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記憶喪失と表裏

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 それを思い出させるのは、小学生の頃の国語の時間だった。先生が生徒を順番に差して、教科書を読ませようという、よくある国語の時間の事業風景なのだが、自分の番になると、なぜか笑いがこみあげてくるのだ。可笑しくなる点などどこにもないはずなのに、どこがおかしいというのか、笑いがこみあげてきて、教科書を読めなくなってしまう。
 それを必死にごまかしながら読もうとするのだが、それをまわりには当然悟られているということは分かっているのに、誰も悪いと思ってるからなのか、誰も指摘しようとはしない。それもおかしさがこみあげてくる理由だった。
 誰も指摘しないという理由に、
「相手に悪い」
 という理由だけではないものが孕んでいることも分かっている。
「もし、自分も似たような状況に陥った時、笑われるのが怖いからだ」
 というのが理由であることを、まだ小学生の菜々美は理解していた。
 後にあって思ったことだが、
「あの時は、理解しているのは自分だけではなく、皆理解していた。理解していて、言ってはいけないことだという暗黙の了解のようなものがあって、誰も言わないだけなのではないか」
 と感じていた。
 どこからそんな気持ちになっているのかよく分からなかったが、
「私はひょっとすると、小学生の頃の方が、よほどたくさんのことを考えていて、それが思春期になると、そのすべてが、考えなくてもよかったことではないかと感じたのかも知れない」
 と思うようになっていた。
 思春期になると、大人になるための準備期間なので、
「子供の頃の考えというのが、あくまでも子供としての考えで、大人になってからするものではない」
 と考えるようになってきた。
 だから、思春期は子供から大人への転換期として、精神面でも肉体面でも大いなる葛藤があり、まわりを嫌いになったり、躁鬱症のような状態になったり、自分のことを嫌いになったりするのではないかと思うのだった。
 だから、小学生の頃に考えたことを、全否定する自分が当たり前だと思うことで、却って成長を止めているのではないかと思うようになったのは、劇団に入ってから、れいなと知り合ってからのことだった。
 それまでは、人とこのような話をしたことはなかった。大学生の頃に、そういう話ができればよかったのだろうが、できた友達は皆そんな話をするのが嫌いな人ばかりだった。
 ただ、これも後で知った話だったが、相手がこういう話をするのが嫌いな人だということを感じていたのは相手も同じことだったようで、
「相手が同じようなことを感じるから、自分も感じてしまうのだ」
 ということを、菜々美は改めて感じたのだった。
 そのことをウスウスだが感じさせてくれたのもれいなであり、
「れいなって、魔法使いのようだわ」
 と感じるようになっていた。
 れいなの考えが自分にとってどのようなものなのか、時々考えるようになった。れいなが菜々美のことを分かっているように、菜々美もれいなのことを分かっている。いや、分かろうとしているということが大切なのであって、それが、いつも真摯に向き合っているれいなへの礼儀のようなものだと菜々美は考えていた。
 大学時代に、もう一度、小説を書いてみようと思ったことがあった。
「今ならきるかも知れない」
 という思いがあったのだ。
 その根拠となったのは、
「今なら気持ちに余裕があるからではないか?」
 と感じたからであって、実はそれが間違いであるということが分かると、中学生の頃に書こうと思って書けなかった理由も分かってきた気がしたのだ。
「小説というのは、気持ちに余裕があるから書けるわけではない。むしろ気持ちに余裕がなくなった時に書けるようになるのだ」
 と感じたのだ。
 しかし、気持ちに余裕がなくなった時に、書いてみようと思った。その時はちょうど、付き合っていた(付き合っていたと思っていたのは自分だけだったのだが)男に、別に女性がいることが分かって、その男性を問い詰めた時、
「お前何勘違いしているんだよ。別にお前と付き合っているわけじゃないじゃん」
 と言われたのだ。
 確かに、言葉で、
「付き合おう」
 という話を交わしたことはなかった。
 その男はそれを理由に、
「だから、お前が勝手に勘違いしているだけだ」
 と言われて、反論できなかった。
 どう反論していいのか分からなかったからだ。自分が愚かだったことに気づき、相手に追い打ちをかけられると、パニックになってしまい、そのうちにバカバカしくなった。
「そうね、あんたなんかを好きになったと思い込んでいた私がバカだったのね。よく分かったわ。そのオンナとやらをせいぜい大切にしてやってね」
 と、精いっぱいの強がりを言って、その男を自分の中から打ち消したのだが、まるで自分の中で、
「糠に釘ってこういうことをいうのかしら?」
 と思った。
 いくら皮肉を言っても、一切相手に響かない言葉を放つことが、これほど虚しいことだと、冷静になって気付いた。皮肉を吐いた時は、それなりに恰好いいと思っていた自分が、本当は一番バカだったように思ったからだ。
「私は悪くないのに」
 そうなのだ、菜々美は悪いわけではないのだ。
 相手の男がゲスで、最低な男だったというだけだ。それなのに、精神的にかなり厳しいところまで追い込まれている自分を感じた菜々美は、気落ちに余裕がなくなっていることを感じた。
 考えることネガティブなことばかりで、何かを考えて居なければいけないこの状況に対して、
「今の私は、精神的に余裕がなくなっている」
 と思って、ハッとした。
「今なら小説を書けるかも知れない」
 とそう思って、書こうとしたが、どうにも書けなかった。
 だが、精神的には変わっていないのに、急に小説の神様が降りてきたような気がした。内容は別にして、書けるような気がしてきたのである。
「なぜなんだろう?」
 と、菜々美は感じたが、それがどこから来たのかということに気づくまで、それほど時間はかからなかった。
「そうだ、これはニュートラルな状態、いわゆる『遊び』の状態を感じることができたからだ」
 と感じたことが、小説を書けるようになったきっかけだった。
「自分の中で、答えまでのあと一歩まで行っておきながら、なかなかその壁をぶち破れなかったのは、そこに結界があったからなのか、それとも、『百里の道は九十九里を半ばとす』ということわざの通りだったからなのか?」
 と、菜々美は考えていた。
 最初の恋愛で、悟りを開くなどという言葉は、あまりにもおこがましいのではないかと思いながらも、そうとでも言わないとどこか恰好がつかないと、恰好をつける人が嫌いなくせして思うのだった。
「それもきっと、自分を卑下した気持ちにならないとできることではないな」
 と思った。
 卑下というのか、それとも、自虐というのかはよく分からなかったが、自虐には、覚悟のようなものがあるのかないのか、這い上がるというよりも、それ自体をネタにして、まわりの気を引くというイメージが強い。
 そう思うとあまりいい表現ではないと思うのにも関わらず、自虐の方が新しくて新鮮に感じるのは、自分が思っているよりも歳を取っているせいではないかと思えてきた。
作品名:記憶喪失と表裏 作家名:森本晃次