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記憶喪失と表裏

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「ジャンルごとの出版社が増えてきた」
 ということであろうか。
 それは、単独の出版社というよりも、既存の出版社の子会社というか、別レーベルのような形での出版方式である。
 たとえば、ホラー小説など、〇〇出版からも、発行されているし、○○ホラー文庫という形で、○○出版社の子会社からも発行されているというものである。
 スーパーなどに置いてある賞品が複数の場所にあることがあるが、例えばたまねぎなどの野菜が、野菜コーナーと、話題コーナーとしてカレーのコーナーなどがエンドに作られていれば、そこにも置かれていることがあるが、そういう考え方である。
 つまり、別々の場所に置いてあるが別に違う商品ではなく、用途によって違う場所にも置かれているというだけで、拡販に貢献することになるであろう。
 似た意味で、ホラーに特化した文庫として置かれていると、ホラー好きの人は、いろいろな文庫の場所を歩き回ることなく、そのエリアだけで、自分の好きな本を選ぶことができる。そういうメリットを生かした売り方をするのも、一つの方法なのだろう。
 こうなると、ホラー文庫の分、本のコーナーが埋まるのも当然だと言えるであろう。
 ただ、そうなってくると、昔からの本を読みたい人にはなかなか手に入らないことになる。絶版でもなければ、お取り寄せ予約もできるのだろうが、それでも、十日から二週間も待たなければいけない。よほど待ってでも詠みたいと思うのなら別だが、そんなに待たされるのであれば、興冷めしてしまうだろう。
 さすがに、そこまでして、本が読みたいのかと言われると考えてしまう。本屋という雰囲気が好きで、そこに並んでいる本の背を眺めながら本を選ぶのが、本好きに人の醍醐味である。
「ネットで購入すればいいじゃないか」
 という人もいるが、ネット購入など、本頭巾人間からみれば、
「邪道」
 なのである。
 やはり、本の背を眺めながら本を購入するという形でないと、本を読む気にもなれないと思うのだ。
 それを思うと、本というものが減ってきていて、電子文庫が増えているが、これを、
「時代の流れ」
 という一言で片づけていいのだろうか?
 確かに、その方g経費としても、若者のニーズを考えると、その方がいいのかも知れないが、それで、本当に電子書籍が売れるというのか? 考えものだと言えるのではないだろうか。
 そんな本屋で、本が売れなくなってきた理由の一つに、ネットの普及というのもあるが、かつての事件、いや、社会問題が大きな原因なのではないかと、菜々美は考えるようになった。
 この問題は、今から十五年くらい前から発生したことで、二、三年の間に一時期ブームとなったのだが、ある問題から、急速にすたれていった。そこには訴訟問題などが絡んできたのだが、もう、それも十年以上前のことになってしまう。
 菜々美も実際に、高校の頃だっただろうか、小説を投稿したことがあった。だから、その経緯について、見守っていたが、菜々美は結構早い段階で、
「これは危ない」
 と危惧していたことで、問題はなかった。
 そもそも、この問題の発端となったこれらの企業が発展してくる要因となったのは、今から三十年くらい前まで存在していた、
「バブル経済」
 というものから始まったと言えるだろう。
 昭和の最後を代表するバブル経済と呼ばれるもの。
 バブル、いわゆる泡と呼ばれる経済は、実態のないものであった。
 当時よく言われたのが、
「土地ころがし」
 なる言葉であった。
 土地を転がすことで、実際にモノを売っているというわけではなく、それでいて、お金が入ってくる。このお金も流通しているわけで、実際に手にしているわけではない。
 何か事業を起こすことで儲かる仕掛けになっていたというのが、バブルの時期であったので、ほとんどの会社が本業以外にも副業を行っていた。
「事業拡大」
 などという言葉で、たくさんの企業が発展していき、お金が潤滑油のように、どんどん流通していくことが経済発展に繋がる時代だった。

               自費出版社系の会社

 冷静に考えれば、そんな時代が長く続くなどとは思わないと、どうして誰も思わなかったのかと、後になって考えると誰もがそう思うだろう。
 しかし、現実には、お金を流通することで儲かる仕組み以外には、考えられなかった。事実がすべてだとすれば、誰がそれ以外のことを想像し、警鐘を鳴らすなどできるというのか。
 何しろ、それまで言われてきた神話なるものがことごとく崩れていったのだ。
 何と言っても、その代表格が、
「銀行は絶対に潰れない」
 という、銀行絶対神話であった。
 バブルが弾けたという表現と同時期、大手銀行が破綻してしまった。考えてみれば、当たり前のことであり、バブルが弾ける。つまり、お金の流通がぎこちなくなると、それまで実態のないもので動かしてきたお金の価値が下がってくる。それまでは実態のないものでも金銭の価値がそれに見合っていたので、何とか回っていたということだったのだろう。
 副業に手を出して、どんどん事業を拡大していたら、拡大した分が回収できずに、不良債権となってしまう。
 その不良債権を一番担うのは、企業に融資している銀行である。バブルの時期は、銀行は必死になって営業を掛け、融資をどんどん仕掛けていったのだが、その分がそのまま焦げ付いてしまうのだ。ほとんどの企業に融資した分がそのまま不良債権となって、莫大な負債を抱えてしまう。
 銀行といえども、ひとたまりもないのだ。
 企業は民事再生を掛けると、銀行も債権を抑えられなくなる。そうなると、銀行も支えきれずに、倒産してしまう。企業はあてにしていた銀行に潰れられて、万事休す。お互いに潰しあったかのような悲惨な状態だ。
 銀行も一般企業も、生き残るためには、どこかの企業と合併するしかなかった。そのために、
「元はどこの会社だったんだ?」
 と思うほど、名前の長い会社になったり、まったく違う会社に生まれ変わったりしている。
 それが適わなかった会社は、必然と潰れるしかないのだろう。
 そんな時代を何とか乗り越えた会社も、それまでとはまったく違った経営方針を打ち出すしかなかった。
 何とか合併して生き残ったとしても、今までのようなことをしていては、あっという間に潰れてしまう。
 まずは、拡大した事業の縮小だった。そこには、事業所、工場、流通センターなどの閉鎖、それに伴うリストラ、ちなみに、解雇することのリストラという言葉が、この頃から言われるようになったのだ。
 さらに、経営方針を、売り上げ拡大から、経費節減にすることで、利益を何とか保とうという方法が試されることになる。
 当然、既存の事務所でも、リストラが行われ、それだけの人員で賄えなくなると、今度は、パートやアルバイト、さらには派遣社員という形での、
「非正規雇用労働者」
 という人たちを雇うことで、何とか人件費を賄おうとするのだ。
 だが、今はその問題が大きくなってきている。
「働き方改革」
 などという、寝ぼけた方針を政府は打ち出しているが、これもバブルを彷彿させると思っているのは、思ったよりも少なくないかも知れない。
作品名:記憶喪失と表裏 作家名:森本晃次