悪魔の保育園
しかし、不登校というのは、登校の意志はあっても、苛めなどの問題で、学校にいけなくなり、出席日数が足らなくなってしまったりすることをいうのだという。
つまりは、不登校の場合は、登校の意志がある場合で、登校拒否は、学校に行くこと自体が嫌だという感覚である。
要するに、
「不登校と登校拒否は根本が違っているので、それぞれの時代だからあったというわけではなく、今も両方とも存在している」
ということだ。
登校拒否は理由だけを見ると、
「不良だ、怠けている」
という風に見られがちだが、実はそうではない。
特に昭和の時代における、
「詰め込み教育」
の時代にはよく起こったことではないだろうか。
というのも、
「学校にいきたくない」
という理由に、
「勉強についていけないから」
あるいは、
「成績が悪く、先生や親からやかましく言われるから」
などという理由もあるだろう。
先生側も、
「成績のいい生徒に合わせて、落ちこぼれを放っておくか?」
あるいは、
「落ち溺れをなくすために、成績のいい生徒を待たせておくという態度を取るか?」
ということで、詰め込み教育をする限り、
「できる生徒とできない生徒の溝」
というのは必ずできるもので、それを埋めるのは至難の業であろう。
同じ教室で授業をやっている限りは不可能だといってもいい。だから、登校拒否が多かったのは、昭和時代ということで、昭和には、登校拒否という言葉しか聞かなかったのだ。
苛めもあるにはあったが、実際に学校に来なくなるほどのひどい苛めがとれほどあったのか分からない。実際に苛めの中には、
「苛められる方にも原因がある」
ということで、苛められる側も苛めくらいで学校を休むということは、いうほどなかったのではないだろうか?(ちなみに作者も昭和の苛めを受けていた経験者なので、このような書き方になりました)
だが、これが平成になり、途中から、
「ゆとり教育」
ということが言われ出すと、学校での落ちこぼれというのは、少なくなってきたのかも知れない。
逆に、ついていけなければ、学校を休んで家に引きこもることで、
「引きこもり」
ということで、
「登校拒否」
との境が見えなくなったのではないだろうか。
何でもかんでも、引きこもりということになり、実際にはその中には、登校拒否もかなり含まれているのではないだろうか?
大人でもこの時代は、バブルがはじけて、会社をリストラされたことで、家にもいえず、表で彷徨っている大人もいたりした。
そのせいで、
「大人の引きこもり」
というのも出てきて、引きこもりという言葉で、何でも表現してしまう時代になっていたのかも知れない。
ただ、不登校と、引きこもりとの因果関係は結構あるのではないだろうか?
不登校になり、家の中にいてもすることがないと、暗い部屋で布団をかぶって、自分だけの世界に入りながら、ゲームばかりしているような、そんな状況が、子供だけではなく、大人にも現れてきたのだった。
確かにバブルが弾けたことでのリストラの嵐は大きな社会問題となり、
「大人であっても、トラウマや精神状態が崩壊し、子供に戻ったかのようになってしまうのだ」
ということであった。
そんな苛め関係は、
「昭和の時代にもあったが、平成以降では、まったく違ったものになってしまった」
というものである。
しかし、平成になってから、現れた新種の問題がいくつか散見されるようになった。
このどちらも、結構深刻な問題で、それぞれの時代で、大きな問題となっていた。
まず最初に出てきたのは、時代的には、1990年代前半くらいからであろうか、
「ストーカー問題」
というものであった。
ただ、昭和の頃であっても、
「付きまとう」
ということは、まったくなかったわけではないだろう。
ただ、一般市民という意味では数としても問題としても、それほど昭和の頃に多かったわけではないだろう。あっとするれば、チンピラや紐、あるいは金づるなどと言った、
「裏の世界」
にはあったといってもいいだろう。
ただ、一般的な庶民の中にはなかったこともあってか、世間的にも認知されていなかったが、1990年代に入ると、急に、
「ストーカー」
という言葉が叫ばれるようになった。
「恋人同士だったのに、別れ話が拗れて、別れたくないと思っている方が粘着体質だったありすると、その人をどこまでも追いまわしたりする」
などというところから始まるのだろうが、
「マンションの玄関先の前に、ゴミや汚物をわざと投棄」
「注文もしていないのに、デリバリー(当時は出前)を電話でいろいろなところにかけまくり届けさせる」
さらには、
「無言電話」
などというのが、パターンだっただろうが、ひどいものになると、
「お互いの性行為のシーンを、自分だけ顔を隠して、相手の会社にメールで送りつける」
などというのもあった。
「会社の前で待ち伏せ」
などというのは、前からあったことかも知れないが、とにかく、最初は規制する法律もなく、やっと途中で、
「ストーカー規制法」
なるものができてきた。
しかし、これだって、完全に被害者を守れるものではない。
「帰宅時間ちかくになると、家の周りのパトロールを増やす」
などという、幼稚なことしかできないのだ。
要するに警察というところは、今も昔も、
「事件が起こらなければ、動かない」
ということになるだろう。
私立探偵が、
「依頼がなければ動かない」
ということと、わけが違う。
「障害事件や殺人事件が起こらないと、警察は動けない」
ということであり、中には、
「こんなことにならないように、警察に事前に相談したのに」
といっても、動かなくて、結局最悪な形になったのは事実であろう。
ただ、警察としても、
「疑わしいというだけで、相手を監視したり、束縛はできない」
というのも、当然であろう。
しかし、実際に犯罪が起きてしまって、
「警察には相談した」
と言われてしまうと、誰かが責任を取ることになるのだろう。
直属の上司が懲戒処分ということで決着ということで、解決してしまうなど、
「まるで、トカゲの尻尾切のようだ」
ということであったのだ。
昭和の頃にも、
「ストーカー」
という言葉ではないだけで、同じようなことがなかったわけではない、
学生時代に、好きな女の子がいたら、どこに住んでいるか、追いかけてみようという衝動は、昭和の人であれば、あったのではないか。
そして、一度くらいは追いかけてみたりしたこと、あったのではないだろうか>
今やったら、もちろん、アウトである。
人の後をつけたり、個人の家を調べたり、別の意味の法律でもアウトだ。
昔は、別にそこまでなかったのは、それほど陰湿なストーキングが、目立たなかったからかも知れない。
いや、もっと言えば、ストーカー行為をされても、証拠がなかったり、ストーカー行為に対しての認識がなかったので、
「被害者が、泣き寝入り」
というのが多かっただろう。
なぜなら、ストーカー行為という認識がないので、
「後を追いかけられた」
ということになる。