骨散る時
つまり、同じ時間に何があったのかというのが曖昧になり、それが昨日のことだったのか一昨日のことだったのか、下手をすれば、今日のことなのかすら分からなくなっているほどだ。
これをマンネリというのだろうとは思うのだが、充実感のようなものはある。ただ、作品を一つ書き上げても、満足感というものはほとんどない。どんどん次を書こうという思いがあるからなのだと理解しているが、それは少し寂しい気がしている。
年間を通して書いた数はかなりのものなのだが、最近では、とりあえず、出版社の担当に見せてみて、まずいい評価がないのが分かったうえで、別の名義、つまりペンネームを使って、素人がアップしている無料投稿サイトを使用し、しれっと、作品をアップしていた。もっとも、松永聡などという小説家がいることはあまり知られていないだろうから、松永名義でもバレることはないだろう。少し寂しい気はする。
「でも、僕の小説をそんなにたくさん読んでいるわけではないんでしょう?」
と聞くと、
「いえ、先生が無料投稿サイトに投稿していらっしゃるのも知っていますよ。出版社の方に見せて、それで出版の許可が出なかったことで作品が世に出ないのはもったいないと思われたんだと思っていました」
と言われ、少し複雑な気持ちになって。
「まあ、そうなんだけどね。でも、よく分かっているね?」
と聞くと、
「私は先生という作家は、作品を生み出すということに一番の重きを置いておられる方だと思っているんです、人に読ませたいだとか、ましてや売れる作品を書きたいなどという考えではなく、何もないところから新しく作り上げたいという純粋な芸術家的な発想で作品を書いておられるのだと思っているんです。だから私は先生が好きなんです、確かにプロともなると、人に読んでもらいたいだとか、売れる作品というのが、必要になってくるとは思うんですが、基本は書くことですよね? それを忘れてしまっては、実際に売れる作品を書きたいと思って書いていて、実際に売れている作品であっても、私は好きになれないんですよ」
とゆかりは言った。
「どういうことなんだい?」
と聞くと、
「どこか、二番煎じのような気がするんです。どこかで見たような作品であり、読者によっては、軽く読めるから、安心だという人もいるんだと思いますけど、私はそれでは嫌なんです。つまり、どこまでも薄っぺらくて、しかも書き手の、いかにも『売れる作品』という殿様商売的な上から目線と、『人に読んでもらいたい』などというようなあざとさが見え隠れする作品は、読みたいとは思いません。そもそも、読んでもらいたいのであれば、上から目線というのは考え方が矛盾していますよね。今の出版界にはそういう作品が多すぎる気がして、読みたいとは思えないのが多いんですよ。特に人気のある無料投稿サイトによくある異世界ファンタジー系のような作品であったり、いわゆるライトノベルは、私の中では小説とは認めていないくらいですね」
と彼女は自論を爆発させていた。
彼女は続ける。
「ケイタイ小説などというジャンルが出てきてからなのか、ライトノベルと呼ばれるものは流行り出してからなのか、一番気に食わないのは、読みやすいという理由なのかどうか分からないんですが、やたらと空白があって、まるで何かの字数稼ぎでもしているのではないかと勘繰ってしまいそうな作品ですね。あれには苛立ちを感じます。そして、もう一つ感じるのは、これも読みやすさという意味なんでしょうか。やたらとセンテンスが短い? 一つの文章が短すぎて、名刺で文章が終わってしまっているのもあるでしょう? 唐丹の若者言葉をそのまま小説にしているようで、見ていて恥ずかしくなるくらいなんです。確かに純文学のように、必要以上に文学性を生かした文章がいいとは一概には言いませんが。文章を短くするにも限度があると思うんです。それを思うと、今の小説は読む気にもならないんです。だから本屋に行っても、見るのはどうしても昔の作品。しかも、昭和の初期の頃だったりとか見たりしますね」
と言っていた、
「昭和の初期というというと、戦前瀬後とかの時代ですか?」
と松永が聞くと、
「ええ、その頃の時代の作品も好きだったりしますよ。最近のライトノベルを文庫本でみたことはないんですが、どんな形になっているんでしょうね? サイトでは見たことがあったので、そこでは、本当に数行開いていたのでビックリしたんですが、イメージとしては、そこに挿絵などがあれば、まるで幼児向けの絵本のように見えるんですよ。もし、そうだったら、大の大人が、子供の読む、絵本を読んで、文学作品を読んだような気になるのかというのが、苛立たしいんですよね。しかも、ライトノベルなどというジャンルが流行って、なまじ文学賞などを受賞したりするものだから、猫も杓子も右に倣えで、しかも、これなら自分にでも書けると思うのか、愚策が世間に無為に放出され続けた気がして仕方がないんです。中には、ライトノベルだからという理由で売れたのもあるのではないかと思うと、文学性も感じることができないそんな作品を評価した連中に、何を根拠に選んだのかということを、詳しく聞いてみたいものです」
とゆかりは言った。
癒しを与えてくれ、松永の作品を褒めちぎっていたゆかりが、ここまでライトノベルや最近の(いや、最近には限らないが)売れる作品に対して苛立ちを通り越して、怒りを抱いているとはいささか不思議であった、
いや、苛立ちを抱いている人は結構いるのではないか、それを口するかしないかというだけの違いであって、怒りをぶつけるその言い方に、
「他の人なら不快感を抱くのではないか?」
と思ったが、松永は賛同するしかなかった。
「そうだね、僕もその通りだと思う」
と、他の人であれば、その言葉はただの相槌に過ぎないだろう。
しかし、心底そう思っている松永は、逆に、
「ゆかりは、僕の言葉を代弁してくれているんだ」
というくらいに感じていた。
「ゆかりちゃんは、自分で思ったことを正直に言えるんだね?」
と、松永は感じた通りのことを言ったが、これは決してディスっているわけではなく、本心からであった。
「ええ、そうなんです。私は思っていることを言わないと気が済まないタイプなんだって思うんです。だから結構誤解されることもあって、損をしてしまうこともあるんはないかと感じているんですが、それもしょうがないのかなって思います」
と言った。
ゆかりに限らず、ここまで正直に、そしてハッキリと断言するように自分のことを言えるというのは大したものだと松永は思っていた。
「ゆかりちゃんは、本当に断固とした態度がそこまで取れるということは、揺るぎない理念や精神のようなものがあるんだろうね?」
と聞くと、