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記憶喪失と表裏

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 という発想から、敢えてラストを変えたのだという発想。これはおかしい。
 それこそ、何のための玉手箱だったのか分からなくなってしまう。
 しかも、カメを助けたということがまったく無意味になってしまうのではないのだろうか。
 では、これをハッピーエンドにしたかったのは、先ほど言った、乙姫様が陸に上がったことが問題ではないかと思えることだ。
 そもそも、この話が教育として確立したのは、明治時代に教育の義務化とともに、教科書の編纂などの中で、教育の上で問題のあるものは、削除したり変えてしまったりするという検閲が行われたのだという。
 つまり、このおとぎ話で、乙姫様が陸に上がってくるということは、少なくとも自分が支配している国家を、元首が見捨てたということになる。しかも理由が人間の男に惚れたからだなどということは、教育上ありえないだろう。
 そう考えると、
「開けてはいけないというものを開けてしまったということで、責任を取らせる」
 という意味での説得力は、逆転された形になるのではないだろうか。
 これが、菜々美の説であり、誰もこんな発想を抱くことはないような気がした。しかも、さすがにこのような説を唱えるような人もおらず、明治政府の考えることであれば、こちらの方がリアルで説得力もあるような気がする。
 いくら海底の世界の王国だって、一つの国家であることに変わりはない、その国家元首が勝手に国政を放棄して逃げ出すなどというのはあってはならないことだ。
 ひょっとすると、作者が時の足利政権や、封建制度に対して恨みを持っていて、当てつけのつもりで書いた作品なのかも知れない。
 少し考えすぎではあるが、とにかく、浦島太郎の話には突っ込みどころが満載なのだ。
 さらに、浦島太郎が三日後だと思って上がってきた陸地の世界は、七百五十年後だという。そこまでは教科書には載っていないが、おとぎ話としては残っているという。そういう飯豊、浦島太郎の話に限らず、他の話もどこまでが隠さずに描かれている話なのか、まさかとは思うが、伝わっている話とはまったく違うものとして習っているのかも知れない。
 そもそも、おとぎ話をまとめたのが御伽草子ということであるとするならば、言い伝えなるものは、各地にいろいろな形で残っている。浦島太郎と似た話が残っている地方も済ん財しているらしいし、桃太郎だって、
「この土地にある島が鬼が島だと言われている」
 という話もあるではないか。そんなことを考えると、
「各地に残っている言い伝えの、信憑性のある話を、そのまま使用した」
 という話もあるだろうし、
「それぞれの一部を切り取って、別の一つの鼻足に作り上げた」
 というものもあるだろう。
 それがおとぎ話の正体だとすると、それぞれに残っている伝説をすべて調査しなければ、おとぎ話の研究はできないのではないかと思えるほどであった。
 それを考えると、タイムマシンに繋がる話の代表格は浦島太郎の話だと思えるのだが、他にも似たような話が存在し、そちらの方が、さらに人間がタイムマシンを創造するという原点になるような話が転がっているかも知れないと思うのも無理もないことなのかも知れない。
 とにかくタイムマシンというのは、浦島太郎の話からも、タイムパラドックスという意味からも、矛盾から始まっていると言っても過言ではないのではないだろうか。
 SF小説や、それに派生した話としてのオカルト、ミステリーなどで、
「限界を感じさせる発明物」
 という意味で、
「ロボット」
 が考えられるのではないだろうか。
 ロボットという発想は、百年以上も前からあり、日本では江戸時代には、
「からくり人形」
 として考えられていた。
 海外では、小説などの中に、フランケンシュタインなどの発想もあったりということで、古くから、
「理想の人間の創造」
 という形で、考えられていたのだろう。
 しかし、研究が本格的に進むにつれて、ロボットというものが、
「実現不可能なものではないか」
 と言われるようになってきていた。
 いろいろな観点から言われていることであるが、まずは、
「ロボットというものは、最低でも、人間の命令を受けて、人間の望んでいる結果を作り出さなければいけない」
 というところにあった。
 だが、実際にはどうであろうか?
 ロボットが動くことができるようになるためには、人間が考えているのと同じだけの発想がロボットの中でできなければいけない。つまり、
「一を聞いて十を知れる」
 というほどに、いわゆる忖度ができなければいけないものである。
 ひところの命令で、その意を汲んで行動する。人間同士にだって、簡単にできることではない。普通誰かに何かをしてもらおうと思うと、詳しく指示書を作ったり、言葉で説明する時も、筆記具などを使って示さなければ勘違いされると、自分でする方がよほそいいということになるであろう、
 それをさらにロボットにたった一言でやってもらおうという考えは、かなりの困難さを秘めている。
 実際にロボットを開発した人が、シュミレーションしてみたというのだが、まずはロボットに、
「洞窟の中にある燃料を取ってこい」
 と命令したという、
 その下には、燃料の箱を移動させると爆発するという爆弾が設置されていて、爆弾が爆発するとあたり一面が吹っ飛び、自分も生きて居られないということをロボットは分かっていたようだ。
 だが、ロボットには箱を動かすと、起爆装置のスイッチが入るという理屈までを考えることはできなかった。そのために、そのまま、燃料とともに、木っ端みじんになったという。
 そして二号機を作り、その時、箱を持ち上げればスイッチが入って爆発するということを理解させることと、それぞれの事情の下で、考えるということができる機能を搭載して、再度同じことをさせたという。
 するとどうなったかというと、
「ロボットは、箱の前までくると、どうすればいいか考え始めたという。そしてそのまま動かなくなってしまったのだ」
 ということであった。
 この場合は、ロボットが、箱を動かした時にどうなるかということを考えていたが、
「もし、箱を動かして、洞窟が壊れだしたらどうしよう?」
 であったり、
「もし、まわりが真っ白になったらどうしよう」
 というような、この場面とまったく関係のないことまで考えようとしたことで無限ループに入ってしまったようだ。
 そこで次に、ロボットに対して、
「無関係なことを考えないようにする」
 という機能を入れたのだが、これまた、今度は洞窟の入り口から一歩も動かない。つまりは、ロボットの思考回路のスイッチを入れた瞬間、無限ループに陥ってしまったのだ。
 つまりは、
「無関係のことを考えないようにしよう」
 という機能を入れたとしても、ロボットに、何が無関係なのか、それが分からないのだから仕方がない。
 それを研究者は、
「ロボットの機能が悪いのではなく、情報が少なすぎるのだ」
 ということで、できるだけの情報をロボットに詰め込んだ。
 だが、結果は一緒だったのだ、
 一つの考え方として、
作品名:記憶喪失と表裏 作家名:森本晃次