骨散る時
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。若干実際の組織とは違った形態をとっているものもありますが、フィクションということで、見てください。
売れない作家
駅を降りたったオームから、ちょうど道を挟んで海が見える、その手前にちょうど自分の頭の高さに匹敵するくらいの鉄骨が骨組みのようになって目の前にあるのだが、どうやら、そこには病院やお店の広告用の看板が飾られていたところであった。今では二つか三つほどしかその面影は残っていない。そのせいで、その向こうが吹き抜けになって海が見えるというのだから、皮肉なものだ。
残っている看板というと、駅前の小児科と、外科、さらに内科の看板くらいであった、廃線にもならずに、まだ残っているというのがビックリの鉄道だが、すでにとっくの昔にJRからは切り離されていて、地元住民がなければ困るということで、地元町村の自治体と話をして、団参セクターとして残してもらったようだ。
だから、乗客のほとんどは、地元住民であり、ほとんどではない人というのは、この線の終点から行くことのできる温泉地への客が利用するくらいである。
この温泉はさすがに鄙びた駅からいく温泉なだけあって、どこの観光ブックにもほとんど乗っていない。たまに、コラム程度に乗っているほどなので、誰がここを訪れようというのか、そういう意味ではほとんどが常連か、その常連から聞きつけた人が、興味本位に来てみようと思うくらいであった。したがって、ほとんどが、一度くればもう来なくなる客ばかりであった、
今年五十歳になる一人の男性が、この温泉を訪れたのは、以前人から聞いて訪れたことがあり、それから常連になったという、ある意味珍しいタイプの客だった。
松永が今までここを訪れるのに、一人だったことはなかったが、今回は一人だった。娘なのか、二十歳前後くらいの女の子と一緒に訪れていたが、いつも静かだった。
温泉に来た時の平均的な滞在日数は一週間であった。結構長い間二人はここに逗留していたのだが、今回は松永一人での逗留のようだった。
駅に着いてから温泉宿までは、送迎バスを頼んでおけば、迎えに来てくれる手はずになっている。
ただ、いつも松永は、電車が到着する時間を指定はしない。それから三十分後くらいであった。宿の人が送迎バスを駅前の駐車場につけてから五分くらいしてから、松永と連れの女の子がどこからともなく現れるということであった。
「こんにちは。今回もまたよろしく頼むよ」
と、運転手にそういった松永は、完全に常連になっていた。
二人は、三か月に一度くらいの割合でここにやってきていた、それだけに運転手も二人の顔を見ると懐かしいというよりも、まるで昨日も会ったかのような錯覚に陥るのだった。
他に客が同じ電車に乗っていたとしても、彼らはすのまますぐに宿に向かう。それらの客を宿まで送りつけて、また駅までUターンしてくれば、ちょうど、そこに二人が現れるというのがいつものパターンだった。
今回は、他に客はいないので、三十分後に駅に到着するくらいの計画で行けばちょうどよかった。その通りに駅に向かえば、今回は、先に駐車場で松永が待っていたというわけだった。
今回の滞在予約はいつものように一週間だったが、今回は松永一人の宿泊ということだった。
「お一人様ですか?」
と思わず、電話対応した仲居さんが聞きなおしたくらいなので、それほど珍しいことだったのだ。
それを知っていたので、運転手もそのことには敢えて触れないようにしようとした。松永の性格からいけば、
「言いたいことがあれば、自分から言うに違いない」
と思っていたからで、その考えに間違いはなかった。
マイクロバスに運転手と松永一人だけ、松永は、話しかけるでもなく、前を見ているわけでもなく、車窓から見える海の光景を眺めていた。
ちょうど入り江になったところで、大きなカーブを描くように走るので、車はスピードを出すことはできない。
海を見ていると、波に反射した光がまるで、銀紙のようなレフ版効果を描いているようで、光景としては、目に差し込んでくる日差しをよけなければならないであろうに、ずっと見つめているのは、慣れてきていたからなのか、それとも、自戒の念を自分に抱き始めていたからなのか、よく分からなかった。
