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骨散る時

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 だが、その作品だったのか、正直、時期的にも覚えていないし、どのような内容だったのか、覚えていない。
 ただ一つ覚えているのは、温泉をイメージしたということだった。
 どこの温泉だったのか分からないが、一緒に行きたいと思った温泉に行き、そこで自殺を試みるというような話だったような気がする。
 自分がその女性と心中を考えたとは思えないのだが、行ったことのない温泉宿をイメージしようとすると、そこには、覚悟を決めた男女二人が、儀式の前に温泉で禊を行い、最後の晩餐として食事を摂っているというイメージが思い浮かんでくるのだった。
 その時の小説の最後に、お互いに心中をしたはずなのに、彼女が残した遺言が、
「私のお骨は、海にばらまいてね」
 というものだった。
 一緒に死ぬはずの相手に、なぜそのようなお願いをしたのか、彼女は松永が生き残るということを分かっていたのだろうか。そして、自分だけが死んでしまうことを望んで、そんなことを言ったのか。
 松永は、自分だけが生き残るというシナリオがあったのかも知れないが、それは最悪のシナリオであり、
「彼女のいないこの世に、未練なんかない」
 と思っていたのは事実だった。
 実際に机の中から自分の書いた遺書が見つかり、自殺を試みようとしたことは間違いないようだ。
 しかし、実際に心中したはずのその女性の姿は、心中を試みたと思われるその場所からは、一緒にいたという気配すらも一切ない状態で、行方を晦ましていたのだ。
 その時、松永は完全に記憶を失っていて、その前後はおろか、子供の頃の記憶もなくしていた。だから今ある記憶は、後から徐々に思い出してきたもので、
「これって、本当の記憶なのだろうか?」
 と感じてしまった。
 もちろん、記憶を失ったその瞬間の切り口から、自分の過去を想像すると、できないわけではなかった。表向きの事実は人に聞くことで意外と、違和感なく受け入れることができたので、本当に記憶がないのかと思うほどであった。
 そう思うのは、内面的な意識に、それほど変化がなかったからではないだろうか。もし意識に変化があれば、かなりの矛盾が残るはずだからである。
 だが、大きな矛盾はいくつか残ることになる。その思いが自分の中の二重人格性や、人と関わりたくないという意識があるのに、心中まで思い切ったという意識だった。
 だから、ゆかりと知り合った時、ゆかりに感じた思いから、
「今なら過去のことを思い出せるかも知れない」
 と感じた。
 しかし、実際には、いまさら思い出したくもないというのが本音でもあった。
 年齢的には五十歳を超えている。まだ若ければ、記憶を取り戻し、自分を取り戻せば、人生のやり直しもできるかも知れない。しかし、五十歳を超えてくると、先が見えてくるというのか、考えていることが、
「見えている先を見推してのこれからの人生」
 なのである。
 過去をいまさらほじくり返しても、教訓になるわけではない。どちらかというと、記憶を失ってからの自分が今の自分なのだ。記憶を失った時に自分が生まれたとでも思えばいいのか、いまさら辻褄を合わせてどうなるものでもない。
 そう思っていたところに、ゆかりと出会った。今までであれば、
「余計な出会いだ」
 と思ったかも知れない。
 人生を諦めかけていると言ってもよかったのにと思うのだが、ゆかりと出会ってから、自分が人生を諦めていたわけではないことに改めて気づいた。
 だからと言って、過去がどうのこうの、いまさら関係はないのだが、ゆかりとの出会いが新たな自分をどの方向に導いてくれるか、見てみたくなったのだ。
 今までの松永は、いつも他人事だったが、それは自分のことを客観的に見るという意味で、投げやりになっているわけではない。むしろ、主観で自分の人生を見つめてしまうと、すべてが自分中心になって、家族のため、自分とかかわりのある人のため、そして、そのまわりの人のため、などと自分からまわりを見ることになる。だが、松永のように、客観的に見ると、
「家族のため? そんな人はいない」
「自分にかかわりのある人? そんな人もいない」
 と冷静に見ることができて、結局自分のためだという結論に最後は至るのだ。だから、余計に自分を大切にできる。
「まさか、そんな自分だから、記憶をリセットできたのかな?」
 という実に都合のいい考えをしてみた。
「人生、思い出したくないことがたくさんあればあるほど、思い出してしまうもので、しかも、リセットができないから、それらを抱えて生きていくしかない」
 という結論に至るのだが、分かっているくせに、それを認めたくないという意識から、結局、
「人は一人では生きていけないんだ。人と関わって、うまくその中を切り抜けていくことで生きていくしかない」
 と考える。
 だが、松永は自分の人生をどこかでリセットできた。
「自浄できたのかも知れない」
 と思った。
 誰もが浄化したいと思っていることを抱えていて、それをすることができない。それはきっと、何をどのように浄化したいのかが分からないからできないのではないだろうか。「ひょっとすると、人間一度は自浄できる力を持っているのだが、それを使うために考えなければいけないことが思いつかずに、結局、浄化したいと思いながらも、できることに気づかずに、やり過ごしてしまうのではないだろうか。しかし、自浄できる人もちゃんといて、それができてしまうと、それまでの記憶も意識もなくしてしまい、その瞬間に生まれ変わって、過去をやり直しているかのような状況になる。普通はそのことを知らずに墓場まで持っていくのだろうが、私は、ゆかりという女性に出会ってしまった。彼女が架空の女性なのかどうかは分からない。だが、記憶が戻ってきたことで、やらなければいけないことが一つ増えたと言っても過言ではないような気がする」
 と、松永は考えていた。
 松永は、この温泉宿につくまでは、まったく違った意識を持っていた。何を考えていたのか正直、思い出せないのだが、温泉に到着してから、温泉に来るまで、ここに何をしに来たのかということだけは、分かっていたような気がする。
 頭の中にあったのは、ゆかりのことばかりであった。
 逢えなくなったゆかりがどこで、どうなってしまったのか、目の前に見えている光景とは別の意識を持っていたのだ。
 自分が売れない小説家であり、小説を書くということに対して、どのような姿勢だったのかということが、結局は頭の中で形成されていたのだ。それが自分の生きがいであり、これからの人生だと思っている。そのために、今まで書いてきた小説の発想を、次々に考えているようだった。
 それが自分を納得させることであり、今の考えに集約されているかのようだった。
 宿に着いてからというもの、女将が宿の話や、このあたりの観光地を教えてくれたりしていたが、あまり頭に残っていない。女将も、松永の心ここにあらずという意識を察してか、あまり話をしないようにした。
「今日は、他には、一組のカップルの方がいらっしゃるだけで、お客様と合わせて全部でお二組、三人様ですので、ゆっくりできると思います。
 ということであった。
作品名:骨散る時 作家名:森本晃次