骨散る時
本当は、もう少し自分がどうにかなってから会いに行きたいと思っていたのだが、あれから三十年近くもこの状態。よくもなるとは思えないし、そろそろ彼とのわだかまりも時効だと思い、
「逢いに行くのもいいのではないか」
と思ったのだ。
「喜びますよ。彼はあれでやせ我慢なところがあるので、平気な顔をしていますが、本心では結構寂しがっていると思うんです。あなたが行ってあげるのが一番だと思いますね」
と新川教授はいうのだった。
「松永先生は、最近では新作は書かれていないですか?」
と訊かれて、
「ええ、そうですね、細々と書いてはいるんですが、発表するまでには至っていないんですよ。一応プロ作家ということではあるんですが、ここまで売れていないと生活もなかなかうまく行きません。小説関係のちょっとしたパートのようなことや、本当に誰でもできるようなアルバイトのようなことを適当にこなしながら、空いた時間で小説を書いているという感じで、小説家というのもおこがましいくらいです」
と言った。
小説に関係するアルバイトというと、自治体などが主催する、
「文芸講座」
のようなもので、
「小説の書き方講座」
ということを安いバイト代でやったりしていた。
武芸コーナーにおいてある、
「文章の書き方」
を、教材にしながら、自分の意見を軽く織り交ぜて話す程度の簡単な仕事だったり、それ以外では、下読みなどくらいであろうか。
下読みというのは、数ある文学賞や、新人賞などに応募してきた作品の、第一次審査を行う連中のことだ。いわゆる、
「下読みのプロ」
という人もいたりする。
ただ、この場合は、自分が審査をするというよりも、作品の内容を見るわけではなく、文章としての体裁が整っているか、誤字脱字はないか、あるいは、違反行為、たとえば、文字数をオーバーしたり、ジャンルが違う作品を応募してきたりというものや、実際の文章体裁、段落が変わった時の一字下げであったり、三点ダッシュの使い方や、クエスチョンマークなどの後ろに一語空白が入っているかなどの、審査であった。
よもや作品の内容などどうでもいいというのが、文学賞や新人賞の第一次審査である。これは、応募する人なら誰でも知っていて当たり前という程度の話であり、知らないのに応募してくること自体、無謀と思っている審査員もいることだろう。
そんな小説でのアルバイトをしていると、次第に自分が情けなくなってくる。
「これをプロの仕事と言えるのか?」
と思っていたが、
「自分の好きなことを仕事にしているんだから、いいじゃないか」
という人もいるが、それは好きなことがどういうことかを知らない人だと思っている。
というよりも、自分と考えが違うだけで、ひょっとするとそちらの方が一般論なのかも知れない。
だからどうだというのだ。一般論がそんなに偉いというのか、少数派にだって正しい場合があることだって、どれほどたくさんあることか。
仕事といってもアルバイト。決して表に出ることはない。
高校生の頃までは、自分の好きなことというのは、表に出た時に、人生の誇りになるようなことだと思っていた。だから目標にするものは、表に出ることのできるものだった。一番手っ取り早いのは芸術だった。
音楽にしろ、絵画にしろ、小説にしろ。芸術的なことは表に出やすいし、なによりも恰好いい。
音楽や絵画は、自分には無理だということですぐに諦めた。
「じゃあ、どうして小説はあきらめなかったのか?」
と言われると、正直ハッキリとはどうしてだか分からない。
しいていうとすれば、
「本というものが好きだからかな?」
ということであった。
学校にある図書館のあの雰囲気が好きだった。本を読むことが好きだったわけではない。静かな、そして広い空間に、こすれる音だけが響いている。それは、本のめくれる紙のこすれる音なのだが、同じような音を、学校から美術鑑賞と称して出かけた県立美術館でも感じたことがあった。
確かに図書館のように居心地はいい。しかも、図書館よりも数倍広い空間で、さらに音は響く。靴の乾いた音が一番響いていたが、図書館で紙のこすれる音と、どこが違うのかと感じたほどだったが、どうしても比べると、図書館には適わない。
どこが適わないのかは分からないのだが、今から思えば、紙の匂いではなかったかと思うのだ。
それに美術館は、そんなにしょっちゅう行けるものではないが、図書館は学校の中にある。毎日でもいける場所にあることで、すっかり自分に馴染んでしまった。
そんな思いから、小説家を何となくだが目指すようになっていたのだ。
そんなに簡単に新人賞が取れるなどと思ってもいなかったのに、それが数回の応募で、あれよあれよと賞を獲得した。一番信じられないのが自分だったことだろう。
しかし、いきなりと言っていいほどのスピードで新人賞を獲得したのだから、有頂天にならない方がおかしいというものだ。
「俺って天災なんじゃないか?」
と、真面目に考えていた。
怖いものなしの気持ちが、有頂天を増幅させる。本当は一番陥ってはいけない壺に落ち行ってしまったのだろう。
底なし沼のようなところに足を突っ込んでしまったことに気づいたのは、すでに口当たりまで身体が沈み込んでしまっていた頃だった。
すでに、顔を動かそうものなら、口がふさがってしまう。動くことができないのだから、逃れることなどできるはずもない。
そんな状態で沈んでいくしかない運命の中で、いつ、人生に諦めをつけるかということが、松永にとっての運命の分かれ道だった。
割り切る場所によっては、この場面から逃れられるという予感があった。だが、どこかうろたえることにウンザリしている自分がいる。
「別に助かりたいなんて思わない」
そう考えた瞬間、目が覚めた。
夢を見ていたのだが、その瞬間、自分が有頂天な状態にいることを思い出した。
思い出してしまうと、夢で絶望を割り切った瞬間があったことだけ覚えていて、その内容も、何を割り切ったのかということも覚えていない。
「怖い夢を見たな」
と思ったのだが、ふと不思議に感じたのが、
「怖い夢だったら、忘れるはずはないんだけどな」
という思いだった。
ただ、それはあくまでも自分の勝手な思い込みであって、少し考え方は違っている。考えてみれば、覚えているのが怖い夢だということだとどうして言えるのか、忘れている夢がある以上、何とも言えないはずだからだった。
終わらせるということ
佐久間教授の入院しているというK大学病院は、家から二駅となりの街にある山の麓に位置していた。以前、一度だけ友達の見舞いで来たことがあったが、今度もかつての友達の見舞いである。実際にどんな病気なのかは分からなかったが、新川教授の話では、
「それほど心配するような大した病気ではない」
ということだった。
循環器系ということで、心臓関係かと思われたが、実際に病室を訪れると、思ったよりも元気そうだった。病室も個室で、見舞いに行ってみると、仕事をしているようだった。
「大丈夫なのかい?」
と聞くと、