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悪魔の保育園

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 ほとんどの場合が女性ということもあって、下手をすれば、
「気のせいじゃないですか? 自意識過剰すぎますよ」
 と言われてしまうのがオチである。
 特に、男尊女卑の昭和の時代。こちらも、別の意味で、問題になる認識であった。
 だが、1990年代中盤くらいだったと思うが、ストーカー関係のドラマがあったのだ。
 それも、男がストーカーの場合と、女が主人公の2本のドラマが平行してあったのだった。
 どちらにしても、被害者側が擁護されるように作ってあるだろうから、女性が被害者の時は、まるで、痴漢犯罪や盗撮のような女性への性犯罪の認識が強い。しかし、男性が被害者の場合は、どちらかというと、
「自業自得」
 として描かれるのが多いのではないのだろうか>
 というのも、
「男が複数の女性と交際していて、お互いがそのことを知らないのであれば、見た目は、まるで一夫多妻制のような、ハーレム状態に見える」
 というものだ。
 ということは、
「男のロマン」
 とでもいうべきか、女としては、
「最低の男だ」
 という目で見て、男性の方も、
「嫉妬心」
 から見ているパターンと、さらに、
「女性の敵」
 という目で見る人もいるだろう。
 今と昔で、どちらがフェミニストが多いのか分からないが、
「複数の女性を相手に不倫をしている」
 など、男女両方から嫌われて当然ではないだろうか?
「女性の気持ちを分からない男は、法で裁かれて当然」
 とばかりの時代になってきたのではないだろうか?
 今であれば、このような不倫は、
「ゲス不倫」
 と言われるのかも知れない。
 ただ、昔の男尊女卑であれば、男が表で不倫をするくらいは別に悪いことではないと、「法律が認めていた」
 といってもいいだろう。
 ただ、これは、戦前の話であるが、不倫に関しての法律、
「姦通罪」
 というのがあったのだが、それは、女性が不倫をした時だけ罪になり、男性が不倫をしても、罪に問われないという理不尽な法律であった。
 だから、日本国憲法の、
「法の下の平等」
 という精神から、姦通罪はなくなったのだ。
 逆にいえば、平等な法律であれば、日本国憲法になっても続いていたかも知れない。今はどこの国にもなくなってきたが、2000年近くまで、韓国ではあったようだ。
 しかし、そんな姦通罪も、日本では、
「男女差別を平気でやっていた法律」
 だったのだ。
 つまり、
「男は不倫しても構わないが、女はダメだ」
 ということである。
 たぶんであるが、昔の感覚として、
「男は表で、仕事して金を稼ぐが、女は家にいて、生産性がないので、甲斐性がない」
 ということなのかも知れない。
 今では、女性も表で働く。それは、最初は、
「家計を助ける」
 という意味だったのかも知れないが、そのうちに、バブルが弾けてからは、
「旦那の稼ぎだけでは、家族を養っていけない」
 ということと、会社側の都合で、
「非正規雇用」
 というものを、雇わないと、正社員ばかりだと、会社が給料を払いきれない。さらに、会社側は、
「非正規雇用だと、いつでも解雇できる」
 という便宜性から、非正規としての社員を求め始めた。
 今では、男子の非正規雇用も多くなってきたのだが、それは今度は、また別の意味で、男性の日誠意が増えてきたのかも知れない。
 というのも、2000年に入ってから、
「男女雇用均等法」
 なるものが生まれてきた。
 女性側が、
「男性と同じような雇用機会を」
 ということで考えられたものだが、その発想は、少し大げさなところまで来ているような気がする。
「特に、女性特有の名称を男性と同じに」
 というようなバカなことも言っているのだ。
「看護婦を看護師」
「スチュワーデスを、キャビンアテンダント」
 などというように、
「男女平等だから」
 ということで、形から入るというのは、どうなのだろう?
 また、このような
「男女雇用均等法」
 に絡むところで、意識の中に置いて、女性に対しての犯罪が、過剰に判断されるという懸念がないかということである。
 たとえば、痴漢、盗撮などの犯罪を、
「女性が今までは絶対的に弱い立場だった」
 ということで、それを逆手にとった、
「嫌いな男性を罠に嵌めるという意味で、まったく関係のない人をサクラのように使って。見てもいないのに、
「この人痴漢です」
 などということだ」
 まわりの人は、絶対に、女性側の味方をするだろう。
 男の肩をもって、女性陣から、男女雇用均等を盾に迫られたら、どうすることもできないのではないだろうか?
 それを考えると、どうしても、男を悪者にしないといけない。多数決でいけば、絶対に負けるのだ。
 しかも下手をすると、
「あんた、この男の仲間なんじゃない?」
 と言われて突き詰められれば、本当に同僚などであれば、
「ほらね」
 といわれてしまうことだろう。
 この力関係は苛めにも似ていて、相手が美人局のようなグルであれば、最初から計算ずくなので、逃れることなどできないだろう。

                 いたちごっこ

 昭和の頃であれば、
「美人局」
 というものが、幅を利かせていた時期があった。
 金を持っていそうな芸能人などに、女をあてがって、
「お兄さん、これから、どこか行きます?」
 と言葉巧みに誘って、ホテルに入ることだろう。
 だが、この時の男の心理がいまいちよく分からないのだが、
「お金があるのであれば、風俗のお店に行った方がいいような気がするのに」
 と思うのである。
 いわゆる、
「ポン引き」
 というものであったり、一時期流行った、
「テレクラ」
 などで知り合った素人と、ホテルへしけこむということであっても、
「タダ」
 ということはない。
 風俗に比べて高いのか、安いのか分からないが、どうせお金を払うのであれば、
「お店の方がいいのではないか?」
 と思うのは、勝手な思い込みであろうか?
 お店に行く方が、ちょっと考えれば安心な気がするのだ。
 というのも、お店であれば、女の子のサービスは基本的にいいだろう。
 今は大衆店や格安店などがあるが、昔は、マットなどは必ずあったではないか。
 もし、お店が嫌であれば、デリヘルというのもあるはずだ。こちらも、店舗からの派遣なので、しっかりしているはずである。
 デリヘルなどは、却って店側の方がリスクが大きい。
 ホテルの個室や、客の家なのであれば、店の力は及ばない。女の子に何かされても、女の子側はどうすることもできないだろう。
 以前は、Vシネマなどで、
「女の子をホテルの部屋に連れ込んだ後、もう一人か二人男が出てきて、女の子を羽交い絞めにして、好き勝手する」
 ということだってあったではないか。
 女の子の方も、ビデオを回され、それを元に脅迫されれば、どうしようもないだろう。
 下手をすれば、学生とかだと、学生証を取られたりするだろうから、女の子が圧倒的に不利である。
 それを考えると、店側のリスクは、デリヘルなどでは、大変であろう。
 そんなことをする連中がいるくらいなので、
「美人局などは、とんでもないことになる」
 といってもいいだろう。
作品名:悪魔の保育園 作家名:森本晃次