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記憶喪失と表裏

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 そしてもう一つの可能性は、その時の未来が今から見ると過去になる場合である。これも、現代の時同様に、答えをみつけたその時から、少しでも時間が経てば、今から見れば答えを見つけた瞬間は過去なのである。
 ここで一つ気になるのが、現在の立ち位置である、未来はあっという間に現在になって、さらに過去になっていく。どの時点を持って現在というのか、今まで未来だと思っていた瞬間が現在になり、そして過去になる。何もなければ、例えば一秒で終わってしまう現在だ。しかし、現在に何かがあれば、その出来事が、同じ瞬間だと思えるだけ現在というのは続いているのだろうか?
 きっと誰もその答えを毅然として答えることなどできるであろうか?
 いや、できるはずもない。それこそ、その瞬間にこのことをジャストタイミングで考えたことにしか、その根拠を答えることはできないだろう。ひょっとすると、ジャストタイミングで答えられた人にも根拠を説明することはできないかも知れない。それだけこのジャストタイミングというのは、偶然で成り立っているという可能性が高いからだと言えるのではないだろうか。
 そんなことを考えていると、小説を書こうと思った頃を思い出した。
 オカルト系の作品を書こうと思ったのは、
「世の中で、何事もなく普通に生活している人が、ふとしたきっかけで、想像上の世界に入り込んだというそんな話が書ければいい」
 と感じたからだ。
 どうしてそんな風に感じたのかというと、大人になって、小説を書きたいと思わせるきっかけになった小説があったのだが、そのジャンルを、
「奇妙な味」
 というらしい。
 普段聞きなれないジャンルで、どちらかというと、都市伝説や、奇妙な世界を人間社会からあくまでも創造したかのような話のジャンルをいうらしい。
 これは、あるミステリー作家が提唱したジャンルだと言われるが、そういう意味では、元々は探偵小説からの派生ではないだろうか。要素としては、オカルト、SF、ミステリー、それぞれの要素を持った話を、
「奇妙な味」
 というジャンルの小説という。
 しかし、実際に表には、その名前のジャンルは出てこない。本屋にもなければ、小説界のジャンルとして、表に出てくることもない。もちろん、文学賞などの賞の中に、そんなジャンルが存在するわけでもない。
 そんな作品を今ではあまり見ることはないが、昭和の時代には、結構あったものだった。今の本屋はかなり様変わりしていて、売り場面積はそれほど変わっていないのに、昔であれば、有名作家の作品は、作品の数だけ、本屋に並んでいたと言ってもいいだろう。百冊をその出版社から発行していれば、有名大型書店であれば、八割近くは置いていてもおかしくはなかった。
 しかし、いくら今が平成を飛び越して、令和の時代だとはいえ、本の数が、多くて十冊、作家によっては、そのほとんどが絶版になり、しかも、残る作品も、一世を風靡したことのカバーとは違うものになっていた。
「あのカバーで本を買った人がたくさんいたのに」
 とオールドファンはそう思うだろう。
 映画化もテレビ化もされ、十年以上を空前のブームで、今でも、そのジャンルでは一、二を争うと言われる作家であっても、本屋の扱いは、ここまで変わるものだった。
「では、一体何が本屋面積に増えたというのだろう?」
 正直分からない。
 だが、本屋で見かける作品の中に、増えてきたものも確かにある。
 例えば、二十一世紀になって増えてきたのは、時代が科学の発展に機能し、発展してきた文化としての、
「携帯電話」
 がある。
 そこで生まれたジャンルが、
「ケイタイ小説」
 あるいは、
「ライトノベル」
 と呼ばれるジャンルであろう。
 携帯電話のメールの文章のように、短いセンテンスであったり、読みやすいようにということで、マス目の空白が多いというよりも、行間自体の空白を多くしているような小説などが多く出てきたりした。文章離れが顕著になり、わざわざ難しい言葉を使う文学的な表現としての小説ではなくなり、何と絵文字までもが通常の文字として使われるほどになったことは、本当にいいことなのかどうか疑問である。
 さらに、もう一つ考えられることとして、それまでも小説のジャンルとしては確立はされていたが、それを一つのジャンルのコーナーとしてまで確立していなかったジャンルが表に出てきたこともあげられるだろうか。
 その最たる例としては、
「官能小説」
 というものがあげられるのではないだろうか。
 昔から、官能小説専門の雑誌が存在したり、官能小説専門の雑誌社もあったりはしたが、なかなかコーナーとまではいかなかった。
 原因はいくつかあるだろうが、官能小説と言われるものの中でも、文学的な作品として認知されているものが本屋に並んでいるのかも知れない。
 もう一つ考えられるのが、
「官能小説を書く作家が増えてきたことで、必然的に小説界でのシェアが広がってきたのではないか」
 と言えるのではないか。
 ただ、一つ言われていることとして、
「官能小説と呼ばれる小説は、書くのが難しい」
 と言われている。
 その中で、最近の官能小説の中には、今までのターゲットとして、男性、しかも、特殊な性癖を持っているような男性ではないかと言われていた時代があったようだが、今はそうでもない。
 下手をすると、恋愛小説と呼ばれる小説の中にも、性的描写が官能小説に負けないくらいのものも存在する。それは恋愛小説に限らず、ミステリーなどにもありえることであった。
 官能小説は、いかに男性の性欲をそそるか、そんな描写をうまく織り交ぜ、かといって汚らしいというイメージを植え付けてはいけないだろう。(一部のカルト趣味の作品はその限りにはない)
 最近では、ボーイズラブ(BL)などと言った作品もあり、昔であれば、男色、衆道などと言われた、一種のカルト趣味の作品だと思われがちだが、そうではなく、いわゆる、
「イケメン同士の恋」
 という形で読まれている。
 つまり、読者は完全に女性であり、今まででは考えられないことだったはずだ。
 そのことが、官能小説をコーナーにまで押し上げた原因の最大なものではないだろうか。今までは男性読者だけだったのが、女性層にまで食い込んでいて、恋愛小説や、ミステリーなどで、アダルトな描写に慣れてきている読者にとって、アダルトな作品は、身近に感じられるものとなってきた。
 もちろん、感覚がマヒしてしまっていれば、逆効果であっただろうが、刺激的な男女の描写を、純粋に読みたいという読者も多くなってきたのもあるのだろう。そういう意味で、ボーイズラブの出現などは、大きな原因の一つだと言えるだろう。
 さらに言えることとしては、海外にもロマンス文庫と呼ばれるような官能小説に近いジャンルがあり、そちらの方が先に文化を形成していたのだろう。
 日本で流行ってきたというのも無理もないことで、ネットを使えば、別に本屋で購入することもなく買える人もいる。相対的に読者人数が増えてくれば、比例して書籍も売れるというのが一般的な理論である、官能小説のコーナーが存在するのも、当然と言えば、当然である。
 さて、次に多くなってきたものとすれば、
作品名:記憶喪失と表裏 作家名:森本晃次