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悪魔の保育園

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 などということで、実際には、ギャンブルなのに、法律としてはゲームセンターと同じ「娯楽施設」
 であるということは、どういうことなのだろうか?
 正直なところ、詳しいことは知らないが、そもそも、
「三店方式:
 などというものを編み出し、ギャンブルであるものを、娯楽施設という括りに強引に持っていったのは、警察だということだった。
 そのことを知っている人たちは、この曖昧な事実に憤っているに違いない。
 それを思い知ることになったのが、例の、
「世界的なパンデミック」
 の初期の頃のことだった。
 最初の頃は、新型ウイルスということで、その正体が誰にも分からなっかった。
 今でも、分かっていないわけだが、それは、
「ウイルスが変異を繰り返す」
 ということなので、しょうがないところではあった。
 半年や1年で、大きな感染者の増大による波を起こしたかと思うと、減少傾向にあれば、国民は、
「よし、これで危機を乗り越えた」
 と安堵するのだろうが、実はその間にウイルスは変異していて、
「別のウイルス」
 として、感染を広げていくのだった。
 そうやって、また、数か月で感染者が増え始め、また、規制が入ったりした。
 しかし、もう流行り出して、3年近くも経つと、そのウイルスの正体が分かっているわけでもないのに、あほソーリのアホ政府が、
「表にいる時は、マスクの必要はない」
 などといい、さらに、それまで行っていた、
「海外からの検閲」
 もほとんどしなくなり、
「水際対策」
 は、ザルだけではすまなくなったのだ。
 国民に対して、
「表でマスクをしなくていい」
 などといえば、いくら、その前後に、
「距離をとって」
 あるいは、
「人混みでは、マスクをして」
 と言っているとしても、マスゴミによる印象操作のように、
「自分たちに都合のいいところだけ切り取って解釈する」
 ということになる。
 これは、元々マスゴミが、
「自分たちさえ儲かれば」
 とでもいうように、売れる表題を考えることで、都合よく判断させるというテクニックを、無意識に国民に植え付けていたのかも知れない。
 そんな状態であれば、
「集団意識のなせる業」
 ということで、自分の意思というものをそれほど持っていないような連中は、マスゴミの情報操作のようなものに騙される形で、コロッと政府の口車に乗ってしまい、街を歩いていても、マスクをしていない馬鹿どもが溢れることになるのだ。
 マスゴミも、
「感染が拡大してきました」
 と、自治体などから発表された内容を右から左に受け流すように、ただ、原稿を棒読みするだけである。
 そんな状態で、国民が危機感を感じるわけなどなく、国民も、増えようがどうしようが、完全に他人事であった。
 きっと、自分が罹って初めて後悔するのだろうが、後の祭りというものである。
 何といっても、パンデミックが流行り出して丸3年が経ってきたが、皆ほとんど知らない、というか、ニュースなどで特集を組んだりしているが、放送する方にも、ポリシーが感じられないような内容で、視聴者につたわるわけはない。
 しかし内容は深刻なものだった。
 というのは、
「感染者が治ってからの後遺症に悩まされている人が、かなりの数いる」
 ということである。
 仕事の拘束時間だけでも耐えられないほど、頭痛や吐き気に襲われたりするという。
 しかも、それが、
「後遺症」
 であるということは会社の上司も分かっていることだろう。
 しかし、それを、会社の上司がハラスメントに利用したり、誹謗空将に利用したりするという。
 つまり、
「甘えるな。怠けたいからそんなこと言ってるんだろう」
 とか、
「感染したのは、お前の自業自得じゃないか」
 などということを言われたりするようだ。
 確かに、感染した人の多くは、
「どうせ、俺はかからない」
 あるいは、
「若い者は重症化しないんだ」
 と言って、ワクチンも打とうとせずに、感染対策も適当にしていた人は、自業自得であろう。
 しかし、伝染病など、どこで誰が罹るか分からないものなのだ。だから、一概に、
「皆悪い」
 と一絡げにして言えるものではないのだ。
 そういう差別的な言われ方が、3年も経った今でもいわれているというのは、実に情けない。
 本当は、国やその第三者委員会が、ウイルスの正体を全力で突き止め、国民を安心させればいいのだが、肝心の政府は、
「もう、パンデミックなんかどうでもいい。その影響で疲弊した経済を立て直す」
 ということの方に舵を切ったのだ。
 ということは、
「国民の命なんかどうでもいい」
 と言っているのと同じで、
「政府は国民を縛ることはしないので、死にたくなかったら、自己責任で行動し、自分の命が自分で守れ」
 と言っているのだった。
 それを、ノーマスクなどのように、
「国家が、マスクをしなくてもいいというのだから、今回のウイルスの山は越えたと言っているんだ」
 などというのは、大間違いだ。
 逆に、国家は、国民のことを見捨てて、自分たちの保身にだけ動いているということであった。
 だが、こんな現在ではあったが、流行り始めて、まだ最初の数か月というと、本当に何もその正体を分からなかったので、世界各国で、
「ロックダウン」
 が行われた。
「国民の行動の権利の部分の一定的なところを、政府が制限する」
 というもので、いわゆる、
「戒厳令」
 と同じだった。
 しかし、日本では、日本国憲法に明記してある、
「基本的人権の保障」
 というものが邪魔をして、さらに、
「平和主義」
 というものを謳っているということで、
「日本には有事はない」
 ということで、
「戒厳令」
 というものもないのだ。
 つまり、国家は国民に要請することしかできず、罰則を伴う命令を出すことが現行法ではできなかった。
 しかし、そのうちに、伝染病蔓延防止の観点から、いくつかの法律が出来上がり、実際に運営されたが、
「正直。その内容は、ひどいもので、どうも政府が楽をしようとでも考えているような内容も少なくはなかった」
 といえるだろう。
 そんな状態において、日本には、
「緊急事態宣言」
 なるものが一番厳しい状態であった。
 国民に対しての行動制限の要請、つまり、
「なるべく、家にいて、他府県をまたぐ移動はしないでください」
 と言っていた。
「そもそも、他府県をまたいではいけない」
 というのはどういうことなのだろう。
 隣の県に移動すると、その時点で感染でもするというのか、それとも、隣の県に入れば、罹っていないはずの自分が、病原菌のようにでもなるというのか?
 そんな、
「非科学的なこと」
 があるわけもない。
 どうせ、自治体が、
「政府に報告する数が増えるのに敏感になっているからだろう」
 自分のところが最低だったりすると、県のイメージが悪くなる。それは嫌だということになるのだ。
 そんなことを考えていると、
「他府県への移動は避けてください」
 となるわけで、
「感染するしない」
 ということには一切関係ない。
作品名:悪魔の保育園 作家名:森本晃次