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記憶喪失と表裏

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「なるほどですね。あなたの今のお話で、今までに感じたことのない自分をいかに表現できるかに挑戦していたいという考えが私には好感が持てました。私の気持ちとしては、あらためて、ようこそと言いたいと思います。それは団員一同、同じ気持ちではないかと私は思っています」
 と言っている。
 この劇団の団長は女性であった。
 彼女は名前を、富岡和美といい、大学では劇団サークルに所属していたという。いずれ自分の劇団を持つのが夢だったというが、卒業して入ったこの劇団で、前任者の団長が結婚を機に辞めるということだったので、前団長の推薦もあって、彼女に決まったのだ。
 この団体の入退は比較的、寛容であった。
「辞めたいと思っている人を無理に引き留めても、お互いに気を遣って余計なエネルギーを使ってしまうので、いいことなど一つもない」
 ということが理由であった。
「去る者は追わず」
 まさにその通りなのだが、脱退したと言っても、円満だったので、主婦業に専念すると言ってはいるが、表に出ていないところで、裏方として手伝ってもらっている立場に劇団はあった。
 これもちゃんとわだかまりもなくやめることができているからで、わだかまりというのは、
「百害あって一利なし」
 だと言えるのではないだろうか。
 菜々美は、今は主婦になっている前団長の人とも親交があり、よくいろいろ教えてくれていた。現団長の和美さんからも、
「前団長のいうことはいちいち考えさせられるので勉強になるわよ。団員になって最初にあなたがしなければいけないのは、たぶん考えることだと思うの」
 と言われて、
「考える?」
「ええ、そうよ、考えるということに対して今はピンと来ていないと思うけど、前団長の話を訊くと少しは違うはずよ、だって、あの人にも私にもそうだけど、あなたにはない、だから想像することができない経験をしているわけなので、その気になって話を訊くことができれば、それが一番いい勉強になるの。その時はきっと無意識にいろいろ考えているはずだからね」
 と団長は話してくれた。
「でもね、考えるということの基本は、自分が何を見なければいけないかというのが最初にあるのよ、考えるということに見失うということはあってはならないこと。それだけは頭にいつも置いておくといいと思うわよ」
 と、団長は続けたのだ。
 実はこの言葉がいずれ影響してくることになるのだが、その時はピンとくる話ではなかった。
 菜々美は自分が劇団に入って、今までに何もしてこなかったということを痛感していた。稽古を見ていて、自分もその中にいるように感じながら見ていると、
「私なら絶対にできない。覚えられないもの」
 と考えていた。
 それとも、身体で覚えていればできることだとでもいうことなのだろうか?
 菜々美はそう考えていた。
 稽古をしているうちに、仲良くなった人もいた。その人は女性で、自分が入ってくる前は一番の新人だったが、菜々美が入ってきてくれたおかげで、新人ではないという自覚と励みが生まれたと言っていた。
「後輩ができたと思うと励みにはなるんだけど、今までは新人だからということで許されていた部分もあって、今後はそうでもなくなる」
 と言っていたが、それでも、新人として見られるよりもいいという。
「こういうサークルでは違うと思うんだけど、中学高校の部活というと、下級生、特に一年生は、半分奴隷のようなもので、実力があろうかなかろうが、いろいろ言いつけられる。逆に実力がなまじあったりなんかすると、妬みからか、余計に疎まれることもあるくらいなのよ。何しろ実力があると、まわりが勝手にちやほやするので、本当はあれって、嫌なのよ。自分のまわりで妬みが酷いからね。だから、ちやほやされているのを見ると、その人はほとんど複雑な顔をしているでしょう? あれを照れ臭さからだなんて思ったら大間違い、その後の妬みによる苛めが怖いからなのよ。だって、クラブ活動なんて。しょせん生徒の間で行われていることであれば、大人の知るところではないでしょう? それに、他の生徒には、その人が人気が出ようがどうしようが、自分に何かがあるわけではない。苛立ちしか残らないので、怒りが向いてくるのも当然のことよね。私だってその立場になれば、同じことを感じると思うわ。だから、私は新人と言って一番下にいるのは、本当は怖いと思っているの。なるべく目立たないようにしようと思っているのは、そのためなのよ」
 と言っていた。
 言われてみれば、その子は確かにまわりの人に対して、決して目立とうとはしない。できるだけ視界から離れたところにいて、気配を消そうとする。ただ単にそばにいないというだけでは、却って存在感が増してしまう。すなわち、気配まで消してしまわなければいけないほどであった。
 今の時代であれば、人とあまり関わらないという人の方が暮らしやすい時代なのかも知れない。(決して暮らしやすい世の中というわけではないという前提)
 物理的に人と距離を取ったり、話をすることすら、罪悪に見られてしまうこの数年前から思えばありえない時代。そんな時代を経験したこともあって、世の中はすっかり変わってしまった。
 国民が死滅してしまいかねないということが現実味を帯びてきた時、奇跡的に助かったことで今の世界があるのだが(これが現実であってほしいのだが)、その後遺症はいたるところで起きている。
 それも、政府が奇跡的と呼ばれることに安堵してしまったのか、実際の検証をほぼほぼ怠ったのは事実だった。
 そのせいもあって、過去に起こった事実だけが残ってしまって、しかも、奇跡的な回復なだけに、
「訳が分からないうちに解決した」
 ということであっても、最初はとりあえず事なきを得たわけだから、国民ほとんどが喜びに沸いた。
 しかし、冷静になって、騒動が収まってみると、残るのは不安ばかりだった。
 実際に検証されていないのか、検証はしていたが、それを敢えて国民に公表しないのか?
 後者であれば、それは完全に政府による情報操作である。公にできないこと、それは今回の禍に限らず、自分たちに不利になり、政権が転覆しかねない状況になることで、国民を欺こうということだ。
 つまりは、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
 余計なことを言って、却って自分が不利になるくらいなら、黙っておくことが一番いいということになるだろう。
 そして、影の組織を使って、自分に不利になる情報をことごとく抹殺するようにしているのだ。
 数々の疑惑をすべてはぐらかし、最後には病院に逃げ込んだ首相がいたし、さらにそれを引き継いだやつは、
「外には厳しく、身内には甘い」
 という政府の私物化ともいうべき男、そんな連中に国難が賄えるわけでもない。
 そんな連中が政権の中枢にいるのだから、奇跡でも起こらなければ、収まるはずもないことだったのだ。
 ということは、検証をしてしまうと、
「我々がどれだけ無能であったかということを、自分の手で公表することになる」
 と考えているとすれば、お門違いだ。
作品名:記憶喪失と表裏 作家名:森本晃次