骨散る時
「そうですね、今、ママさんが、うまく書けないと言った言葉なんですが、それは自分も感じたんです。うまく書けないということは何かってですね。そう考えれば考えるほど、矛盾が潜んでいるように思えてならなかったんですが、今のママさんの話を訊いて少し分かったような気がしました。その矛盾というのは、今のママさんのように、想像と現実のギャップにあるんじゃないかと思ってですね。つまりは、現実を想像のように書こうとしたり、想像を現実のように書こうとしたりしているうちに、どんどんうまく書こうという意識がそこから強くなってきているようで、本当は、今言ったことができていれば、すでにうまく書けるという要素は満たしているはずなんです、さらにそれ以上うまく書こうという意識を持つと、小細工に走るということになり、必要以上の小細工は、自分の望んでいることではなく、見ていても、読みにくい作品になってしまうんじゃないでしょうか?」
と、松永はまくし立てるように言った。
「本当に小説を書くのって難しいですよね・想像と現実の矛盾という話を今言われていましたけど、私はその意見には賛成なんですよ。でも、もう一ついうと、それは矛盾ではなく板挟みのような気もするんですよね。矛盾と言ってしまうと、それぞれが反発しあっているだけのような気がするんですが、板挟みやジレンマというと、反発しあうというよりも、むしろ、近づこうとしているところに何かの障害があって、踏み込めない。つまりは結界のようなものが存在していると考えるとどうでしょうね?」
とママさんは言った、
またこの話を訊くと、何か、
「目からうろこが落ちた」
というような感じを抱いてしまう。
「そうか、小説を書けないのは、矛盾からジレンマという一歩進んだ発想を抱こうとした時に、目に見えない結界に阻まれてしまったことで、結局矛盾を感じているというところまでしか意識をしていないので、結界があることも、ジレンマを感じたことも意識していないことが、自分のネックになっているのかも知れない。でも、どうして意識に残っていないんだろう?」
というと、
「きっと、それが潜在意識だからじゃないですか?」
とママさんは言った。
「潜在意識ということは、夢ということになるんでしょうか? さっきも似たような話があったと思ったけど」
というと、
「ええ、夢というのは、潜在意識が見せるものだっていうでしょう? しかも、夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものだという。でも、実際には覚えていて、記憶として封印されていると、さっき言ったでしょう? それと一緒で、夢をいうのが、覚えていないのか、忘れてしまったのか、そのどちらなのかということを、一概にどちらともいえないところが、曖昧であり、そして、そこに結界が存在しているからなのではないかと私は思うんですよ」
「ママのいうことは分かるようで、最後のところまでどうしても理解することができない。これも何か結界があるように思うんだけど、その意識が、小説を書く上での結界になっているということなんだろうか?」
というと、
「私には何とも言えないんだけど、でも、こうやって談義のように話をしていると、一人では分からなかったことが閃いてきたりするものだと思うのよ。一足す一が三にも四にもなる。算数の最初の一歩なんだけど、無限の可能性を秘めているような気がする。そういう意味で、人と話をするというのは、私にはいいことにしか思えないの。だからこのお店をやっているんだし、小説だって趣味として続けていられるんだって思うのよ」
とママが言った。
ママの話は難しすぎて、きっとすぐに忘れてしまうような気がした。それを思うと、夢の中では自分がバカになってしまっているから覚えられないのか、それとも、あまりにも非の打ちどころのないほどに完璧な理論を立てているので、ママの話を覚えていられないのと同じような気がしてきた。
「でも、正直、あまり考えすぎると、せっかく見つけた結論を見誤って、さらにその奥を求めようとし始めるかも知れない。そうなってしまうと、無限ループに陥ってしまうかも知れないので、そこは注意しておかないといけないと思うの」
とさらにママが続けた。
「でも、気を付けるって、結論だと分かればそこから先を見ようとはしないだろうから、何を気を付ければいいというの?」
「そこが難しいんでしょうけど、何となくでもいいから、気を付けなければいけないという意識を持っていることで、封印している記憶の中の重要なこと。結界のようなものを引き出すことができるかも知れない。逆にいうと、その時に引き出すために、結界を記憶の奥に封印していると考えるのは、あまりにも都合のいい考え方だって言えるのかも知れないわ」
とママさんは言った。
「なろほど、ママさんのいうことは分かる気がするな。ただ、やはり難しすぎて、どこまで理解できるか分からないけど、心の奥に封印されることなんだってことは分かった気がするな」
と言った。
「でも、難しいけど、何か、明日からまた頑張れるんじゃないかって気がしてこない?」
と言われて、
「はい、その通りなんです。この気持ちを最近忘れていたような気がしていたんですよ。こういう気持ちが必要だということは分かっているのに、なかなか気分的になれない。そういう意味で人と話すのもいいことなんでしょうね」
というと、
「そうなのよ。だから私は先生を応援することしかできないけど、お話をさせてもらうのは本当に嬉しいことなのよ」
と、ママさんは言った。
そのスナックで最近、よく話をする人がいた。その人はママさんともよく話をする人で、ママさんと小説の話をしているのをよく聞いた。
「松永さんは、作家の先生だということで、一度お近づきになりたいと思っていたんですよ」
というと、その横からママさんが声をかけてきた。
「松永さん、こちらは、新川教授と言われるんだけど、松永さんのことを話したら、結構興味を持ってくれたようで、新川教授はK大学の心理学の先生で、よくこちらに来てくださっているんです。仲良くしてあげてくださいね」
とママが仲を取り持ってくれているような形になった。
新川教授というのは、年齢的に少し松永よりも若く見えた。よくよく話を訊くと佐久間教授とは知り合いだということだった。
「そうですか、佐久間を知っているんですね。私は大学時代までは親友だったんですが、お互いに忙しくなったり、私のように、新人賞は取ったのに、鳴かず飛ばずの状態で、二進も三進もいかない常態になると、自然と関係も冷めてくるというもので、お互いにぎこちなくなって、話もしなくなって、縁遠くなってしまったということなんですが、佐久間は元気にしていますか?」
と聞くと、
「ええ、少し体調を崩して、今は入院しているんですよ。私もこの間お見舞いに行ってきたんですけどね」
というではないか。
「それは大変ですね。私もちょっと様子を見に行ってみようかな?」
と言ってみた。