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悪魔の保育園

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 きっと撮ったのは、ここに写っていた、彼氏と思しき男なのだろう。
 しかし、それにしても、少し変な気がした。
 この電話の持ち主であった女は、
「ストーカー被害に遭っていて、そこで、何かあった時に、警察が飛んできてもらえるような手続きをしたのではないか?」
 ということだった。
 いくら後から彼氏ができたからと言って、いきなりこんなきわどい写真を撮らせるというのは、どういう了見なんだろう。
 もし、ストーカー被害がなくなったとして、彼氏ができたことで、安心感が生まれたとしても、このポーズはあまりにも、男性に対して警戒していないということの現れではないだろうか。
 さすがに、一度でも、ストーカーに怖い目にあわされたのであれば、そんなに簡単に、こんな格好ができるほどの安心感が得られるわけがない。
 それを思うと、
「本当に、かつて、警察に駆け込んできた女性が、ストーカー被害に遭っていたのだろうか?」
 と疑ってみたくもなるというものだ。
 その女生徒は会ったことがないので、どんな女性なのか、想像もできないが、もし、そうでもなければ、あんな、淫らな姿をあられもなく表すことができるなど、想像もつかないだろう。
 それを考えると、
「じゃあ、どうして、あの時、警察に駆け込んできたのだろう?」
 という疑念が浮かんでくる。
「ストーカー被害に遭っている人であれば、警察が携帯番号を控えて、そしてその番号から電話があれば、最優先で行動をする。そのために、警察に番号を登録するのだ」
 ということなので、警察が番号を登録したということは、本人に聞かないと分からないことだろう。
 というのも、
「ストーカー被害に遭っている人は、毎日のように発生していることだろう。中には、そうでもないことから、本当に命の危険があるまで、さまざまに違いない。そして、警察というのは、何かなければ、行動しない。それも、行動したいと思ったとしても、集団で動くものだから、一人が動いてくれることはない。だから、世間から警察はあてにならないと思われているんだ」
 と感じていた。
 それは、今回捜索に来た刑事にも分かっていることだった。
 というのは、やはり刑事というと、何かあれば現場に駆け付け、
「生の声をしっかり聴いている」
 ということだからだろう。
 そういう意味では、捜査本部に詰めている、
「キャリア組」
 と思しき、管理官であったり、捜査本部長などは、いきなりキャリアからなので、そんな庶民の言いたいことが伝わっているとは思いきれないものであった。
 だから、今から20年くらい前の刑事ドラマから、今に続いているもので、いつもテーマとして挙がっているのが、
「キャリア組と、叩き上げであったり、ノンキャリと呼ばれる現場主義の刑事との確執などが取り上げられたりするドラマ」
 だったりするのだ。
「事件は会議室で起きているんはない」
 というセリフを、どこかで聞いたような気がしたが、あのあたりから、テーマになってきたのではないだろうか?
 キャリア組というのは、いきなり、警部補から始まる。ノンキャリであれば、平の巡査から、巡査部長、そして、平の刑事から、やっと上がっていくもので、それらには、昇進試験が伴うのだ。
 ただ、ドラマなどでは、ノンキャリで進んできた人たちの活躍が、スッとするというのは、
「勧善懲悪の時代劇」
 を見ている人の感覚と似ているのではないだろうか。
 ただ、時代劇に出てくる、
「水戸黄門」
 や、
「遠山の金さん」
 などのように、ワンパターンに、時間内に解決するというものではない。
 なぜなら、江戸時代の勧善懲悪というのは、印籠であったり、桜吹雪が証明ではあったが、中納言であったり、お奉行様という明らかな力を持っている人間に逆らうことはできなかった時代だった。
 だから、スカッとするのだ。
 そんな時代劇を見てスカッとするのは、なぜか年配の人だった。
 少なくとも、40前の若者と言われる人たちが、毎週、水戸黄門などを熱中して見ているかどうかというと、そんなことはないだろう。
 年配になればなるほど、勧善懲悪に嵌るというものだ。
 それだけ、若い連中には。
「社会の理不尽さ」
 というものが分かっても、それをどのように解決すればいいのかという確固たる自信があるわけではない。
 つまりは、
「理不尽さは分かっても、解決方法が分からないと、勧善懲悪は見るに堪えない」
 というものだったのではないだろうか?
 特に警察などというと、江戸時代のような、
「身分制度」
 に近いものを、キャリアという形で感じている。
 要するに、理不尽であっても、従わなければいけない自分に腹も立つし、そのしがらみのために救えなかった命があると思うと、
「自分の中での怒りが爆発」
 するのである。
 スマホのフォトを見ていると、最後に見えてきた画像に、少なからずのショックを受けたのだった。
 それまでは、ほのぼのしたものであったり、嫉妬を受けるくらいの羨ましい写真であったが、そこから先は、何と言っていいのか、
「見ているだけで、訝しさを感じ、さぞかし、渋い表情をしているだろう」
 ということを思わせるものだった。
 まず最初に感じたのは、
「見なければよかった」
 という感覚だったが、警察官という職務上、そうもいかなかったのも事実で、その写真のおかげで、このスマホの持ち主がどういう人なのかということが分かった気がした。
「なるほど、古いものから、順に出してきているというのも、どうやら、この人が、自分たち警察が眼にするということを考えた上で、並びを変えたんだろう」
 ということを思わせるものだった。
「最初は、露仏協なのかって思ったほどだったのに」
 と思っていたが、まだ笑って写っている時はよかったが、よく見てみると、その表情に笑いがなくなってくるのであった。
 そこにあるのは、
「ガチな苦痛に耐えている表情」
 そして、男の方が、それを見てほくそえんでいる。
 二人の間だけであれば、そこまで気にすることもないのだろうが、こんなものを見せられた方とすれば、溜まったものではないといえるだろう。
 もちろん、警察官なのだから、
「エグい」
 と言われるような写真も、かなり見てきたし、現実にも見てきた。
 殺人事件に立ち合った時など、最初は翌日まで、何も食べれないほどに気持ち悪かったりした。
 今では何ともないのは、
「警察官としての宿命」
 のようなもので、嬉しくはないが、しょうがないと言ったところであろう。
 その写真は、じゃれ合いなどというものではない。見るからに、
「SMシーンであることは明らかだ」
 刑事は、その時、以前巡査だった時期、押収した、
「戦利品」
 の中に、SM雑誌があり、その雑誌が、
「SM雑誌」
 であることを知らずに、ページを開け、かなり後悔したのを思い出した。
 しかし、そういう雑誌に限って、目を離せなくなるのは、そもそも、
「自分が変態だ」
 という認識でもあるのか、それとも、
「人間というのは、大なり小なり、皆そんなところがある」
 と言っていいものなのかということを考えてしまった。
作品名:悪魔の保育園 作家名:森本晃次