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悪魔の保育園

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「なるほど、痣があったり、今まで高いところを怖がらなかった子が、急に怖がり出したり、さらには、何か光るものを好むはずの幼児が、光るものを見て泣き出したりすることがあるような気がするわ」
 と、いう親も出てきた。
 もっとも、話を聴いて、思い当たるという時点で、正直に言って。
「親失格」
 だといってもいいだろう。
「そんなことくらいは、すぐに気づくから親だというもので、子供のどこを見て、自分が親だということができるんだ」
 と、第三者が聞けば呆れるようなものだった。
 これは、父親には分からない感覚だろう。自分の腹を痛めて生んだ子だから分かるというもので、確かに、子煩悩な父親でも、母親ほど分かることはないであろう。
 そんなことを考えていると、
「親って何なんだろうな?」
 とも思えてくる。
 最近は、子供を持たない大人が増えている。
 あるいは、
「結婚はしたくないけど、子供だけはほしい」
 というわけが分からないことを言っている女性もいる。
「結婚せずに、一人で育てられるのか?」
 と言いたいのだが、それは、最初は誰もが幸せを夢見てした結婚のはずなのに、気が付けば別れてしまっている。
 つまり、
「別れるくらいなら、どうして結婚したんだ?」
 と言いたいのだろう。
 確かに最近は、
「別れるくらいなら、最初から結婚しない」
 という人も増えてはいるが、それは、子供も含めてだと思う。
「自分の時間は自分だけで使いたい」
 ということで、
「孤独を愛する」
 という発想もありなのだろう。
 確かに今の世の中、
「少子高齢化の時代」
 と言われるが、だからと言って、そのために、
「結婚して、子供をたくさん作るぞ」
 という人がいるわけもない。
 政府が勝手にほざいているだけで、そもそも、結婚して子供を作ってもやっていけるだけの保証をしてくれるのであれば、それも当たり前だ。
 そういう意味で、今の時代は、
「中世の封建制度の世の中に比べても、劣っている」
 といえるのではないだろうか。
 そもそも、
「封建制度」
 というのは、
「領主が領民の命である土地を保証し、そして、そこで採れた作物を年貢として納め、さらにそれを給料にする武士は、領主のために、兵を出す」
 という、いわゆる、
「ご恩と奉公」
 という、双方向の関係で成り立っているのだ。
 しかし今は、税金という形で年貢は自動的に収めさせられているのに、政治家の連中は、私利私欲に塗れ、まったく国民のために何かをしようともせず、国民の血税を私利私欲で使いまくったり、着服ばかりしているのだから。
「それが民主主義だ」
 と言われて、
「はい、そうですか」
 と言って、簡単に従えるものでもないだろう。
 そんな時代において、それでも、純粋に、
「結婚がしたい」
「子供がほしい」
 と思う人も多いだろう。
 だから、保育園も多いのである。
 だが、そんな保育園が、あてにならないということであれば、どうなるというのだ? 昔であれば、
「学校が悪い」
 と言って、PTAや教育委員会などとのトライアングルができていて、結構厄介であったが、幼稚園、保育園での問題というのは、あまり聞いたことがなかった。
「被害者の低年齢化」
 というのが流行っているということなのだろうか?
 考えてみれば、幼稚園バスなどで、子供を置き去りにする事件。
「どこかで聞いたことがある」
 と思った人も少なくないだろう。
 そう、子供を車に乗せたまま、パチンコを打ちに行って。子供が死んでいるのを見て、
「えっ? 何で?」
 と思うというバカな母親である。
「車の中で、幼児が身動きもできずに、自家用車の中で、真夏など、炎天下で置き去りにされえば、死んでしまうという、そんな知能指数が0なのかと聞きたくなるようなことに気づかない」
 ということである。
 もし、それを、
「分かっていた」
 というのであれば、もっとたちが悪い。完全に確信犯である。
「忘れていた」
 というのも、論外であり、それなら、まだ誰かに預ける方が安心だ。
 中には、
「エンジンを掛けて、空調も入れていたのに」
 というバカ親もいるかも知れないが。それこそ恐ろしい。
 車の中でエンジンを掛けたままだということは車のカギが刺さったままであり、
「誰かに車ごと盗まれる」
 ということすら頭を掠めたりもしなかったということなのだろうか?
 誘拐犯に、
「ここに子供がいるから、どうぞ、誘拐してください」
 と、宣言しているようなものだ。
 もし、運よく、誘拐に合わなかったとしても、エンジンなど、いつ切れるか分からない。特にアイドリング状態で、数時間放置など、ありえないだろう。
 特にクーラーを入れた状態であれば、エンジンがどれほど不安定になるかということである。特に主婦など、車の知識もないくせに、普通に使っているから。こういうことになるのだ・
 また、
「負けたらすぐに帰ってくるつもりだった」
 という人もいるかも知れないが、これも論外だ。
 実際に戻ってきてないではないか?
 負けたにしろ勝っていたにしろ。そこで帰ってくれるくらいだったら、パチンコ依存種になどならない。そして、パチンコ依存症でもなければ、車に子供を置き去りにして、
「車から長時間離れる」
 など、ありえないことである。
 それを思うと、幼稚園バスの方が、いくら、
「業務上過失」
 とはいえ、このような親よりはマシである。
 今の刑法ではなくなったが、
「刑法第200条」
 に、
「尊属殺」
 というものがあった。
 これは、近親間の殺人のことをいうもので、
「近親間における殺人は、通常の殺人とは異なり、通常の殺人であれば、最低、3年以下の懲役から、上は死刑までとなっているが、尊属殺人の場合は、最低でも、無期懲役、それ以外には、死刑しかない」
 という、厳しいものだった。
 だから、子供を車に置き去りにして殺害したということは、昔であれば、この
「尊属殺」
 ということに当たるわけで、もし気づかなかったというのが本当で、ある程度の情状酌量があったとしても、無為懲役しかないのだ。
 パチンコ依存症であれば、まず間違いなく死刑は免れないのではないか?
 ということである。
 死刑というのは、確かにそんなに簡単なものではないが、子供だって、親から、
「気づかなかった」
 と言われ、悲しくもないくせに、ウソ泣きされても、溜まったものではない。
「ああ、気付かなかったと言われて、死刑になればいいんだ」
 と、きっと死んでいった子供たちは思っていることだろう。
 世の中には、
「情状酌量されても仕方のない殺人事件というものは、もっとたくさんあるはずだ。そんな人たちもちゃんと反省し、罪に服しているのに、気付かなかったの一言で、殺されてしまった子供は、一体何のために生まれてきたというのだろう?」
 それを思うと、そんな社会の何の役にも立たないような親は、逆に葬ってやった方が、よほど本人たちのためであり、社会のためだといえるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「○○依存症」
 というものが、社会にもたらす影響がいかに大きいのか分かるという気がする。
作品名:悪魔の保育園 作家名:森本晃次