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記憶喪失と表裏

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「無関係なのか、関係のあることなのかというのを考えた時、関係性のあることを一つのパッケージにして、それを組み合わせることで、ロボットに判断させればいいと考えた。つまり、一つのパッケージを、レンズの中の被写体であるフレームのようにする」 
という考えだった。
 だが、これはある意味まったく無意味なことであり、
「確かに、可能性をフレームかすれば、かなりのパターンが絞り込まれるかも知れないが、可能性が無限である以上、いくらフレーム分けしたとしても、分ける数も、無限ではないかと思うからだ。要するに、ロボットが無限の可能性を計算して答えを求めるというのは、不可能だ」
 という考えである。
 これがいわゆる「フレーム問題」と言われるものだが、これがタイムマシンでいうところのパラドックスのようなものだと言えるのではないか。
 矛盾というわけではないが、
「無限をいくら細分化したとしても、無限は変わらない」
 という発想は、数学的な考え方における、一緒にパラドックスのようなものだと言えるのではないだろうか。
 それを考えると、ロボットには、かなりの限界があると思われる。
 だが、これとは別に、
「ロボット開発が不可能だ」
 と呼ばれていることがある。
 前述の「フレーム問題」も、かなり大きな問題であるが、それ以上にこちらの発想が解決できなければ、ロボット開発というものが進むはずはないのだ。
 フレーム問題が、起爆装置であるなら、こちらの問題は一種の、
「制御装置」
 と言えるのではないだろうか。
 ロボットというものは、
「理想の人間の創造」
 であり、科学の行き着くところと言ってもいい。
 つまり、人間よりも優れていて、力も強く、そして、一歩間違えると、人間を支配しかねない存在だと言えるのだ。
 これは、いわゆる、
「フランケンシュタイン症候群」
 と言ってもいいだろう。
 フランケンシュタイン博士は、理想の人間としてのロボットを作ろうとして、誤って、怪物を作ってしまったという小説から、考えられたことであり、これこそ、科学の人間
に対しての警鐘というべきではないだろうか。
 そのためには、ロボットが人間のために開発されたものだということを人工頭脳に叩きこみ、人間に対しての安心安全を担保するものでなければいけないという命題があるのだ。
 フランケンシュタインの話が小説なら、この解決法も、小説家が提唱したものであるということも面白いところである。
 その小説家は別に学者に対して提唱したわけではなく、、ただ、自分の発表した小説のネタとして書いただけだったのだが、それが次第にロボット開発のバイブルとなり、今でも研究がつづけられているというものである。
 いわゆる、
「ロボット工学三原則」
 というものだが、いかに人間に安心安全をもたらすか、そして利益を損なわないかというところからの発想である。
 話は近未来(実は小説が書かれた時代から見れば近未来だが、実際には過去の話もある)で、本当であれば、開発されているはずのロボットは、その片鱗スラなかなかできていないのが現状である。
 今のロボットというと、一つのことだけを専門にするという程度の頭脳しか持っていないロボットなのだ。お掃除ロボットであったり、お料理ロボットなどの、家事ロボットができたということで、世の中は、
「すごいことだ」
 と言っているが、昔の人たちからすれば、今の時代には人型で人間に近いロボットができていて不思議のない世界であったはずだ。
 何しろ、まだ車が、空中を走っていないという程度の世界なのだからである。空想だけならいくらでもできるということであろうか?
「ロボット工学三原則」というのは、三原則というだけあって、第三条まである。そして、そのうちの上位二つには但し書きがついている。
 第一条として、
「ロボットは、人間を傷つけてはならない。もし、自分が何もしないことで、その人間に危害が加わる場合には、それを見逃してはいけない」
 第二条として、
「ロボットは、人間のいうことを聞かなければならない。しかし、第一条に抵触する場合はその限りにあらう」
 第三条として、
「ロボットは、自分の身は自分で守らなければならない。ただし、一条、二条に反する場合はその限りにはない」
 というものである。
 元々がアメリカ人が書いたものなので、適当な書き方になったが、ほぼこの内容に違いはないだろう。
 この条文は見ても分かる通り、第一条から第三条までの間に、確固とした優先順位が示されている。つまり、一番犯してはいけないものは、
「人を傷つける」
 ということである。
 これは、フランケンシュタインの発想から来ているもので、人間のために作るロボットが人間を傷つけてしまっては、本末転倒だからである。そして、人間のいうことを聞くというのも当たり前のことであるが、もし、この間に優先順位がなければどうなるか?
「〇〇を殺せ」
 という命令に従うと、誰かを殺してしまうことになる。これが一番の問題なのだ。
 主の命令を訊かないロボットであれば、必要はない。ましてや、人を傷つけるなど、言語道断というわけだ。
 さらに、第三条の自分の身は自分で守るというのは、もし、他の人間が、ロボットに、
「自殺(自分を破壊)しろ」
 という命令を出したとすれば、これは基本的には従わなければいけないが、だからと言って、そちらを下手に優先してしまうと、ロボットというせっかくお金をかけて作ったものを、ちょっとした悪戯で破壊することもできるからだ。
 つまりロボット工学というのは、あくまでも人間優先に考えられていて、その中で、この優先順位がいかに大切であり、一歩間違えれば、この矛盾が、人間に災いをもたらすことになるかも知れないという警鐘でもあった。
 それをテーマに書いた小説が、現代でもバイブルとして読まれているのだから、すごいものだ。時代としては、今から六十五年くらい前であろうか。
 そういえば、日本で第一期ロボットブームが訪れた時、改造人間であったり、アンドロイドであったりが活躍する特撮があったりした。
 その頃のテーマに、この
「ロボット工学三原則」
 が使われているのも多かったことだろう。
 世界征服を企む悪の組織は、ロボットたちを使って、いろいろな災いを人間界に送り込もうとしたが、それを阻止するために、知識人としての科学者が、正義のロボットを作るところから始まるのだが、あくまでもロボットは人間の手先であり、ロボットが心を持ったとすれば、どのように感じるかという、ロボット目線での話もあったりした。
 それが、今のアニメの走りだったと思うと、よくできていたと思う。昔の特撮が今でも愛され続けているのは、そういうところから来ているに違いない。
 それを思うと、ロボット工学という発想はすごいものだ。もっというと、フランケンシュタインという話も、さらに昔のことであり、ひょっとすると、それ以前にも、
「もっとすごい話が存在したのではないか?」
 とも思えてくる。
作品名:記憶喪失と表裏 作家名:森本晃次