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悪魔の保育園

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 と、過去のソーリの顔を思い出していくと、次第に腹が立ってくるので、途中でやめてしまったくらいだ。
 さて、そんなまだ老後に貯蓄もあれば、年金も貰えたという昭和世代の人たちは、その頃から、
「孤独な老人」
 というのが増えてきた。
 今の時代であれば、老人になっても、
「自分で楽しみを探して、生きていける」
 であろうが、当時の老人はそうはいかなかった。
 というのも、昭和の時代は、ある意味、
「働ける時期は、会社や仕事だけをやっていればいい」
 という時代だった。
 その証拠として、今はなくなりかけているが、かつては日本企業を代表するものとして、
「年功序列」
 や、
「終身雇用」
 という制度だったのだ。
 つまりは、
「会社に入って普通に仕事をしていれば、ある年齢に達すれば、誰でも課長や部長になっていき、その分の給料も上がる」
 というもので、さらに、
「辞めずに働いていれば、定年まで、その会社での椅子が約束された」
 というようなものだからだ。
 もちろん、高卒、大卒によって、その差は歴然なので、学生時代から、
「とにかく、勉強して、いい大学。いい会社の入る」
 というのが、親が子供に求めるものだった。
 当時の日本企業は、とにかく世界のトップクラスで、
「ベストテンに、7,8社が日本企業」
 と言われたほどだったのだ。
 今の時代では、ベスト30に、一社入っているかいないかというもので、昭和の時代と今とではどれだけ違うかということは分かるというものだ。
 そんな時代の老人は、定年になると、魂が抜けたようになってしまい、もし家族と住んでいるとしても、家族から、
「邪魔者扱い」
 にされるくらいだった。
「いうこと利かないと、老人ホームにいれるわよ」
 などと、老人ホームをまるで、
「姥捨て山」
 か何かと間違えているような感じである。
 今であれば、老人ホームに入りたくても、お金がなくて入れない時代だ。それだけでも、時代の違いが分かるというものだ。
 今の時代は、年功序列、終身雇用というのはなくなってきて、さらには、非正規で働く人が増えてきた。
 会社が、正社員の割合を削り、安い給料で雇えるようにし、何よりも、
「いつでも首切りができる」
 という便宜性から、非正規社員を雇っているのだった。
 しかし、現場では、そういう非正規社員に、仕事を任せたとしても、その責任を取ってもらうことはできない。結局、残っている正社員に、非正規社員ができなかった仕事が回ってきて。さらに責任までこちらにあることになる。会社の都合で、責任や仕事を押し付けられることで、今度は正社員が、精神的に楽な非正規雇用に走ったというのも、無理もないことだろう。
 会社を辞めて。非正規の派遣会社に登録する。アルバイト感覚なのだ。
 昭和の頃には、聞いたこともなかった、
「派遣社員」
 というもの、利便性だけで、会社としては、人も育たないし、ただ、
「その時だけよければいい」
 ということなのだろう。
 確かに、昭和の頃から平成になっても、結局は激動の時代。
「十年後には、どんな世の中になっているか、分かったものではない」
 ということになるだろう。
 昭和の終わり頃に結局、定年退職をすれば、完全に生活は変わってしまう。
 今の時代であれば、
「お金があるんだから、悠々自適な生活ができて、いくらでも趣味もできるし、お金があるんだから、旅行にでもいったりすればいいんだ」
 と思うかも知れない。
 しかし、
「企業戦士」
 と言われた時代を生きてきたことで、何も趣味もなく、
「寂しい老後」
 という意味で、よく出てくるのは、
「盆栽いじりとしている爺さん」
 というくらいだった。
 当時は、今のように、ゲートボールがあったわけでもないし、55歳を過ぎて、元気でいられるという保証もなかった。
 今であれば、還暦でも、いや、70歳を過ぎても、ゲートボールなどのスポーツをバリバリにやっている人がたくさんいるだろう。
 それができない人たちで、配偶者を亡くしたりすれば、本当に一人になってしまう。それをこの会社は狙ったのだ。
 老人に言葉巧みに近づき、親切という餌を与えておいて、信用させ、まるで、
「子供に面倒を見てもらっているようだ」
 という安心感を与えられたのだ。
 だから、老人たちは、すっかり騙される。中には女性の社員が、男性老人を、
「色仕掛け」
 で騙すということもあったようだ。
 そして、
「わしの養子にならんか?」
 などと言わせてしまい、遺言状に、うまく自分に遺産が転がり込むように書かせるくらいは、ここまで信用させていれば、いくらでもできるというものだ。
 なぜ、これが発覚したのか覚えていないが、内部リークだったのか、それとも、
「遺産目当てで、殺害があったのか?」
 などということであろう。
 しかし、マスゴミが騒ぎ始め、そして、それが、社長への強硬取材になった時、ちょうど、
「暴漢が入ってきて、社長を突き刺す」
 などという、前代未聞の事件が起こった。
 生放送で、社長を直撃しているところだったので、その映像が、ちょうど昼のワイドショーだったこともあって、全国に生放送されたということでの、
「前代未聞」
 だったのだ。
 これが、昭和の詐欺で、その内容もさることながら、狙う相手を絞るというようなことが横行していた。これも、一種の、
「世相を反映した犯罪だった」
 ということになるのだろう。
 2000年以降の詐欺は、そういうものではない。
 どちらかというと、不特定多数をターゲットにし、被害者が騙されたということに気づくのは、
「お金を騙し取られてからだ」
 ということになる。
 これは昭和の犯罪でも同じだが、昭和では、
「あの時に、言葉巧みで言っていたのを、我に返るとおかしかったとどうして気づかなかったのか?」
 という後悔があるが、今の詐欺はそうではない。
 後で詐欺ということが分かっても、そしてその理屈を説明されても、一回で理解できないような、そういう意味で、
「巧妙な手口」
 なのだ。
 というのは、一種の、今でいうフィッシングであったり、なりすましと言われるようなもので、パソコンやネットの普及で、銀行や、お店に行かなくても、ネットで商品が買えるという便利な時代になったのだが、
 詐欺というのは、そのネット販売を狙ってのものが多かった。
 購入してから、支払いサイトに行くのだが、そこで、クレジットやカードの、IDや暗証番号を打つことになるが、そのID、暗証番号が盗まれるというものである。
 というのも、購入してから、リンクボタンを押して。
「支払いへ」
 というサイトに行くと、そこは、巧妙にできた偽サイトだったりする。購入はその時にできたとしても、情報は盗み取られていて、後になって、購入した覚えのないところから、請求が来るというものである。
 何しろ、ほぼ同じサイトなのだからたちが悪いというものだ。
 また、直接そのパソコンに侵入し、盗み出すという手口もあった。
 ゲームなどのアプリをダウンロードすれば、一緒に、コンピュータウイルスが入り込んでしまうというものだ。
作品名:悪魔の保育園 作家名:森本晃次