しかし、この海を見ていると、いつもは後ろの席で、隣に一緒にいた、金沢ゆかりと一緒に海を見ていた時のことが思い出されて仕方がなかったのだ。
松永は、ゆかりと知り合った時のことを思い出していた。
ゆかりと最初に出会ったのは、ゆかりが大学一年生の時だった。二人を引き合わせてくれたのは、松永の親友であった、大学教授である、佐久間教授であった。
佐久間教授は、松永と大学時代からの親友で、大学時代から松永と一緒に文芸サークルで、活動していた。
「一緒に本が出せればいいよな」
と、よく言い合ったものだったが、新人文学賞を受賞し、先に世に出たのは、松永の方だった。
松永は、有頂天になっていたが、それ以上に佐久間は、そんな松永を見ていて、自分がここまで情けなくなるほどだとは思わなかったほどに、憔悴していた、表向きは、
「よかったじゃないか。おめでとう」
と言ってくれたが、それだけ言うのがやっとであるかのように、落ち込んでいるようだった。
親友のそんな姿を見ると、松永の方も、
「一歩間違えれば、俺があんなふうになっていたんだよな」
と思って、佐久間に同情したが、佐久間は松永が思っているよりも性格的には強かだった。
「俺、小説を書くのはやめないけど、小説家を目指すという路線から離れようと思う」
と言った。
「じゃあ、どうするんだ?」
と訊かれて、
「俺は、このまま大学院に進んで、できれば、教授を目指したい」
ということであった。
性格的には努力家であった佐久間は、その通り、大学院に進み、有言実行、教授への道をひた走っていた。
では、松永の方はというと、新人賞の勢いをかって、次回作を執筆し、新人賞ほどのインパクトはなかったが、それなりの売り上げを残したが、ピークはそこまでだった。
ほとんどの新人賞を受賞した作家が消えていくように、徐々にフェイドアウトしていったが、まったく消えてしまうわけではなく、これも、よくある話として、
「売れない小説家」
としての肩書を持ったまま、気が付けば、五十歳になっていた。
「いつの間に、人生が変わってしまったのだろう?」
と、佐久間も、松永も思っていた。
松永にとっては、実に屈辱的だった。時に佐久間に対してはそうである。
最初に自分だけが受賞した時は、有頂天になっていた、
言葉でも、心の中でも、
売れない作家
駅を降りたったオームから、ちょうど道を挟んで海が見える、その手前にちょうど自分の頭の高さに匹敵するくらいの鉄骨が骨組みのようになって目の前にあるのだが、どうやら、そこには病院やお店の広告用の看板が飾られていたところであった。今では二つか三つほどしかその面影は残っていない。そのせいで、その向こうが吹き抜けになって海が見えるというのだから、皮肉なものだ。
残っている看板というと、駅前の小児科と、外科、さらに内科の看板くらいであった、廃線にもならずに、まだ残っているというのがビックリの鉄道だが、すでにとっくの昔にJRからは切り離されていて、地元住民がなければ困るということで、地元町村の自治体と話をして、団参セクターとして残してもらったようだ。
だから、乗客のほとんどは、地元住民であり、ほとんどではない人というのは、この線の終点から行くことのできる温泉地への客が利用するくらいである。
この温泉はさすがに鄙びた駅からいく温泉なだけあって、どこの観光ブックにもほとんど乗っていない。たまに、コラム程度に乗っているほどなので、誰がここを訪れようというのか、そういう意味ではほとんどが常連か、その常連から聞きつけた人が、興味本位に来てみようと思うくらいであった。したがって、ほとんどが、一度くればもう来なくなる客ばかりであった、
今年五十歳になる一人の男性が、この温泉を訪れたのは、以前人から聞いて訪れたことがあり、それから常連になったという、ある意味珍しいタイプの客だった。
松永が今までここを訪れるのに、一人だったことはなかったが、今回は一人だった。娘なのか、二十歳前後くらいの女の子と一緒に訪れていたが、いつも静かだった。
温泉に来た時の平均的な滞在日数は一週間であった。結構長い間二人はここに逗留していたのだが、今回は松永一人での逗留のようだった。
駅に着いてから温泉宿までは、送迎バスを頼んでおけば、迎えに来てくれる手はずになっている。
