骨散る時
仕事と言ってもアルバイト、中には、今までの店長などで、過労死をしたと言われるような人がいて、部下の人たちは一様に悲しんでいたが、その葬儀に参加したわけでもなく、考えてみれば、今まで冠婚葬祭に参加したことはあまりなかった気がする。
学生時代の友達とも縁遠くなっていて、佐久間くらいしか学生時代から繋がっているやつはいないかも知れない。
馴染みの店があると言っても、急に来なくなった人がいたとして、後で風のウワサに、
「あの人、亡くなったみたい」
という話を訊くくらいで、かなり時間も経っているだろうから、まわりが敢えてその話題に触れることはしてはいけないという思いに駆れれるのだった。
亡くなった時の儀式として葬式がある。結婚した時に結婚式はやるが、葬式との一番の違いは、
「自分が出席することができない」
ということであろう。
さらにもう一ついえば、
「結婚式は何度でもできるが、葬式は一度だけ」
ということである。
特に今は、結婚など結婚よりも離婚の方が多いという話を訊いたことがある。普通に聞けば、
「結婚する人よりも離婚する人の方が多いって、どういうことなんだ?」
と思う。ただ、これを結婚式という意識で考えれば、意味も分からなくもない。再婚で結婚式を挙げない人も多いからだ。
そもそも、結婚したからと言って、結婚式を挙げないといけないというわけではない。葬式の場合は、遺言で、
「葬式なんか、しなくてもいい」
というのがあれば、死者の遺志にそぐうのが当然であろうが、そこまで言い残す人が果たしているのだろうかと、松永は思っていた。
「結婚式も、葬式も、俺にはあまり関係がないからな」
と思っていたが、同じ思いを感じている人はそれほど少なくはないのかも知れない。
松永の知り合いで、
「結婚式は内輪だけの食事会だけで済ませたよ」
というような人もいて、
「皆勘違いしているかも知れないけど、結婚式というのは、神殿やチャペルなどで行う儀式のことをいうのであって、別に披露宴が結婚式というわえではない。結婚式場がセットで提供しているだけのことだ」
と言っていたが。まさにその通りである。
「どうせ、俺は結婚式など挙げることはないだろうからな」
と思っていたが、実際にその通りになりそうだ。
ここまでくれば、結婚など煩わしいだけであった。
自浄の感覚
もちろん、今までに結婚に憧れがなかったわけでもない、実際に一目惚れをした女性がいて、その人は、今までで唯一と言ってもいいくらい、自分のことを好きになってくれた女性だった。
「結婚するなら、この人しかいないな」
と思っていて、しかも相手から絶賛ともいうべきに信頼されていたように思えた。
相手も、
「結婚はこの人としかしない」
と思っていたかも知れない。
だが、その二人の間に基本的な考えの隔たりがあった。
彼としてみれば。結婚するしかいがまず前提にあって、結婚するとすればこの人だと思っていたのだ。
彼女の方では違っていて、結婚と相手は同じ位置にあったのだ。松永が、結婚というものを漠然と考えている時、彼女は彼が自分だけしか見てくれていないと思い込んでいた。しかし、あくまでも彼は結婚というものにだけ集中して考えていたので、その瞬間、松永の瞼に別の女性が映るなどということは考えられないと彼女は思っていたのだ。
確かに、彼はその時、彼女を中心に見ていたが、他をまったく考えていたわけではない。むしろ、他の女性との比較すらしていたほどだ。結婚を考えても相手はそのあとで考える場合、他の女性が視界に入るのは当然のことである。
逆に好きな人が最終的に自分を選んでくれたと思う方が、嬉しさは倍増、結婚することの意義が分かるというものである。
その時にチラッと自分以外の誰かを彼女は感じてしまったのだろう。その瞬間に、一気に気持ちが冷めてしまったようだ。
それも無理もないことで、彼女とすれば、
「裏切られた」
と感じたとしても、無理のないことに違いない。
彼女の心変わりなど知る由もなく、すでに有頂天だった彼は、彼女からの別れに驚愕してしまう。
「どうしていきなり別れなんかが出てくるんだよ」
というと彼女は、
「分からないの? あなたが悪いんじゃない」
という。
「何が悪いというんだ?」
と聞くと、
「何、言ってるのよ、私はあなたに裏切られたとしか思っていないわ。私の他に誰を見ているというのよ」
と言われ、もちろん、謂れのない話にこちらも驚愕し、怒りがこみあげてくる。
「俺は君しか見ていない」
「何とでも言えるわ」
と、ここまでくれば、交わることのない平行線を描いているのが目に見える。
完全に修復は不可能、一体どう収束させればいいのか、ここからがクライマックスだった。
というのは、実際の話ではなく、松永の小説の中での話、結婚に憧れていたはずなのに、小説にしようとしてみると、結局、すれ違いであり、交わることのない平行線を描いてしまい、一体どこで落着させればいいのか、小説の世界でも分からない。
「いや、小説だからこそ分からないんだ。なぜなら、男も女の自分の想像でしかないからだ。お互いに収束させることができるのであれば、文字数はまったくいらないことになるだろう。つまり、小説としての体裁を整えていない」
ということになるからではないだろうか。
それが、松永の小説家としての限界の一つではないのかと思えた。
プロとしてのプライドがなくなってからは、少々のことは書けると思っていたが、逆に書けなくなったものもあるような気がするのだった。
そもそも、
「売れる小説が書けるようになりたい」
などという考えだったわけではないのだが、自分の中で、
「売れる小説」
というものに対して、無意識に意識していたのではないかと思った。
なるべく意識しないようにしていても、勝手に目の中に入ってくるというのも、今までに何度も経験していることではないか。
それがいちいちなんであったのかなどということは、さすがに一つ一つ覚えているわけではない。
意識しないようにして、却って意識してしまって、できなかったこと、一体何があっただろう? きっとこの年になるまであまりにもたくさんありすぎて分からないのではないかとも思ったが、実はフェイクも多く、実際にはそんなにたくさんはないのかも知れない。それこそ、希少価値だからこそ、思い出せないだけではないだろうか。
「ゆかりという女の子」
彼女もそんな存在だったのかも知れない。
彼女から、
「先生のファンだったんです」
と言われた時に、ドキドキが止まらなかったのと同時に、
「この感覚、初めてではないんだよな」
という思いがあったのだ。
あまりにもたくさんあったので、それがその思い出だったのかを思い出そうとすると、ある程度のところまで思い出すことができるのだが、結局は思い出せない。
ただ一つ自分の意識の中で、
「確か、自分の書いた小説の中で、一つだけ、好きな人を思って書いた話があった」
ということは覚えていた。