骨散る時
「そうだね。俺の方が、なかなか頭の中を整理できなくなってしまったことで、人と話すのが億劫になっていたんだ。だから、あれからあまり人間づきあいができなくなってしまって、ここまで来たんだけど、でも、だからといって後悔しているわけでもないんだよね」
というと、
「それも、君らしいかも知れないな」
と言って、苦笑いをした佐久間だったが、いかにも曖昧な言い方をして苦笑いをするのは大学時代からのことで、あの頃は皮肉を言われていると思ったが、今は少し違うような気もしているのだった。
「佐久間さん、大丈夫ですか?」
と言って、一人のナースの女の子が覗き込んだ。
「ええ、大丈夫ですよ」
と声をかけると、彼女は安心して、表に出て行った。
「彼女は私のことをいつも気にしてくれていて、点滴とかも、大体彼女がやってくれるので、安心していられるんだ」
と言っていた、
あまり病院に来ることのなかった松永だったので、ナースというものをあまり意識したことがなかった。
彼女を見て、急に身体に重さを感じたのだが、最初はそれがなぜなのか分からなかった。そもそも病院に来るということのない松永にとって、病院という独特の雰囲気の場所は、想像を絶するものがあったようだ。
イメージは何となく分かっていたが、実際には薬品の臭いであったり、喧騒とした雰囲気であったり、ほとんど意識したことのないものだっただけに、分からなかったと言ってもいいだろう。
しかし、彼女を見た時、自分がまるで病人になったかのように思えたのだ。その時以降、佐久間を見舞うことが何度かあったので、その都度病院に来ていたが、その時、病院に入った時に感じたのが、
「まるで自分が病気になったような熱っぽさがある」
と、すぐに感じたことだった。
だが、最初に来た時はそのイメージを感じたのは、そのナースを見た時で、
「俺も看護してもらいたいな」
という気持ちになったからなのかも知れない。
それまで人と関わりたくないと思っていたことから、女性に対しても、意識がなかった。もちろん、心と身体は別なので、身体を癒すということはやっていたが、実際に彼女を作ったり、結婚をしようなどという気持ちはなかった。
「癒しがあればそれでいい」
という思いと、
「実際に恋愛などしなくても、疑似恋愛であったとしても、恋愛に匹敵するだけのドキドキ感さえあれば、それで十分ではないか?」
という思いがあることで、松永は満足していた。
そういう意味で、疑似恋愛などには他の人とは違う、他の人が恋愛と感じるような思いを抱くことができるようになっていた。
恋愛を普通にできる人から見れば、
「そんなの気持ち悪いだkじゃないか」
というに決まっている。
もし、自分がそちら側の人間であれば、即行で相手を、
「気持ち悪い」
と思ったに違いない。
それを思うと、心と身体が別だというのも、理解できる。それが理解できない疑似恋愛を否定する人との違いは、結界レブルのような壁があり、交わることのない平行線を描いているのではないかと思うのだった。
人と関わりたくないという思いはあるが、
「思っていることを聞いてほしい」
と思うことは結構あった。
その思いも、馴染みのスナックを持つことで、そこのママさんはさすがに人生経験が豊富なのか、それとも、松永のように、人と関わりたくないという思いと強く持っているからなのか、結構いうことは的を得ている。的確なアドバイスに基づいた指摘は、いつも、目からうろこが落ちるというほどに感心させられる。
それがあるから、人と関わらなくても孤独ではないのだ。
そもそも孤独というのが何を意味しているのかということもよく分かっていない。自分の気持ちを腹を割って話せる相手がいれば孤独ではないというのなら、松永には馴染みのスナックのママさんがいるではないか。
それだけで十分なのではないかと思わせたのだ。
そろそろ点滴が終わろうかとする時間になると、計ったかのように、また先ほどのナースが入ってきた。
「佐久間さん、そろそろ点滴終わりましたかね?」
とニコニコとした表情で入ってきたのを見て、
「ええ、そろそろ終わりのようです」
と言って、佐久間は彼女を見たのと同時に、松永の顔を覗き込んだ。
「あら? 今日はお友達の方がお見舞いですか?」
と彼女がいうので、
「ええ、まあ」
と曖昧に答えた佐久間だったが、それを聞いて、思わず顔を下に向けた松永は、自分がどういう気持ちで顔を下に向けたのか考えあぐねていたのだが、それを見た彼女は、
「大丈夫ですよ、佐久間さんの容体は、ちゃんとよくなっていますからね」
と言いながら、少し顔が紅潮しているのを佐久間は見逃さなかった。
「彼女はね。金沢さんっていうんだよ。確か下の名前はゆかりちゃんだったっけ?」
と言われて、松永はドキッとした。
ゆかりという名前は、大学時代に佐久間と二人、同時に好きになった相手の名前だったのだ。
その時は、結局二人で譲り合った形になって、お互いに、告白したいという思いを持っていながらも、告白できない状態に、相手のゆかりの方が業を煮やしてか、
「どうして二人ともハッキリとしないのよ。もう、勝手にして」
と二人と一緒にいる時に、そう言って、ゆかりは二人同時に愛想を尽かしたと言わんばかりに、二人から離れていった。
確かに二人は、どちらかに好意を持っていた。ひょっとすると、二人ともに好意を持っていたのかも知れない。
「告白してくれた人を好きになろう」
と思っていたのだとすれば、それは彼女の憤りをそのまま証明しているということになるだろう。
そう思うと、彼女の態度には辻褄が合っているように思うのだが、逆に、
「男の態度で自分の気持ちを決めようというのも、自分が好かれているのをいいことにして」
という考えも成り立つ。
しかし、二人はどちらかというとフェミニストなところがあるので、決してそんな考えはなかった。やはり、行動に移すことのできなかった自分たちが悪いという気持ちになり、それでも最後まで親友を気遣って、ゆかりは去って行ったのだ。
「恋愛と親友のどちらを取る?」
ということを決めきれずにいたことで、結局お互いに気まずくなったのはぬぐえない事実だったに違いない。
それだけに、ぎこちなくなった関係を修復するのに、ネックになったのは、この時のことがあったからだというのも事実であろう。
そんなことがあってから、松永は、親友はおろか、恋愛も自分の感情から捨て去る道を歩んだ。
「煩わしい人間関係なんて、ないならないでいいんだ」
という思いである。
ただ、そんな思いがあったからか、人と関わらなくなってからの方が執筆は進んだ。売れるわけではなかったが、アイデアはいくらでも出てくる気がしていた。最近はなかなか新作を描けるような気はしていないが、四十段前半くらいまでは、時間があれば、小説を書いていた。
その内容も様々なものが多く、パソコンを使い始めると、腕の疲れも意識することもなく、いくらでも掛ける。小説を書くための一番何が重要かということを、三十歳を過ぎてから気付くようになった。