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記憶喪失と表裏

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 と、説明してくれた。
 そんな話を訊きながら、各々の稽古を見ていると、最初に比べて、空気が重たくなってくるのを感じた。
「この気持ちはどこから来るのだろう?」
 と声に出さずに考えていると、まるでその気持ちを推し量ったように、
「この緊張感が実は大切なんですよ。皆緊張感をあまりいい意味で使ってはいないようですが、それはあくまでも、意味のないプレッシャーを持たせるからであって、緊張感とプレッシャーは別にセットというわけではないんです。プレッシャーを感じなければいけない場面も確かにありますが、稽古の段階では、必要ではないものだと思っています」
 と、ムードメーカーの彼はいう。
「なるほど、そういうことなんですね」
「ところで、菜々美さんはお芝居の経験はあるんですか?」
 と聞かれ、
「いいえ、ありません。さっきも言ったように、小学生の頃の学芸会のトラウマから、演劇というのはまったく意識もしていないし、意識せざるおえなくなると、そこには嫌悪しかない状態でした」
 と答えた。
 それを聞いて、ムードメーカーの彼は、何となくだが含み笑いをしているように見えたのだが、
「確かに菜々美さんの中に、こだわりのようなものを感じますね。でもそんなこだわりを持ちながら、どうして舞台をしてみたいと思ったんですか?」
 と聞かれ、
「確かめたくなったという気持ちが強いような気がするんですよ」
「確かめたいというと?」
「部隊の演劇のようなものは、実際には見に行ったこともないんです。演劇に近いといえば、テレビでやっている新喜劇くらいでしょうか? でも、その新喜劇を見ていて最近感じるのは、よく間違えずにセリフが言えるなということなんです。部隊の上で、生でやっているわけなので、失敗は許されませんよね? ドラマの撮影などでは、何度でもやり直せるわけじゃないですか。監督がOKするまでね。それを思うと、演劇ってぶっつけ本番で本当に難しいと思うんです。もちろん、リハーサルや稽古はするんでしょうが、観客の前では一回だけのチャンスですからね。そこで失敗すると、と思うと怖くて仕方がないように思うんです」
 と菜々美は言った。
「確かにそうです。だから、稽古の時に、プレッシャーを感じないようにする稽古もしているんです。緊張とプレッシャーが違うというのはそういうことなんです。緊張は、自分が表に発散させるもの。プレッシャーはまわりから与えられた、自分の意志に反して感じるもの。この違いは大きいと言えないでしょうか?」
 と彼は言った。
「ということは、緊張を稽古の間にいっぱいしておくことで、緊張になれてくるということでしょうか?」
「ええ、緊張に慣れてくると、プレッシャーも少しずつ感じなくなってくる、自分を苦しめるものが少しずつ緩和されていくと、何が難しいのかが分かってくると思うんですよ。難しいという言葉はいうのは簡単です。でも、それを具体的に説明するとなると、そう簡単にはいきません。だから、緊張とプレッシャーの関係というのも似たようなものではないかと思うんです」
 と言っているのを聞くと、
「私にもできるでしょうか?」
 と聞くと、
「それは正直、今は菜々美さんのことが何も分かっていない状況では何とも言えませんね。でも菜々美さんのように自分から興味を持って私たちの前にきてくれたというのは、十分にあなたにはできるのではないかという可能性を感じさせるものです。まずは、精神的なものでは合格ではないかとしか言えないのではないかと思いますよ」
 というのだ。
「それは嬉しく思います。私は今までずっと何かをやろうと考えても、すぐにやめてしまうところがあり、飽きっぽい性格なのではないかと思っていました。こんな自分だから、人と関わろうと思うのは罪のように思っていたんですが、果たしてこの考えが間違っているのではないかとも思うようになったんです」
「人と関わる関わらないは、その人の性格にもよりますからね。人と一緒にいて、自分の殻に閉じこもる感覚になった人には、人と関わることは難しいかも知れないとも思います。でも、絶対に無理だとは言えないと思うんです。何がよくて、何が悪いのか、そのあたりを見分けるのは自分ですが、その自分がまわりの人をどのように感じることができるかというのがポイントなんでしょうね」
 という。
「言葉では分かっているつもりなんですが、どう噛み砕くかということが問題ですものね。でも、引き込んでいるだけでは何も解決しないとも思っているんです。せめて、分かってくれる人を見つけて、その人といっぱいお話ができるようになれればいいと思っていたのですが、ここの人たちとは、そういう会話ができるんじゃないかとも思っているんですよ」
 というと、
「はい、それは僕もそう感じています。ですが、だからと言って、安心しきって相手にすべてをゆだねてしまうと、甘えのようなものも出てしまいかねないですからね。そのあたりは注意をした方がいいかも知れないですね」
 と言われた。
 これが今からちょうど半年くらい前だっただろうか。週に二、三回の稽古にはなるばく参加するようになった。
 最初は演劇というよりも、最初の時のように、実際に稽古をしてもらうというよりも、人の稽古を見て、その感想を話しあうというものだった。
 いつも、誰か一人、いつも違う人なのだが、きっとローテーションのようなものが決まっているのかも知れないが、その人と他の人の稽古を見ながら、思ったことを語り合っている。
 稽古も今のところ、団体練習をしているわけでもなく、個人の技量を高めているというところのようだ。
 それでも、舞台の演目と配役はきまっていて、それぞれに台本を読んだり、その役になり切って演技をしてみたり、場面場面で一緒になる人を捕まえて、場面を限定した稽古を行っていたりした。
 それを見ながら菜々美はその時々のメンバーといろいろ話をしている。
 稽古のやり方に対して、苦言を呈したこともあったが、叱られるどころか、
「半分外からの目で見てくれる人ってなかなかいないので、ありがたい:
 と言われた、
 確かにそうかも知れない。
 外から見ている人は完全に外から見ているので、その意見は訊けないわけではない。では、中に入ってしまうと、それぞれ皆当事者である。こうなりと、意見というよりも、さらに一歩進んだ押し付けに近い、自分の感情も関わってくるものであるので、客観的な意見はまず出てこないだろう。
 しかし、まだ体験入団という立場であれば、
「歯にモノを着せぬ言い方」
 ということで、遠慮のないそれでいて客観的な意見が訊けるのではないかと思うと、それはそれでいい意味での刺激になっていいと思っていた。

               舞台女優の女優以外の発想

 体験勇断をしているうちに、どんどん演劇というものに興味を持っていくようになっていった。
 ここまで来ると、後戻りという選択はなかった。ここで今まで感じたことのない自分というものの表現を生かすには今しかないと思ったのだ。
 このことを団長に話すと、
作品名:記憶喪失と表裏 作家名:森本晃次