせいで自殺をしたということで社会問題になったのだ。何といってもネックは、個人情報保護とのかかわりである。
プライバシー保護の観点から、匿名性にしたのに、それがあだとなり、
「どうせ、匿名なんだから」
ということで、言いたい放題に書くというのは、どういうことかということである。
そんな誹謗中傷をするやつは、
「どうせ、表に出ることができない傷心者」
なのか、それとも、
「集団心理でしか自分を表現することができない、自分の意志を持っていないやつに違
いない」
ということなのかである。さすがに自殺者が出て、SNSが荒れたりすると、政府も考えるようになり、身元に繋がる、プロバイダやサイトに対してのIPの開示要求の壁がかなり低くなったのだろう。
ただ、だからと言って、
「プライバシー保護が守られているわけではない」
といえるだろう。
どうせ、騒ぎ出したから、
「このままではまずい」
ということで、急いで法律を緩和しただけなのだろう。
後先も考えず、先に進むのが政府というものだ。