骨散る時
「佐久間にすまない」
と思っていたのだが、実際には、
「俺だけが受賞したのは、俺の実力だ」
という、有頂天になっている状態では誰にでも起こる気持ちが、心のどこかにあったのも事実だった。
いや、その思いがどんどん膨れ上がってきた。特に次回作を考えていて、考えつかなくなってきた時には、この優越感だけが自分を支えていたようなものである。
「俺は、佐久間に勝ったんだ」
何と言う狭い了見であろう。
たったそれだけのことで意地になったかのように、佐久間に対して固執した思いが、自分を何とかしてくれるとでも思ったのだろう。
しかし、そんなにうまくいくわけはない。次第に自分が落ちぶれていくのが分かると、今度はそれに反比例するかのように、佐久間の努力が実を結んでくる。
「佐久間が努力家だということは俺が一番分かっているんだ。だから、佐久間にだって、劣等感から這い上がってきただけの力があるんだから、この俺にだって這い上がれないわけではない」
と思うのだが、実際には、それは自分をただ慰めているだけでしかなかった。
あくまで佐久間が自分で努力した結果が身を結んだだけなんだ。そこに優劣管の力がどこまで働いているのかというのは、誰にも分からないのではないかと思うのが精いっぱいの気持ちだった。
これだけ立場が逆転してしまうと、
「佐久間は今の俺を見て、ざまあみろと思っているんだろうな」
と感じていたので、どうしても佐久間と会う時はぎこちなくなってしまい、ついつい、お互いに避けるようになった時期もあった。
しかし、実際に話をすることがないほどに離れてしまうと、
「俺って、何をやっているんだ」
と思えてくる。
すでに、松永のまわりには人が寄ってこなくなった。何しろ売れない作家なのだから、編集者がやってくることも稀だった。たまに、
「先生、作品の方はいかがですか?」
という社交辞令で電話がかかってくる程度だった。
それも昔だったらなかったかも知れない。その頃の出版不況がそうさせたのだろう。それでも、何も浮かばないというと、最初から分かっていたのか、落胆もしていないようで、それはそれで落胆もさせられないくらい期待されていないということを、自らで証明したかのようだった。
三十代の無為に過ごし、出会いもない。
馴染みのスナックに行って、あまり飲めない酒をチビチビやっているだけで、店の常連というだけで、常連同士で話をすることはなかった。他の常連はそれなりに親しく話をしているようだが、話しかける気力はない。いつの間にか対人恐怖症にでもなっているということであろうか。
それでも、ママさんが時々話しかけてくれる。その話は結構、松永を気楽にさせてくれることが多かったので、その店に行った時はいつもカウンターの一番奥という指定席になっていた。
いつ行ってもその席は空いていた。松永にとってはありがたかったが、どうも、
「あの席は、あまり印象が悪い」
と言われていたようだった、
もちろん、松永がいつも座っている席だから、そんな風に言われるわけで、分かっているが、わざとそのことに触れることはなかった。
ママさんの会話では、いつも、看板になるまで飲んでいるのだが、
「明日から、また頑張れるかも知れないな」
と感じる気分にさせてくれる。
それだけは、松永にとっての唯一の救いだったかも知れない。
「他にもたくさんいる売れない作家の人が、何とかその地位にしがみついて頑張っているのは、一つにはそれしかできることがないと思っているからなのか、それとも、何とか腐らずにできるというだけの何かを持っているからなのかも知れない」
と、思っていた。
確かに前者は間違いない。そして後者は松永にとっては、
「首の皮一枚」
だったのかも知れない。
しかし、この一枚というのは、かなり強いもので、伸縮が自在なものだった。切れそうで切れないというものは、思ったよりも執念深く、ここまで生きてこられた証だと言ってもいいだろう。
この店に松永がよく来ていることは、佐久間も知っていた。佐久間もたまに来るようになったのだが、それは、他の場所で会ってもぎこちないだけで、ほとんど会話にならないことから、
「あの店だったら」
ということで、佐久間が強引にやってきたことがきっかけだった。
佐久間は常連とすぐに仲良くなったようだが、いつもの松永だったら面白くないと思うかも知れないが、
「佐久間だったらしょうがないか」
と感じていた。
その理由は、あくまでもこの店は自分が常連であり、自分が馴染みにしているから、佐久間はたまにだけど通ってくるのだということが分かっているからだった。
「いや、いいんだ。佐久間が来てくれるのは決して嫌じゃないんだ。俺は一人でいることを至福の時間のように思っているけど、それはやせ我慢のようなところがあるって自分でも分かっているんだよ。だから、佐久間だけは許せるんだ」
とママさんにいうと、松永の事情は松永の口から聞いて、ちゃんと理解しているという自負があることから、
「うん、わかっているわよ、きっと、自戒の念があるからなんじゃない? 自分が新人賞を取った時に有頂天になった時、佐久間さんに味合わせたあの劣等感、それを今自分が味わうことになってね。それを私も分かっているから、佐久間さんにもあなたにも同等に話ができるんだって思っているのよ」
と、言われて、
「そうなんだろうね。俺だって、本当は一度は眩しいくらいのスポットライトを浴びた経験があるので、確かにその後の劣等感がハンパではなかったんだけど、有頂天になったのも間違いではないので、それをいかに考えればいいかということなんだろうね」
というと、
「有頂天を悪いなんて思ってはいないわ。むしろ、その時期があったから、あなたは今でも頑張って書けているんじゃないの?」
と言われ、
「いやいや、ただしがみついているだけさ。過去の栄光にしがみつぃているだけって感じで、やっぱり格好のいいものではない」
「格好のいいものではないという言い方が、まさにあなたの気持ちを代弁しているわね。そこで恰好悪いと言い切ってしまわないところがね」
と言われて、松永は言い返すことができななかった。
それでも少ししてから、
「それはそうかも知れないけど、それが少しでも自尊心をくすぐってくれれば、一度は日の目を見たんだから、まったく実力がないとは思えない。気のもちようなのか?」
「そうかも知れないですよ。その気持ちをちゃんと道を間違えずに誘導できるのがこの私だったら、私も嬉しいわ。特にこういうお仕事をしているとね。いろいろな人の人生に関わることになるのよ。ただ聞いてあげることだけしかできないんだけどね。でも、それだけでも相手に助かったと思ってくれると、私の生きがいのような気分にもなれるの。だからあなたにもそんな気分にさせてもらいたいって思うのよ」
という話を訊いて、
「そっか、何も格好をつけることなんかないんだよね。書きたいものを書けばいいんだ。どうせ恰好をつけてもまわりは認めてくれないんだったら、やりたいように、まわりを変に意識するようなことのないようにすればいいだけなのかも知れないな」