ただ、いつも松永は、電車が到着する時間を指定はしない。それから三十分後くらいであった。宿の人が送迎バスを駅前の駐車場につけてから五分くらいしてから、松永と連れの女の子がどこからともなく現れるということであった。
「こんにちは。今回もまたよろしく頼むよ」
と、運転手にそういった松永は、完全に常連になっていた。
二人は、三か月に一度くらいの割合でここにやってきていた、それだけに運転手も二人の顔を見ると懐かしいというよりも、まるで昨日も会ったかのような錯覚に陥るのだった。
他に客が同じ電車に乗っていたとしても、彼らはすのまますぐに宿に向かう。それらの客を宿まで送りつけて、また駅までUターンしてくれば、ちょうど、そこに二人が現れるというのがいつものパターンだった。
今回は、他に客はいないので、三十分後に駅に到着するくらいの計画で行けばちょうどよかった。その通りに駅に向かえば、今回は、先に駐車場で松永が待っていたというわけだった。
今回の滞在予約はいつものように一週間だったが、今回は松永一人の宿泊ということだった。
「お一人様ですか?」
と思わず、電話対応した仲居さんが聞きなおしたくらいなので、それほど珍しいことだったのだ。
それを知っていたので、運転手もそのことには敢えて触れないようにしようとした。松永の性格からいけば、
「言いたいことがあれば、自分から言うに違いない」
と思っていたからで、その考えに間違いはなかった。
マイクロバスに運転手と松永一人だけ、松永は、話しかけるでもなく、前を見ているわけでもなく、車窓から見える海の光景を眺めていた。
ちょうど入り江になったところで、大きなカーブを描くように走るので、車はスピードを出すことはできない。
海を見ていると、波に反射した光がまるで、銀紙のようなレフ版効果を描いているようで、光景としては、目に差し込んでくる日差しをよけなければならないであろうに、ずっと見つめているのは、慣れてきていたからなのか、それとも、自戒の念を自分に抱き始めていたからなのか、よく分からなかった。
しかし、この海を見ていると、いつもは後ろの席で、隣に一緒にいた、金沢ゆかりと一緒に海を見ていた時のことが思い出されて仕方がなかったのだ。
松永は、ゆかりと知り合った時のことを思い出していた。
ゆかりと最初に出会ったのは、ゆかりが大学一年生の時だった。二人を引き合わせてくれたのは、松永の親友であった、大学教授である、佐久間教授であった。
佐久間教授は、松永と大学時代からの親友で、大学時代から松永と一緒に文芸サークルで、活動していた。
「一緒に本が出せればいいよな」
と、よく言い合ったものだったが、新人文学賞を受賞し、先に世に出たのは、松永の方だった。
松永は、有頂天になっていたが、それ以上に佐久間は、そんな松永を見ていて、自分がここまで情けなくなるほどだとは思わなかったほどに、憔悴していた、表向きは、
「よかったじゃないか。おめでとう」
と言ってくれたが、それだけ言うのがやっとであるかのように、落ち込んでいるようだった。
親友のそんな姿を見ると、松永の方も、
「一歩間違えれば、俺があんなふうになっていたんだよな」
と思って、佐久間に同情したが、佐久間は松永が思っているよりも性格的には強かだった。
「俺、小説を書くのはやめないけど、小説家を目指すという路線から離れようと思う」
と言った。
「じゃあ、どうするんだ?」
と訊かれて、
「俺は、このまま大学院に進んで、できれば、教授を目指したい」
ということであった。
性格的には努力家であった佐久間は、その通り、大学院に進み、有言実行、教授への道をひた走っていた。
では、松永の方はというと、新人賞の勢いをかって、次回作を執筆し、新人賞ほどのインパクトはなかったが、それなりの売り上げを残したが、ピークはそこまでだった。
ほとんどの新人賞を受賞した作家が消えていくように、徐々にフェイドアウトしていったが、まったく消えてしまうわけではなく、これも、よくある話として、
「売れない小説家」
としての肩書を持ったまま、気が付けば、五十歳になっていた。
「いつの間に、人生が変わってしまったのだろう?」
と、佐久間も、松永も思っていた。
松永にとっては、実に屈辱的だった。時に佐久間に対してはそうである。
最初に自分だけが受賞した時は、有頂天になっていた、
言葉でも、心の中でも、