記憶喪失と表裏
「小説を書いても、今までであれば、文学賞に応募するか、あるいは、出版社に原稿を送りつけるか、直接手渡しするかのどちらかだっただが、まず間違いなく、開封をすることもなくゴミ箱入りだろう。
いくら小説家書く人口が少なかったとはいえ、数少ない出版社に対して、小説を書く人は結構いた。その中で何人かが小説を書いて持ってくるのだから、編集者としても、自分の忙しい中、素人の小説など見る暇はないというものだ。
ただでさえ、プロの先生の原稿を切り盛りするだけで大変なのに、素人にまで構っている暇はないというものだ。
そんな時に現れたのが、
「原稿をお送りください」
という見出しの自費出版社系の会社だった。
バブルが弾けて増え始めた小説を書きたいという人の受け入れ口として、さっそうと出版社業界に名乗りをあげた。最初こそ、どこの馬の骨だったのだろうが、実際にどんどん原稿が送られてくる、
そこで彼らは、その小説を読んで、批評を作り、見積もりと一緒に送り返してくれるのだ。
今までは、読んでもらえたかどうかも分からない。(すべてがゴミ箱だったのだが)それに比べて、自費出版社の返信には、キチンと間違いなく読んだと言わんばかりに、レビューを書いて返すのだった。
彼らの評価は、すべてが褒めちぎっているわけでも、貶しているわけでもない。
最初に批評を書いたうえで、褒め言葉を書くのだ。
信用してもらいたいという思いもあるのだから、いいことばかりしか書いていなければ、どこか胡散臭いと追われるだろう。しかし、最初に批評をしておいて、その後でいいところを書くのだから、筆者も信用するし、いいことが後なのだから、有頂天にもなりやすい。実にうまくできているではないか。
まず、そこでコロッと騙されるのだ。
作品がどんどん集まってくるようになると、出版社の方は、コンクールを始めた。年に二回の文学賞に、定期的なジャンルごとの文学賞、ミステリー、ホラー、恋愛などとそれぞれのジャンルで募集も掛けている。
しかも、著作権に抵触しない程度の二重投稿は可にしているし、一人で何作品もいいことにしているので、その数はどんどん膨れ上がってくる。
貰った作品を評価するのだが、その際にランクをつける、大賞一作品、佳作数作品などとして、それらの作品は、出版社から企画作品として、すべて無料で文庫化する。そしてそれ以外のほとんどの作品(文章として、あまりにも拙いもの以外)には、出版社と筆者との間で折半することで費用を出し合い、本にするという提案を見積もりという形で行う。
その際に、後一歩で佳作のレベルなどと筆者をおだてておいて、今本にすれば、いろいろな人に見てもらえて、プロになれる可能性もあるなどと言っておだてられれば、筆者の中には、
「それなら、本にしてもいい」
と言って、本の制作をお願いする。
しかし、ここがひどいところで、定価に部数を掛けたよりもさらに高額を筆者に課せるのだから、悪徳商法もいいところである。
もっとも、単純に考えておかしいと思わない筆者もどうかしていると思うのだが、何か洗脳するような魔術でもあるのだろうか、高校の頃の先生で、その人も投稿したという話をしていたが、
「私は、応募して、見積もりを見た瞬間に、怪しいと思ったものだけど、どうして誰も何かおかしいと思わないのか、不思議で仕方がなかった」
という。
文学賞に応募すれば、そう応募数が公表されるのだが、ウソか本当か、何と万単位の作品が応募されるという。有名出版社の文学新人賞でも、数百がいいところなのに、あまりにもこの差は酷いというものだ。
十作品にも満たない入賞作以外のどれほどに、共同出版を持ちかけているのか分からないが、実際には、半分くらいがいいところなのだろうか。その中から本を出す人もかなりいるという、その証拠に、自費出版の会社が、それから二年ほど、日本一の出版数を誇ったのだ。やはり、本にしたいという人、いわゆるだまされた人が多いということであろう。
誰もが出版社に洗脳されて本を出す。しかし実態は、ただの自転車操業である。
まずは、本を出したいという人がどれだけたくさんいるかというのが問題になる。本を出すという人が多ければ多いほど、儲かる仕掛けになっているのだから当然だのだが、本を出すにも経費が掛かる。そのために、損益分岐点というべき人数も計算からは決まってくる。
「月単位で、三百人以上の本を作らないと損益分岐点を割り込む」
などというものであり、その分岐点が何人なのかは、計算しないと分からないので、会社でなければ分からないだろう。
しかし、いくら本を出すほど儲かるという詐欺だとはいえ、そこまでに行き着くための経費は莫大なものだろう。
まずは、本を出したいと思っている人に、会社の存在を知らせるための、宣伝広告費が必要である。そして、原稿を送ってきてくれた人の作品を読んで批評する人、さらには、本の制作をサポートする人である。ひょっとすると、作品を評価する人と、製作する人が同じの可能性もああるが、どちらにしても、人件費はかなりのものに違いない。
ただ、どの部分もプロではない素人なので、どこまでの人件費なのかは疑わしいところである。
そして、ここから先が出版に関わるところであるが、出版のための製本費用、そして、問題がここからなのだが、正直、ど素人の本をいくら出版しようとも、それを本屋が置いてくれるはずはない。毎日のようにプロの人が作品を発表しているのだ。素人の入る隙間などあるわけがない。
プロと言ってもピンからキリまでいるだろう。発表すれば、同時にテレビ化、映画化などという売れっ子作家もいれば、本屋に並べても貰えない人、もし並べてもらえても、三日後にはすべてが返品という状態の作家。本屋は、本当に売れる本しか置かないのだ。いくらネームバリューがあったとしても、
「かつての人気作家」
という程度では、まず並ぶことはない。
それを考えれば、本を出すことがどれほど困難か分かりそうなもので、それなのに出版社が、共同出版で本を作るなどというのは、これほど胡散臭いものはないというものだ。
ということになると、本を作っても、作っただけで、どうすることもできない在庫ということになる。最初から出版社がそこまで考えてこの事業を始めたのかも分からない。あまりにも在庫が膨れ上がってしまって、倉庫をいくつ借りてもどうしようもなくなると、まさかとは思うが、筆者には、
「ちゃんと千部作製した」
と言って、ウソをついているのかも知れないと疑いたくもなる。
一日、十人の作家の本を毎日発行したとすれば、一年で、三千六百冊。それが千部となると三百六十万冊がそのまま在庫となることになる。それほどのものか、想像がつくわけもない。図書館にすべて並べたとすれば、いくつの図書館が必要になるということであろうか?
それを考えると、もし、このカラクリが話題になり、詐欺だということで訴えられる危険性を出版社も考えないのだろうか。